秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413





はつづき、みかづきをみてそのさまを詠んでいる。759年乾元二年秦州での作。以下「苦竹」に至るまで皆同期の秦州抒情詩 作85首(1) 85首(2)のうちこのブログで秦州抒情詩と名付けているものである。この詩は杜甫『天河』と並べて読むものである。


銀河002
 
天河
常時任顯晦,秋至輒分明。
いつもの天の川ははっきり見えたりくらくて見えなかったり時に任せた様子をしているが、秋になればうってかわっていよいよはっきりみえてくる。
縱被微雲掩,終能永夜清。
たとえある時すこしの浮雲にふさがれ、おおわれるとしても、結局は秋のながい夜においては澄み渡るのである。
含星動雙闕,伴月照邊城。
その光は星の光をつつんで先ずここより東の都の大明宮の小門に働きだし、月光とともにはるか西にかたよった秦州の樓塞まで傾いて照らしてくれる。
牛女年年渡,何曾風浪生。

この河には毎年牽牛と織女が渡って逢うというのであるが、その時だけ天河の風浪がないのだろうが旅人の我々夫婦には波浪が今生じているのだ。
(天 河)
常時顕晦【けんかい】に任す、秋至れば転【うた】た分明【ぶんめい】なり。
縦【たと】い浮雲に掩被【えんぴ】されるも、終【つい】に能く永夜【えいや】清し。
星を含みて双闕【そうけつ】に動き、月に伴いて辺城に落つ。
牛女 年年渡る、何ぞ曾て風浪【ふうろう】生ぜん。


初  月
八月三日の月
光細弦欲上,影斜輪未安。
初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。
微升古塞外,已隱暮雲端。
それであまのがわは秋の鮮明な輝き色を依然として変わらないし、辺境の塞・関所はむなしくそしていたずらに寒そうになってくる。
河漢不改色,關山空自寒。
この初月、三日月はちょっと秦州の古くからあるこの塞のすこし上にのぼりかけた、はや遅い時間の雲の端にかくれてしまっている。
庭前有白露,暗滿菊花團。

庭先をみればもう白露がおりている。菊の花のうえにしとどにおいておる。三日月で葉影、木陰に暗い闇が広がり、菊花が妓女の舞う団扇のように満ち溢れている。



現代語訳と訳註
(本文)

光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。
河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。


(下し文) (初 月【はつづき】)
光細くして弦 初めて上る、影斜めにして輪 未だして安からず。
微【わずか】に升る古塞の外、己に隠る暮雲の端。
河漢【かかん】色を改めず、関山【かんざん】空しく自ずから寒し。
庭前に白露あり、暗に菊花の団に満ちる。


(現代語訳)
八月三日の月
初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。
それであまのがわは秋の鮮明な輝き色を依然として変わらないし、辺境の塞・関所はむなしくそしていたずらに寒そうになってくる。
この初月、三日月はちょっと秦州の古くからあるこの塞のすこし上にのぼりかけた、はや遅い時間の雲の端にかくれてしまっている。
庭先をみればもう白露がおりている。菊の花のうえにしとどにおいておる。三日月で葉影、木陰に暗い闇が広がり、菊花が妓女の舞う団扇のように満ち溢れている。

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 (訳注)
(初 月)

八月三日の月
初月【はつづき】三日月。陰暦で月の初めに西の空に見える細い月。陰暦八月三日の月を指すこともあり、「秋」の季語でもある。 また、月と太陽の視黄経が等しくなるその時刻を指し、朔(さく)と言われることもある。新月 には美しい浄化のエネルギーに満ちあふれており、何かを始めるのには最適な時刻だと感じて作った作である。
また、陰暦8月の初月というのであれば、杜甫が秦州に来て間もないころの作となるし、あるいは9月の初旬の月であろうか。


光細弦欲上,影斜輪未安。
初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。
弦欲上 月の弦形がうわむきになる。○ 三日月の底辺が円弧をなし、微かなリングをなすことをいう。○ 三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる。


微升古塞外,已隱暮雲端。
この初月、三日月はちょっと秦州の古くからあるこの塞のすこし上にのぼりかけた、はや遅い時間の雲の端にかくれてしまっている。
古塞 古くからある秦州の塞をさす。古い塞と訳すと荒れ果てた古城という意味になる。


河漢不改色,關山空自寒。
それであまのがわは秋の鮮明な輝き色を依然として変わらないし、辺境の塞・関所はむなしくそしていたずらに寒そうになってくる。
河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。○不改色 この時期の天の川は最もはっきりと見える。それが月によって色を変えられることはない、天の川によって希望を叶えるには川はなくなりはしない。変わらない意志・決意をいう。○關山 辺境の塞・関所をいう。杜甫『洗兵行(洗兵馬)』「三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。」洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295杜甫『登岳陽樓』「昔聞洞庭水,今上岳陽樓。呉楚東南坼,乾坤日夜浮。親朋無一字,老病有孤舟。戎馬關山北,憑軒涕泗流。」、李白31 『関山月』「明月出天山、蒼茫雲海間。長風幾萬里、吹度玉門關。漢下白登道、胡窺青海灣。由來征戰地、不見有人還。戍客望邊色、思歸多苦顏。高樓當此夜、歎息未應閑。」高適『塞上聞吹笛』「借問梅花何處落,風吹一夜滿關山。」とある。関所となるべき要害の山。また、ふるさとの四方をとりまく山。故郷。などの意味がある。高適の詩(2 塞上聞吹笛  田家春望 (1)除夜作○寒 人のこころよりしていう、初月、八月三日の月(9月初)は寒くなっていく月夜を謂うが、ここに至るまで、左拾遺での朝廷・華州司公参軍における二年に及ぶ疎外感はさむいことであったろう。


庭前有白露,暗滿菊花團。
庭先をみればもう白露がおりている。菊の花のうえにしとどにおいておる。三日月で葉影、木陰に暗い闇が広がり、菊花が妓女の舞う団扇のように満ち溢れている。
 新月、三日月で葉影、木陰に暗い闇が広がる。○ 菊花が妓女の舞う団扇のようにある。新月のこれから先のエネルギーを詠い、嫦娥、宝玉など月にかかわる伝説を感じ取らせる詩人として生きていく杜甫の秀作である。

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光細くして弦 初めて上る、影斜めにして輪 未だして安からず。
微【わずか】に升る古塞の外、己に隠る暮雲の端。
河漢【かかん】色を改めず、関山【かんざん】空しく自ずから寒し。
庭前に白露あり、暗に菊花の団に満ちる。
 

     
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