寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#4> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1439 杜甫詩 700- 444

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
#2
意愜關飛動,篇終接混茫。
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
無錢居帝裡,盡室在邊疆。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。

#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。


現代語訳と訳註
(本文)

何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。


(下し文)
何と太【はなはだ】しいことか龍鐘【りょうしょう】の極【きわ】み,今に於て出處の妨げ。
銭無くて帝里【ていり】に居り、尽室【じんしつ】は みな辺疆【へんきょう】に在る。
劉表【りゅうひょう】恨を遺ると雖ども,龐公【ろうこう】死して藏に至る。
心微かにして傍に魚鳥あり,肉瘦【や】せて豺狼【ひょうろう】に怯【おび】える。
隴【ろう】の草 蕭蕭として白,洮の雲 片片として黃。


(現代語訳)
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。


(訳注)
何太龍鐘極,於今出處妨。
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
・龍鐘 年老いて疲れ病むさま。失意のさま。涙を流すさま。行き悩むさま。岑參『逢入京使』「故園東望路漫漫,雙袖龍鐘涙不乾。馬上相逢無紙筆,憑君傳語報平安。」


無錢居帝裡,盡室在邊疆。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
帝里 みやこ。
尽室 官を辞して家族全員で移動するほどの意。


劉表雖遺恨,龐公至死藏。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
劉表(142年漢安元年- 208年建安13年8月)は、中国後漢末期の政治家・儒学者。字は景升(けいしょう)。山陽郡高平県の人。前漢の景帝の第4子である魯恭王劉余の子孫。後漢の統制力が衰えた後に荊州に割拠した。建安13年(208年)、曹操が荊州に侵攻を開始。劉表は曹操が荊州入りする直前に病死した。享年67(65の説あり)[11]。死後、庶子の劉琮が家督を継いだが、長子の劉琦も劉備によって江夏の主として盛り立てられた。
龐公 龐徳公『遣興五首其二 ⑨』の「龐徳公」の条を参照。
遣興五首其二
昔者龐德公,未曾入州府。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
秦州雜詩二十首 其十五』 
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
塞門風落木,客舍雨連山。
阮籍行多興,龐公隱不還。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。


心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。


隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。
 秦州は隴右道であるが、隴西は西方への主要重点都市であった。吐蕃軍の恐怖の表現である。
 秦州から北西方面の重要都市の臨洮のこと。ここで軍が動けば、黄土の砂塵が凄まじいのでこの句の表現をしたもの。ウイグルの異民族の恐怖の表現である。