西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 その2 杜甫 <283-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1307 杜甫詩 700- 400


(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首)
秦州の近郊にある西枝村というところで、自分の草屋を設けるための地面をたずねて夜になり、賛公の穴居の室にとまったことをのべた詩である。759年乾元二年の秋冬の交の作。杜佐のいる東桐谷に居を定めた以後のことである。

乾元2年 759年 48歳
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
出郭眄細岑,披榛得微路。溪行一流水,曲折方屢渡。
贊公湯休徒,好靜心跡素。昨枉霞上作,盛論岩中趣。』
怡然共攜手,恣意同遠步。捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
卜居意未展,杖策回旦暮。層巔餘落日,早蔓已多露。』

西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二
天寒鳥已帰、月出山更静。土室延白光、松門耿疎影。
躋攀倦日短、語楽寄夜永。明然林中薪、暗汲石底井。』
大師京国旧、徳業天機秉。従来支許遊、興趣江湖迥。
数奇謫関塞、道広存箕潁。何知戎馬間、復接塵事屏。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。晨光稍朦朧、更越西南頂。』


西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
(秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。二首)
昨日先生から「霞上作」の詩篇を頂いたが、中に盛んに巌石の境地のおもむきが論じてあった。』
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首 其の一)#1
郭を出でて細岑【さいしん】を眄【み】る、榛【しん】を披【ひら】きて微路【びろ】を得。
渓行【けいこう】すれば一流水、曲折【きょくせつ】方【まさ】に屡【しばし】ば渡る。
賛公は湯休【とうきゅう】の徒、静を好みて心跡【しんせき】素なり。
昨 霞上【かじょう】の作を枉【ま】ぐ、盛りに巌中【がんちゅう】の趣を論ぜり。』

#2
怡然共攜手,恣意同遠步。
今日はこのあたりを手をたずさえて案内してもらい楽しむことができた、わたしの思い通りしてもらいあちこち同じように遠くまで歩んでくれたのである。
捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
姫かずらにつかまっておりたり、あるいは先だちになって登ることに尻ごみをした。或いは丸みをおびた峰に上って後を振り返ってみると目がくらんだりした。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。
私が求める場所というのは陽当たりのいい岡がいいとおもっているが、北向きの峰の凍るような冷たさを難儀しながらわたっていった。
惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
また、老木であろうか大きい藤のところで恨めしく歎いたりしているし、根株のかがみおれまがり、複雑にいりくんでいる樹のところでためらったりするのである。』
卜居意未展,杖策回旦暮。
それでも占ったうえでもよい住まいの場所でまだきめようと決心するほどおもうようなよい場所にであわなかった、つえをついてかえろうとすれば日ははや暮れかかってくる、
層巔餘落日,早蔓已多露。』
重なった嶺にまだ落ちかかる太陽はのこってはいるものの、道端の草やつるのうえにすでに露がしとどに置かれている。』
怡然【いぜん】共に手を携え、意を恣【ほしいまま】にして同じく遠歩【えんぽ】す。
蘿を椚【と】りて先登【せんとう】するに渋り、巘【】に陟【のぼ】りて反顧【へんこ】するに眩【げん】す。
求めんと要す陽岡【ようこう】の暖【あたたか】かなるを、涉るに苦しむ陰嶺【いんれい】の冱【ご】なるを。
惆悵【ちょうちょう】す老大【ろうだい】の藤に、沈吟【ちんぎん】す屈蟠【くつばん】の樹に。』
居を卜【ぼく】する意未だ展【の】べず、策を杖【つ】きて廻れば且【ほとん】ど暮れんとす。
層巔【そうてん】落日余【あま】るも、草蔓【そうまん】には己に露多し。』


#1
出郭眄細岑,披榛得微路。
秦州の城郭を出て小さな峯を横にして歩き見ながら、榛のやぶをかきわけすすみつつ、山の中腹に向かう小路をみつけてすすむ。
溪行一流水,曲折方屢渡。
渓谷にそってゆくと一すじの水の流れがあるが、それが折れ曲がっているのでたびたびそれを渡ることになる。
贊公湯休徒,好靜心跡素。
私と賛公先生といえばは昔で謂うと湯恵休と友人であった鮑照のようなものである、閑静を好んで心も行いも生地のままのお方である。
昨枉霞上作,盛論岩中趣。』



西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二
秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。(その2)
天寒鳥已帰、月出山更静。
空が抜ける寒さになって、もはや鳥はねぐらに帰ってしまったし、月があがってきたのであるが山はいままでよりもっと静かになったのである。
土室延白光、松門耿疎影。
土室の奥まで白いひかりがはいりこむ、入り口の門のように立っている松の木に雲に見え隠れする半月のかげを映している。
躋攀倦日短、語楽寄夜永。
晩秋の日の短くなったおりの山のぼりには疲れはてたが、おもしろく語りあうにはもってこいの秋の夜長である。
明然林中薪、暗汲石底井。』
月明りでたりないのは林の中からもってきた薪をもやすので明然とし明るいし、暗い石のそこから湧き出す澄み切った井の水を汲めるのでお茶をのむことができる。』
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜 賛公が土室に宿す 二首 其の二)#1
天寒くして鳥は已【すで】に帰り、月出でて山は更に静かなり。
土室【どしつ】白光【はっこう】を延【ひ】き、松門【しょうもん】 疎影【そえい】耿【こう】たり。
躋攀【せいはん】 日の短きに倦【う】み、語楽【ごらく】夜の永きに寄す。
明【めい】 林中の薪を然やし、暗【あん】 石底【せきてい】の井【せい】を 汲む。


大師京国旧、徳業天機秉。
大師先生は都での宿老で、徳をおさめる事業において、(天子から理不尽な仕打ちをされても)天地自然の微妙なはたらきをもっておられる。
従来支許遊、興趣江湖迥。
これまでわたしと僧支遁と晋の世人の許絢とのような交遊をしていただいている、江湖の遠きに在るが如き興趣をいだいておられた。
数奇謫関塞、道広存箕潁。
それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。
何知戎馬間、復接塵事屏。』
それがため意外にもわたしはこの安史の兵乱のなかで、ふたたび閑静な隠棲の御境遇にちかづくことができた。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。
はるか遠方の蒼い嶺の色をながめるとまだ色々の嶺がある、決して奥深く尋ねて入るに路が一筋だけに限るのではあるまい。
晨光稍朦朧、更越西南頂。』
あすの朝あけぼ時刻にちかくなったならば、さらにまた西南方面のみねのいただきを越えてみましょう。』
 (西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公の土室に宿す。二首)#2
大師は京国の旧なり、徳業  天機【てんき】を秉【と】る。
従来  支許【しきょ】の遊び、興趣【きょうしゅ】江湖【こうこ】迥【はる】かなり。
数奇にして関塞【かんさい】に謫【たく】せらる、道は広くして箕潁【きえい】を存【そん】す。
何ぞ知らん  戎馬【じゅうば】の間、復た塵事【じんじ】を屏【しりぞ】くるに接せんとは。
幽尋【ゆうじん】 豈【あ】に一路【いちろ】ならんや、遠色【えんしょく】 諸嶺【しょれい】有り。
晨光【しんこう】 稍【ようや】く朦朧【もうろう】たらば、更に西南の頂【いただき】を越えん。

華州から秦州同谷成都00

現代語訳と訳註
(本文)
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 その2
大師京国旧、徳業天機秉。従来支許遊、興趣江湖迥。
数奇謫関塞、道広存箕潁。何知戎馬間、復接塵事屏。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。晨光稍朦朧、更越西南頂。』


(下し文)
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公の土室に宿す。二首)#2
大師は京国の旧なり、徳業  天機【てんき】を秉【と】る。
従来  支許【しきょ】の遊び、興趣【きょうしゅ】江湖【こうこ】迥【はる】かなり。
数奇にして関塞【かんさい】に謫【たく】せらる、道は広くして箕潁【きえい】を存【そん】す。
何ぞ知らん  戎馬【じゅうば】の間、復た塵事【じんじ】を屏【しりぞ】くるに接せんとは。
幽尋【ゆうじん】 豈【あ】に一路【いちろ】ならんや、遠色【えんしょく】 諸嶺【しょれい】有り。
晨光【しんこう】 稍【ようや】く朦朧【もうろう】たらば、更に西南の頂【いただき】を越えん。


(現代語訳)
大師先生は都での宿老で、徳をおさめる事業において、(天子から理不尽な仕打ちをされても)天地自然の微妙なはたらきをもっておられる。
これまでわたしと僧支遁と晋の世人の許絢とのような交遊をしていただいている、江湖の遠きに在るが如き興趣をいだいておられた。
それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。
それがため意外にもわたしはこの安史の兵乱のなかで、ふたたび閑静な隠棲の御境遇にちかづくことができた。』
はるか遠方の蒼い嶺の色をながめるとまだ色々の嶺がある、決して奥深く尋ねて入るに路が一筋だけに限るのではあるまい。
あすの朝あけぼ時刻にちかくなったならば、さらにまた西南方面のみねのいただきを越えてみましょう。』


(訳注)
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 その2
長安にいたとき、杜甫は大雲寺の寺主で賛公という僧に大変世話になった。長安脱出を手伝ってくれたのも賛公で、その後、房琯の政事的な問責にあい、秦州の西枝村(せいしそん)に謫居していた。題詞によると杜甫は西枝村に住みたいと思い、草堂を置く土地をさがすために村を尋ねている。そして賛公大師の土室(窰洞ヤオトン)に一泊し、一夜を語り明かす。


大師京国旧、徳業天機秉。
大師先生は都での宿老で、徳をおさめる事業において、(天子から理不尽な仕打ちをされても)天地自然の微妙なはたらきをもっておられる。
大師 賛公をうやまっていう。○東国 みやこ、長安。○ 宿老、仏教界の中での重要な地位。○徳業 徳を積むための事業。○天機乗 乗はもっていること、天機は天然の微妙なはたらき。 造化の秘密。天地自然の神秘。  生まれつきの才能。  天子の機嫌。天気。この語は、天子から謫居という理不尽な仕打ちをされても、天地自然から受けているその力をいう。


従来支許遊、興趣江湖迥。
これまでわたしと僧支遁と晋の世人の許絢とのような交遊をしていただいている、江湖の遠きに在るが如き興趣をいだいておられた。
従来 これまで、ここは自己と賛公との旧交についていう。○支許遊 支は僧支遁、字は道林、許は許絢、晋の世の人、稚摩経を講ずるとき、支遁は法師となり、許絢は都講となったという、ここは僧と俗人との交際をいい、支を費に、許を自己にあてていう、必ずしも仏経を講ずることをいうのではない。○江湖迥 はるかな江湖の地に在るような興趣を抱く。


数奇謫関塞、道広存箕潁。
それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。
数奇 「数」は運命、「奇」は不運の意》1 運命のめぐりあわせが悪いこと。また、そのさま。不運。「報われることのなかった―な人」2 運命に波乱の多いこと。また、そのさま。「漢書」(李広伝)に「李広数奇」とある。数の字を「しばしば」の意とみるものと、「かず」の意とみるものとある。奇は奇偶の奇で二二五七等は奇のかず、二四六八等は偶のかず、偶ならばよい運命とであうこと、奇であればちぐはぐでよい運命にであわないこと、李広は敗軍した故に「奇ナリ」という。さて数奇の二字、数「数」奇の意で「奇」字のうえに「数」を略したものとみる考えである「数奇」を「道広」と対させているが故に「数奇」の意を用いたものとおもわれる。○関塞 秦州のとりでをさす。○道広 道は広大であって超俗の心。○存箕穎 存は「箕穎の心」をもっていること、箕頴は「箕山頴水」、むかし許由・巣父が堯から天下を譲られたのを避けてそこにのがれた故事、世俗に超越する考えをいう。


何知戎馬間、復接塵事屏。』
それがため意外にもわたしはこの安史の兵乱のなかで、ふたたび閑静な隠棲の御境遇にちかづくことができた。』
何知 意外にも。○ 接近すること、杜甫が賛公に。○塵事屏 塵事は俗世間の事、屏はしりぞけ去ること、賛公の閑静な隠棲の境遇をさす。


幽尋豈一路、遠色有諸嶺。
はるか遠方の蒼い嶺の色をながめるとまだ色々の嶺がある、決して奥深く尋ねて入るに路が一筋だけに限るのではあるまい。
幽尋 おくふかくたずねる。○遠色 遠くのみねの蒼い色。


晨光稍朦朧、更越西南頂。』
あすの朝あけぼ時刻にちかくなったならば、さらにまた西南方面のみねのいただきを越えてみましょう。』
晨光 よくあさのあさひのひかり。○棺 すこしずつ、ようやく。○朦朧 おぼろなさま。○西南頂 西南みねのいただき。成都方面を指す。隠遁したいこの秦州の西枝村にも吐蕃が攻め入ったことで嫌気がしたのであろうか。


 
<解説> 
詩のはじめ八句は導入部で、夜の土室のようすが描かれ、中六句で、杜甫は賛公大師のような徳行の僧と知り合いになれ、支遁(しとん)と許詢(きょじゅん)の交わりのような親しい交わりを結んでもらったことを感謝している。そして、不運にもいまは辺塞に謫居させられているが、道は広々とひらけていて、超俗の境地におられるだけだと、慰めの言葉を述べている。
 杜甫の場合は、処罰を受けて秦州に来たわけではないので、励ましの言葉を述べたのかもしれない。
 後六句でも戦乱の世に遭遇した不運を述べ、賛公大師を励ましている。注目すべきは、尾聯の二句で「晨光 稍く朦朧たらば 更に西南の頂を越えん」と言っていることで、西南の山を越えるのは蜀に行くことで、ここでは賛公大師に呼びかける形になっているが、杜甫自身がまもなく西南の山を越えて蜀に行くことになるということである。賛公大師との夜を徹しての話の中で、蜀の地に行くことが話題になったというのであろう。