秦州抒情詩(28) 從人覓小胡孫許寄 杜甫 <313> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1406 杜甫詩 700- 433

     
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《秦州抒情詩(28)『從人覓小胡孫許寄』 杜甫700の313首目、杜甫ブログ433回目》


從人覓小胡孫許寄
(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
人說南州路,山猿樹樹懸。
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
舉家聞若駭,為寄小如拳。
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
預哂愁胡面,初調見馬鞭。
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
許求聰慧者,童稚捧應癲。
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。


現代語訳と訳註
(本文)
從人覓小胡孫許寄
人說南州路,山猿樹樹懸。
舉家聞若駭,為寄小如拳。
預哂愁胡面,初調見馬鞭。
許求聰慧者,童稚捧應癲。


(下し文)
人に從ひ 小胡孫許に覓むるを 寄せる
人說きて南州の路,山猿 樹樹に懸る。
家を舉げたるは若【かくのごと】く駭【おどろ】くを聞き,寄すことを為して小さく拳るが如し。
哂【しん】を預けて愁胡の面とし,調を初して見馬の鞭とす。
許求して慧者【さいじゃ】を聰き,童 稚くして 應癲【おうてん】を捧ぐ。


(現代語訳)
(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。


(訳注)
從人覓小胡孫許寄

(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
小胡 西域の異民族。ウィグル、トルコ・ペルシャ系異民族。
孫許 三国時代の孫策と許貢が安史の安慶緒と史忠明であるとしたもの。


人說南州路,山猿樹樹懸。
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
南州路 鄭虔や賈至が左遷された南方方面を指すものであろう。唐時代初期には福建省の一部に南州という州があったようだが「中国歴史地図」には見られなかった。
賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。


舉家聞若駭,為寄小如拳
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
・聞若駭 かくのごとくおどろくことをききおよぶ。


預哂愁胡面,初調見馬鞭
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
愁胡 心配顔のトルコ人。晋の孫楚の「鷹の賦」に「深目蛾眉、状は愁胡に似たり」とある。鷹の目つきを愁胡にたとえることは晋の孫楚の「鷹ノ賦」にある。
杜甫『畫鷹』「㩳身思狡兎、側目似愁胡。」


許求聰慧者,童稚捧應癲
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。
慧者 智慧のあるもの。・童稚 童幼。こども。
・應癲 癲癇になったらそのままにしてあげる。子供の我儘をいうことをあらわしている。




参考(1)758~759年にかけて杜甫の知人友人たちの動向
758年 春の終わりごろから、玄宗派と見られた廷臣への圧迫が強くなり、中書舎人の賈至は汝州(河南省臨汝県)刺史に左遷され、さらに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に貶された。杜甫の友人の岑参も虢州(河南省盧氏県)に貶された。杜甫『留別賈嚴二閣老兩院補缺』 送賈閣老出汝州 杜甫
 房琯は宰相を罷免されたあとも高官として遇されていたが、政事の中枢からは遠ざけられ、六月に詔書が発せられて邠州(陝西省彬県)刺史に転出となった。邠州(ひんしゅう)は杜甫が「北征」のときに通った涇水中流の城市である。長安市の市長というべき京兆尹(けいちょういん)になっていた厳武(げんぶ)は、同じ六月に巴州(四川省巴中県)の刺史に左遷となった。
 杜甫も左拾遺を免ぜられ、華州(陝西省華県)の司功参軍(しこうさんぐん)に左遷された。華州は長安の東90kmほど、華山山麓の街です。中央の清官から地方の属官に移されたわけだ。
鄭虔は台州へ流刑。
賛上人は僧侶の位をはく奪、秦州へ流刑。
王維は朝廷には出ず、輞川荘にこもった。


参考(2)蕃剣
致此自僻遠,又非珠玉裝。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。


参考(3)送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
草木歲月晚,關河霜雪清。
別離已昨日,因見古人情。
帯甲【たいこう】天地に満つ、胡【なん】為れぞ君遠く行く。
親朋【しんぽう】尽く一笑す、鞍馬【あんば】孤城より去る。
草木【そうもく】歳月晩れ 関河【かんか】霜雪清し。
別離【べつり】己に昨日、因って見る古人の情。


参考(4)所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。
鄭老【ていろう】身仍【な】お竄【ざん】せらる、台州【だいしゅう】信始めて伝う。
農と為る山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す海雲【かいうん】の辺。
世己に儒素【じゅそ】を疎んず、人猶お酒銭【しゅせん】を乞う。
徒に牛斗を望むに労す、竜泉【りゅうせん】を屬【しょ】くするに計無し。


参考(5)送人從軍
弱水應無地,陽關已近天。
今君度沙磧,累月斷人煙。
好武寧論命,封侯不計年。
馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
(人 從軍するを送る)
弱水【じゃくすい】應に地に無く,陽關 已に天に近し。
今 君 沙磧【しゃせき】を度る,累月【るいげつ】人煙【じんえん】斷ゆ。
好武 寧ろ命を論じん,封侯 年を計【かぞ】えず。
馬寒くして防ぎて道を失い,雪沒 錦【きん】の鞍韉【あんせん】なり。