秦州抒情詩(16)   廃畦 杜甫 <301> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1370 杜甫詩 700- 421 

     
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《秦州抒情詩(16)   『廃畦』 杜甫700の301首目、杜甫ブログ421回目》
すたれかかったはたけのうねの野菜をみて、その感をうつす。農業に関心を持ったもの。秦州抒情詩、二十四節季を詠う。


廢畦
秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
暮景數枝葉,天風吹汝寒。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。
生意春如昨,悲君白玉盤。
万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたものがつい昨日のようにおもわれるのであるが、今のお前たちは白玉にかざられた盤上に盛られることがないであろうことは悲しいことであるといわざるをえないのだ。

秋蔬【しゅうそ】霜露に擁せらる、豈に敢て凋残【ちょうざん】を惜しまんや。
暮景【ぼけい】数枝の葉、天風 汝を吹いて寒し。
綠は泥滓【でいし】に沾【うるお】されて尽き、香は歳時【さいじ】と闌【たけなわ】なり。
生意【せいい】春 昨の如し、悲しむ君が白玉【はくぎょく】の盤。

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現代語訳と訳註
(本文)
廢畦
秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
暮景數枝葉,天風吹汝寒。
綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
生意春如昨,悲君白玉盤。


(下し文)
(廃 畦)
秋蔬【しゅうそ】霜露に擁せらる、豈に敢て凋残【ちょうざん】を惜しまんや。
暮景【ぼけい】数枝の葉、天風 汝を吹いて寒し。
綠は泥滓【でいし】に沾【うるお】されて尽き、香は歳時【さいじ】と闌【たけなわ】なり。
生意【せいい】春 昨の如し、悲しむ君が白玉【はくぎょく】の盤。


(現代語訳)
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。

廢畦image01

(訳注)
廢畦
廃畦 季節が巡って、畠のうねの野菜が枯れ始めている。杜甫は秦州でのこの時期、季節の微妙な変化に初めて気が付いたのであろう。
二十四節季の変化を詩にしたものが”秦州抒情詩の二十数首“である。の「天河」「初月」「歸燕」「擣衣」「促織」「蛍火」「兼葭」「苦竹」「除架」「廃畦」・・・・。
秦州滞在は759年七月から十月で、二十四節季では立秋から立冬までの間であった。

立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。初めて秋の気配が現れてくる頃とされる。
・処暑(しょしょ)は、二十四節気の第14。七月中(通常旧暦7月内)。
・白露(はくろ)は、二十四節気の第15。八月節(旧暦7月後半 - 8月前半)。大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。
秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16。八月中(旧暦8月内)。
・寒露(かんろ)は、二十四節気の第17。九月節(旧暦8月後半 - 9月前半)。露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ。
・霜降(そうこう)は、二十四節気の第18。九月中(通常旧暦9月内)。露が冷気によって霜となって降り始めるころ。『暦便覧』では「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」と説明している。
楓や蔦が紅葉し始めるころ。この日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼ぶ。
・立冬(りっとう)は、二十四節気の第19。十月節(旧暦9月後半 - 10月前半)。初めて冬の気配が現われてくる日。『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。
秋分と冬至の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立春の前日までが冬となる


秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
秋蔬 あきのキノコ。松茸・椎茸・湿地など大型菌類の総称であるが、詩題から野菜なども含んで全体をいうもの。
 かこまれる。
凋残 しぼみ、そこなわれる。


暮景數枝葉,天風吹汝寒。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
暮景 ゆう日のひかりにあたって。
 三四ほどであることをいう。
 蔬をさす。


綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。
綠沾二句 蔬の衰容をいう。
泥滓 滓もまたにごること、雨のための泥濁の水。枯れた様子を泥の水が染めたと尿限する。
○尽 緑色がなくなること。
○香 生きている証に香りがあるということが基本。
○闌 たけなわ、おとろえる、歳闌とは老人がとしを数える次第に多くなるような意味、香関は香のおとろえることをいう。


生意春如昨,悲君白玉盤。
万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたものがつい昨日のようにおもわれるのであるが、今のお前たちは白玉にかざられた盤上に盛られることがないであろうことは悲しいことであるといわざるをえないのだ。
生意 万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたもの。
 玉盤に盛られることのできる姿でないことについてかなしむこと。
 一定の人をさす必要はないといっている。過去、君主であるかどうかと議論が分かれたが、その意味がないわけではない。
白玉盤 白玉で作った大皿、唐では立春の節に白玉盤を以て細い生業を盛って群臣に煩かち賜わった。生菜は韮の菜のこと。又長安より寒気が早いということを意味している。