寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

     
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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
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寄彭州高三十五使君適、
 虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡, 秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見, 詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士, 雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步, 沈鮑得同行。

高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。

彭州【ほうしゅう】高三十五使君適に寄せる、虢州【がくしゅう】岑二十七長史參三十韻
故人 何ぞ寄寞【きばく】?今 我 獨り淒涼【せいりょう】。
老い去りて才は盡き難し,秋來 興に甚だ長し。
物情 尤【とが】めて見る可し,詞客 未だ能く忘れず。
海內 名士を知る,雲端 各の異方。
高 岑 殊に緩步,沈鮑 同行するを得ん。


#2
意愜關飛動,篇終接混茫。舉天悲富駱,近代惜盧王。
似爾官仍貴,前賢命可傷。諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
詩好幾時見,書成無使將。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。




現代語訳と訳註
(本文)
寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
故人何寄寞?今我獨淒涼。老去才難盡,秋來興甚長。
物情尤可見,詞客未能忘。海內知名士,雲端各異方。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。


(下し文)彭州【ほうしゅう】高三十五使君適に寄せる、虢州【がくしゅう】岑二十七長史參三十韻

故人 何ぞ寄寞【きばく】?今 我 獨り淒涼【せいりょう】。
老い去りて才は盡き難し,秋來 興に甚だ長し。
物情 尤【とが】めて見る可し,詞客 未だ能く忘れず。
海內 名士を知る,雲端 各の異方。
高 岑 殊に緩步,沈鮑 同行するを得ん。


(現代語訳)
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。


(訳注)
寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻


故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
凄涼 ものさびしいさま。


老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。


物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。


海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。

海內 中国国内。

高岑殊緩步,沈鮑得同行。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
緩歩 ゆるゆるとあるく。
沈鮑   沈約と鮑照 

沈約(しんやく) 441年 - 513年 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。
竟陵八友:南斉の皇族、竟陵王蕭子良の西邸に集った文人 (①蕭衍・②沈約・③謝朓・④王融・⑤蕭琛・⑥范雲・⑦任昉・⑧陸倕)    


鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。鮑照(ほう しょう、414年?(義熙10年) - 466年(泰始2年))は、中国南北朝時代、宋の詩人。字は明遠。本籍地はもと上党郡(現在の山西省長治市)、後に東海郡(現在の江蘇省漣水県、または山東省郯城県)に移る。最後の官職である「前軍参軍」にちなみ、後世「鮑参軍」と呼ばれる。宋の文帝の元嘉年間を代表する詩人として、同時期に活躍した謝霊運・顔延之と併称して「元嘉三大家」の1人に数えられる。妹の鮑令暉も詩人として知られる。
寒門の貧しい家柄に生まれる。元嘉年間に臨川王劉義慶に認められ国侍郎・太学博士・中書舎人となる。後に荊州刺史・臨海王劉子頊のもとで前軍参軍となった。466年、劉子頊が反乱を起こして敗死すると、鮑照もその混乱の中で殺害された。
現存する詩は241首と六朝時代の詩人としては比較的多く残っている。楽府詩を得意とし、それに仮託して寒門出身ゆえの人生の不遇や艱難を詠う内容が多い。典故にもとづいた旧来の表現に拘泥せず、好んで新奇な語を用い、風景や自らの感慨を力強くダイナミックな調子で詠う作風が特徴である。そうした作風は、同時代において通俗的で典雅さに欠けると批判されることもあったが、後世の唐代の詩人に大きな影響を与えた。唐の詩人杜甫は、李白の詩才を「清新なるは 庾開府、俊逸なるは 鮑参軍」(「春日 李白を憶ふ」)と鮑照になぞらえて称えている。
春日憶李白 杜甫「清新庚開府,俊逸鮑參軍。」(清新は庚開府 俊速は飽参軍)