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“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1511 杜甫詩 700- 468 
詩 題:“同谷紀行(1)” 發秦州
掲 載; 杜甫700の321首目-#1
杜甫ブログ;468回目

發秦州
*〔原注〕 乾元二年自秦州赴岡谷縣紀行。
我衰更瀬拙、生事不自謀。
自分は老い衰えかかってきてこれまでよりも一層無精で世わたり術が上手くなくなってきた、暮らしむきのことなど自分で工夫しようと思わなくなった。
無食問楽土、無衣思南州。
食物が無くなるとどこか安楽にくらせる土地はないかと人にたずね、衣が無いから暖かい南方の地方へ行こうとおもうのである。』
漢源十月交、天氣涼如秋。
漢源地方(即ち同谷の地方)は十月一日のころだと、天気がすずしい秋のようであるという。
草木未黄落、況聞山水幽。

草木も黄ばんで落ちぬということであり、ましてそこには山水の静かな隠遁地があると聞いている。

#2
栗亭名更佳、下有良田疇。
充膓多薯蕷、崖蜜亦易求。
密竹復冬笋、清池可方舟。
雖傷旅寓遠、庶遂平生遊。
#3
此邦俯要衝、實恐入事稠。
應接非本性、登臨未銷憂。
谿谷無異石、塞田始微收。
豈復慰老夫、惘然難久留。
#4
日色隱孤戍、烏啼滿城頭。
中霄驅車去、飮馬塞塘流。
磊落星月高、蒼茫雲霧浮。
大哉乾坤内、吾道長悠悠。

(秦州より発す)
(乾元二年秦州より同谷保に赴くとき)
我衰えて更に懶拙【らんせつ】なり、生事【せいじ】自ら謀【はか】らず。
食無うして楽土を問い、衣無うして南州【なんしゅう】を思う。』
漢源【かんげん】十月の交、天気涼秋の如し。
草木未だ黄落せず、況んや山水の幽なるを聞くをや。
#2
粟亭【りつてい】名更に嘉し、下に艮田【りょうでん】疇【ちゅう】あり。
腸に充つるに薯蕷【しょよ】多く、崖蜜【がいみつ】亦た求め易し。
密竹【みつちく】には復た冬筍【とうじゅん】あり、清地【せいち】舟を方す可し。
旅寓【りょぐう】の遠きを傷むと雖も、庶【こいねが】わくは平生の遊を遂げん。』
#3
此の邦 要沖【ようちゅう】に俯す、実に恐る人事の稠【おおき】きを。
応接【おうせつ】本性に非ず、登臨【とうりん】未だ憂いを銷せず。
溪穀【けいこく】異石無く、塞田【さいでん】始めて微【すこ】しく収む。
豈に復た老犬を慰めんや、惘然【もうぜん】久しく留まり難し。』
#4
日色孤戍【こじゅ】に隠れ、烏啼きて城頭に満つ。
中宵【ちゅうしょう】車を駆り去り、馬に寒塘【かんとう】の流れに飲【みずこ】う。
磊落【らいらく】星月高く、蒼茫【そうぼう】雲霧浮かぶ。
大なる哉 乾坤【けんこん】の内、吾が道長く悠悠たり。』


現代語訳と訳註
(本文)
#1
我衰更懶拙,生事不自謀。無食問樂土,無衣思南州。』
漢源十月交,天氣涼如秋。草木未黃落,況聞山水幽。


(下し文)
(秦州より発す)

(乾元二年秦州より同谷保に赴くとき)
我衰えて更に懶拙【らんせつ】なり、生事【せいじ】自ら謀【はか】らず。
食無うして楽土を問い、衣無うして南州【なんしゅう】を思う。』
漢源【かんげん】十月の交、天気涼秋の如し。
草木未だ黄落せず、況んや山水の幽なるを聞くをや。


(現代語訳)
自分は老い衰えかかってきてこれまでよりも一層無精で世わたり術が上手くなくなってきた、暮らしむきのことなど自分で工夫しようと思わなくなった。
食物が無くなるとどこか安楽にくらせる土地はないかと人にたずね、衣が無いから暖かい南方の地方へ行こうとおもうのである。』
漢源地方(即ち同谷の地方)は十月一日のころだと、天気がすずしい秋のようであるという。
草木も黄ばんで落ちぬということであり、ましてそこには山水の静かな隠遁地があると聞いている。


(訳注)#1
發秦州

*〔原注〕 乾元二年自秦州赴同谷縣紀行。
秦州 甘粛省秦州。
乾元二年 西暦759年
同谷県 甘粛省階州の成県、成県はもと西康州治であったが、唐の貞観の初めには成州に属させ、廃康州の同谷県を兼ね領した、天宝の初め同谷郡とし、乾元の初めまた成州となした、作者がいま同谷県というときは当時はかく称したものとみえる、位置は秦州のほとんど正南にあたっている、「九域志」に秦州から成州まで西南二百六十里とある。
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台
秦州成州00
凡例 薄茶色部分は秦州、ピンク色は成州を示す。

杜甫『秦州雑詩二十首』其三に同谷について述べている。
秦州雑詩二十首其三
州図領同谷、駅道出流沙。
降虜兼千張、居人有万家。
馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
年少臨洮子、西来亦自誇。
秦州雜詩二十首 其三 杜甫 第1部 <256> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1217 杜甫詩 700- 370

我衰更懶拙,生事不自謀。
自分は老い衰えかかってきてこれまでよりも一層無精で世わたり術が上手くなくなってきた、暮らしむきのことなど自分で工夫しようと思わなくなった。
懶拙 ぶしようで世わたりべた。
杜甫『冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿』「懶回
杜甫『曲江對酒』「懶朝」と謙遜に使ったり、隠者ブル感じの時に使う。
冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌
生事 くらしむきのこと。


無食問樂土,無衣思南州。』
食物が無くなるとどこか安楽にくらせる土地はないかと人にたずね、衣が無いから暖かい南方の地方へ行こうとおもうのである。』
○この二句は杜甫が理想と考えていることでよく出て來る言葉である。杜甫が旅に出たり、移動するのは、戦争のためであり、季節はほとんどの場合、秋から冬である。そのため楽なところは、南方面と考えている。
楽土 『詩経・碩鼠』「樂土樂土,爰得我所。」(楽土、楽土、爰に我が所を得ん)。安楽な土地。安楽なところ。
南州 南方の地方。


漢源十月交,天氣涼如秋。
漢源地方(即ち同谷の地方)は十月一日のころだと、天気がすずしい秋のようであるという。
漢源 同谷の地方。成県には西漢水と鳳渓水があり、嘉陵江に注ぐ、嘉陵江は長江の上流の名である。成都近くに漢州、漢源縣があり、温暖で穀物も豊かである場所がある。
〇十月交 『詩経 節南山之什 十月之交』の毛伝には「之交は日月の交会なり」とといている、十月一日のこという。


草木未黃落,況聞山水幽。
草木も黄ばんで落ちぬということであり、ましてそこには山水の静かな隠遁地があると聞いている。
黄落 木葉が黄ばんで落ちる。
 静かな隠遁に適した場所。幽邃:景色などが奥深く静かなこと。