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時來故舊少,亂後別離頻。
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
世祖修高廟,文公賞從臣。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
商山猶入楚,渭水不離秦。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
存想青龍秘,騎行白鹿馴。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
耕岩非穀口,結草即河濱。

あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。


現代語訳と訳註
(本文)

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。
商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。
耕岩非穀口,結草即河濱。


(下し文)
時来たって故旧少なく 乱後別離頻りなり
世祖高廟を修む 文公従臣を賞す
商山猶お楚にガる 洞水秦を離れず
想いを存す青竜の秘なるに 騎行す白鹿の馴るるに
巌に耕すは谷口に非ず 草を結ぶは即ち河浜


(現代語訳)
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。


(訳注)
時來故舊少,亂後別離頻。
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
時来 太平の時節が到来した、下句の乱後に対して。倒句で読むほうがよい。
故旧 ふるなじみの友人知人。
別離頻 このわかれのなかに今回の張彪とのわかれをふくめていう。


世祖修高廟,文公賞從臣。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
世祖 後漢の光武帝の廟号。○修 修繕。○高廟 漢の高祖の廟、光武は建武二年正月に高祖の廟を洛陽に立てたことをいい、ここではどうように粛宗が乾元元年四月に九廟が落成して神儀を迎えて新廟に入れたことをいう。
文公賞従臣 「左伝」(僖公廿四年)にみえる、晋の文公が本国を出て諸国をさまよい国にかえるに及んで従者を賞した。粛宗の至徳二載十二月、玄宗に蜀に従ったもの及び粛宗に霊武に従った諸臣に封爵を加えたことをいう。


商山猶入楚,渭水不離秦。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
商山猶入楚 隠棲地である商山は今なお唐の支配下の中に有る。商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。中国秦末、国乱を避けて陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士。全員鬚(ひげ)や眉が真っ白の老人であった。
渭水不離秦 渭水は安史軍を排除して、唐の支配下にある。
渭水で釣りをしていたところを文王が「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えた周の軍師となり、文王の子武王を補佐し、殷の帝辛(受王)を牧野の戦いで打ち破る。後に斉に封ぜられる。兵法書『六韜』の著者とされた


存想青龍秘,騎行白鹿馴。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、あなたはまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
存想青竜秘 存想は思想をそこにとどめること、青竜秘とは青竜が斎室の前後をまもっておるものと考えるなどの神秘的なことをいう。二十八宿を7宿ごとにまとめた四象があり、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀に四分された。
騎行 普通は馬にのってあるく。ここでは鹿。〇白鹿 仙人ののるもの。


耕岩非穀口,結草即河濱。
あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。
耕巌非谷口 漢の鄭撲字は子真が長安の南、谷口に居り、巌石の下に耕したということが「揚子法言」に有ることに基づく。此の句は張彪の隠れる地が長安近くではないことをいう。『鄭駙馬宅宴洞中』「自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。」(自ら是 秦楼  鄭谷を圧す、時に聞く 雑佩の声珊珊たるを。) 
結草即河浜 「神仙伝」に、“漢の文帝の時、河上公が草庵を河浜につくり、老子を読んだ。ここに文帝が駕してここに詣る。”とある。道家着流の作り話であるが、河は黄河、此の句は張彪の隠れるところが洛陽近くであることをいう。