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貽阮隱居
阮隠居にこの詩を贈る
陳留風俗衰,人物世不數。塞上得阮生,迥繼先父祖。
戦国時代のこの地方は栄えていたけれども、今は世俗のことはおとろえてきている、昔は世に輩出した人物も数多くいたが今ではいないようだ。
秦州の塞に登った時阮先生とお会いできた、先生は早くから父や先祖からの家系を引き継いでおられる。

貧知靜者性,白益毛發古。車馬入鄰家,蓬蒿翳環堵。

貧しきことを知るひとであり、靜者の品性をもっておられる、白髪がますます増えているが昔から白髪交じりであったそうだ。
車馬が通ってきて隣の家に入っていくが、先生の家のまわりは草ぼうぼうの野原のようで小さい家を見えなくしている。

清詩近道要,識子用心苦。
阮隠居が詠う清々しい詩は近頃の人間の進むべき道の重要なものである、先生を知ったことによって、戦乱の苦しみに対する心構えができるのだ。
尋我草徑微,褰裳踢寒雨。
先生は我家を尋ねてくださるのに、草をかきわけ小道をぬけてこられる、雨の時は着物の巣ををたくし上げてこられる。
更議居遠村,避喧甘猛虎。
ただ、今またここより離れた遠くの村に移ろうかとされている。ここでも喧騒が嫌で喩え猛虎が出ようとも甘んじてよいといわれる。
足明箕潁客,榮貴如糞土。
明らかなことであるのは、かつて許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人であるということだ、そして栄光と貴き家柄というものもいっしょに捨てて畑の糞土にかきまぜ耕すような人である。

(阮隠居に貽【おく】る)
陳留 風俗衰え、人物 世に數えず。
塞上に 阮生を得て,迥繼【けいけい】するは 父祖を先んず。
貧知して 靜者の性,白益 毛發 古なり。 
車馬 鄰家に入り,蓬蒿して 翳環の堵となり。

清詩 近道の要,子を識り 心苦しむを用う。
我を 草の逕【みち】の微なるに尋ね、裳【も】を褰【かか】げて 寒雨を踏みきたる。
更に議す 遠き村に居さんことを、喧を避け 猛虎に甘んず。
明らかにするに足る 箕潁【キエイ】の客の、栄と貴とをば 糞土の如くするを。


現代語訳と訳註
(本文)

清詩近道要,識子用心苦。尋我草徑微,褰裳踢寒雨。
更議居遠村,避喧甘猛虎。足明箕潁客,榮貴如糞土。


(下し文)
清詩 近道の要,子を識り 心苦しむを用う。
我を 草の逕【みち】の微なるに尋ね、裳【も】を褰【かか】げて 寒雨を踏みきたる。
更に議す 遠き村に居さんことを、喧を避け 猛虎に甘んず。
明らかにするに足る 箕潁【キエイ】の客の、栄と貴とをば 糞土の如くするを。


(現代語訳)
阮隠居が詠う清々しい詩は近頃の人間の進むべき道の重要なものである、先生を知ったことによって、戦乱の苦しみに対する心構えができるのだ。
先生は我家を尋ねてくださるのに、草をかきわけ小道をぬけてこられる、雨の時は着物の巣ををたくし上げてこられる。
ただ、今またここより離れた遠くの村に移ろうかとされている。ここでも喧騒が嫌で喩え猛虎が出ようとも甘んじてよいといわれる。
明らかなことであるのは、かつて許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人であるということだ、そして栄光と貴き家柄というものもいっしょに捨てて畑の糞土にかきまぜ耕すような人である。


(訳注)貽阮隱居
清詩 近道要,識子 用心苦。
阮隠居が詠う清々しい詩は近頃の人間の進むべき道の重要なものである、先生を知ったことによって、戦乱の苦しみに対する心構えができるのだ。
清詩 清は聖人、濁は賢人。ここでは阮隠居が詠う詩をいう。・近道 近頃の人間の進むべき道。


尋我 草徑微,褰裳 踢寒雨。
先生は我家を尋ねてくださるのに、草をかきわけ小道をぬけてこられる、雨の時は着物の巣ををたくし上げてこられる。


更議 居遠村,避喧 甘猛虎。
ただ、今またここより離れた遠くの村に移ろうかとされている。ここでも喧騒が嫌で喩え猛虎が出ようとも甘んじてよいといわれる。


足明 箕潁客,榮貴 如糞土。
明らかなことであるのは、かつて許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人であるということだ、そして栄光と貴き家柄というものもいっしょに捨てて畑の糞土にかきまぜ耕すような人である。
箕潁客 許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人ということ。高士傳 『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)
堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういう話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。