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“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1517 杜甫詩 700- 470 

・詩  題 :“同谷紀行(1)” 發秦州
・掲  載 ; 杜甫700の321首目-#3
・杜甫ブログ;470回目

1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台

(ここからあとは土地を取得できなかったことの負け惜しみに言っている。)#3
此邦俯要衝,實恐人事稠。
ここの秦州はこの国の様々な分野での要路になっていて、世事・人事、俗事が多すぎることを恐れるのである。
應接非本性,登臨未銷憂。
ここにいて、雑多の人間に応接することは自分の本性ではない、ここでは山水に登臨してみても自分の憂いを晴らすには足らないのである。
溪穀無異名,塞田始微收。
谷をのぞいて、風流の気持ちを起させる奇妙な石がみられるでなく、良い部分を塞が占めて残りの田地からはやっとすこし収穫ができたような始末だ、
豈複慰老夫?惘然難久留。』
これではどうして年取った自分を慰めることができようか、自分は生計の手段がこんなであるためぼんやりとしてしまい、とてもここにはながくとどまっているわけにゆかぬのである。(それだからここを立ち去るのだ。)』
此の邦 要衝【ようしょう】に俯す、実に恐る人事の稠【おおき】きを。
応接【おうせつ】本性に非ず、登臨【とうりん】未だ憂いを銷せず。
溪穀【けいこく】異石無く、塞田【さいでん】始めて微【すこ】しく収む。
豈に復た老犬を慰めんや、惘然【もうぜん】久しく留まり難し。』


現代語訳と訳註
(本文)
#3
此邦俯要衝,實恐人事稠。應接非本性,登臨未銷憂。
溪穀無異名,塞田始微收。豈複慰老夫?惘然難久留。』


(下し文)
此の邦 要衝【ようしょう】に俯す、実に恐る人事の稠【おおき】きを。
応接【おうせつ】本性に非ず、登臨【とうりん】未だ憂いを銷せず。
溪穀【けいこく】異石無く、塞田【さいでん】始めて微【すこ】しく収む。
豈に復た老犬を慰めんや、惘然【もうぜん】久しく留まり難し。』


(現代語訳)
(ここからあとは土地を取得できなかったことの負け惜しみに言っている。)
ここの秦州はこの国の様々な分野での要路になっていて、世事・人事、俗事が多すぎることを恐れるのである。
ここにいて、雑多の人間に応接することは自分の本性ではない、ここでは山水に登臨してみても自分の憂いを晴らすには足らないのである。
谷をのぞいて、風流の気持ちを起させる奇妙な石がみられるでなく、良い部分を塞が占めて残りの田地からはやっとすこし収穫ができたような始末だ、
これではどうして年取った自分を慰めることができようか、自分は生計の手段がこんなであるためぼんやりとしてしまい、とてもここにはながくとどまっているわけにゆかぬのである。(それだからここを立ち去るのだ。)』


(訳注)
#3發秦州
*〔原注〕 乾元二年自秦州赴岡谷縣紀行。
秦州 甘粛省秦州。
乾元二年 西暦759年
同谷県 甘粛省階州の成県、成県はもと西康州治であったが、唐の貞観の初めには成州に属させ、廃康州の岡谷県を兼ね領した、天宝の初め岡谷郡とし、乾元の初めまた成州となした、作者がいま同谷県というときは当時はかく称したものとみえる、位置は秦州のほとんど正南にあたっている、「九域志」に秦州から成州まで西南二百六十里とある。



(ここからあとは土地を取得できなかったことの負け惜しみに言っている。)
此邦俯要衝,實恐人事稠。
ここの秦州はこの国の様々な分野での要路になっていて、世事・人事、俗事が多すぎることを恐れるのである。
此邦 秦州をさす。
僻要衝 僻は臨に同じ、要衝は交通の要路をいう。秦州は北域と西域に通じる要路であった。又シルクロードの南・北各ルートの分岐点でもあった。この時は吐蕃が沙州に反乱を起こしたため、鎮圧軍の集積地でもあった。衝が沖のテクストもあるが同じ。
人事稠 世俗の事務が多い。この頃の雑事と云えば、土地取得に関することであろう。それに土地取得してから近隣との付き合いも出て來ることにより憂慮することが多いと感じていた。東西に行きかう人のたまり場であること。


應接非本性,登臨未銷憂。
ここにいて、雑多の人間に応接することは自分の本性ではない、ここでは山水に登臨してみても自分の憂いを晴らすには足らないのである。
応接 うけこたえをする。○登臨 その地の山に登り水に臨みしてあそぶこと。


溪穀無異名,塞田始微收。
谷をのぞいて、風流の気持ちを起させる奇妙な石がみられるでなく、良い部分を塞が占めて残りの田地からはやっとすこし収穫ができたような始末だ、
異石 非凡の形状をした石。○塞田 とりでのある地の田。○徴収 すこし収穫がある。


豈複慰老夫?惘然難久留。』
これではどうして年取った自分を慰めることができようか、自分は生計の手段がこんなであるためぼんやりとしてしまい、とてもここにはながくとどまっているわけにゆかぬのである。(それだからここを立ち去るのだ。)』
老夫 自ずから称する。○憫然 気のぬけたさま。