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2012年12月1日から連載開始
唐五代詞詩・宋詞詩

『菩薩蠻 一』温庭筠   花間集

“同谷紀行(11)” 泥功山 杜甫 1000<330> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1568 杜甫詩 1500- 487 


詩 題:“同谷紀行(11)” 泥功山  759年11月
掲 載; 杜甫700の330首目-#1
杜甫ブログ;487回目
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 
11.泥功山→ 12.鳳凰台

秦州同谷0002k52

泥功山
朝行青泥上,暮在青泥中。
(此処の泥田に遭遇すると王維との思いでに、)朝方青泥城に上った、夕方には青泥の堤の中でジュンサイを取ったことがあった。
泥濘非一時,版築勞人功。
しかしこの地のぬかるみは雪解けの一時的なものとは違うようだ、土を層状につき固めて堤をつくる労働者たちの功績によって、やっと通ることが出来るのである。
不畏道途永,乃將汩沒同?
自分の信じる道はいかに遠くて長い道のりであっても恐れることはないのである。それはまさに屈原が自分の信念を曲げないが途中であきらめて汨羅に身を投じた故事でわかるではないか。
白馬為鐵驪,小兒成老翁。
白馬にのって鉄山や驪山を制覇したというても、いつまでも若いばかりでなく老人になっていくものである。
哀猿透卻墜,死鹿力所窮。
悲しい声で叫ぶ猿も何もなくなった木からは落ちてしまうだろうし、詩経にいう死鹿は狩りにより囲まれれば力尽きてしまうものである。
寄語北來人,後來莫匆匆。

そんな風に思っていると秦州の方から書簡を持ってきてくれた人がいる。それによると人生、年を取っていくとしてもあくせくするものではないということであった。

現代語訳と訳註
(本文)
泥功山
朝行青泥上,暮在青泥中。泥濘非一時,版築勞人功。
不畏道途永,乃將汩沒同?白馬為鐵驪,小兒成老翁。
哀猿透卻墜,死鹿力所窮。寄語北來人,後來莫匆匆。


(下し文) 泥功山
朝に行く 青泥【せいでい】の上,暮に在る 青泥の中。
泥濘【でいねい】は一時に非らず,版築【はんちく】人功を勞す。
道は永らく途くを畏れず,乃ち將って汩に沒すと同じうす?
白馬 鐵驪【てつり】を為し,小兒 老翁と成す。
哀猿 卻【かえ】て透して墜る,死鹿【しろく】力窮きる所なり。
北より來人して語を寄せる,來りて後 匆匆【そうそう】とする莫れ。


(現代語訳)
(此処の泥田に遭遇すると王維との思いでに、)朝方青泥城に上った、夕方には青泥の堤の中でジュンサイを取ったことがあった。
しかしこの地のぬかるみは雪解けの一時的なものとは違うようだ、土を層状につき固めて堤をつくる労働者たちの功績によって、やっと通ることが出来るのである。
自分の信じる道はいかに遠くて長い道のりであっても恐れることはないのである。それはまさに屈原が自分の信念を曲げないが途中であきらめて汨羅に身を投じた故事でわかるではないか。
白馬にのって鉄山や驪山を制覇したというても、いつまでも若いばかりでなく老人になっていくものである。
悲しい声で叫ぶ猿も何もなくなった木からは落ちてしまうだろうし、詩経にいう死鹿は狩りにより囲まれれば力尽きてしまうものである。
そんな風に思っていると秦州の方から書簡を持ってきてくれた人がいる。それによると人生、年を取っていくとしてもあくせくするものではないということであった。


(訳注)
泥功山 
中國歴史地図唐時代で確認すると「泥功山」は同谷の南に位置し、杜甫一行は同谷に到着したのであろう。崖の切り立った山の上に田があるという。同谷はに積草嶺、西に仇池山、南に泥功山、南南東に宝井堡、東南に鳳凰山がある。
・ とりで土や石で築いた宝井堡の小城がある。「堡塞(ほうさい)・堡塁(ほうるい)のことをうたったもの。
麻姑は古代神話中の人物で、相伝によると、毎年3月3日、西王母の長寿を祝う蟠桃盛会が行なわれるが、麻姑は霊芝を醸した美酒を携え、西王母の寿礼を献じる伝説が伝わる地域である。


朝行青泥上,暮在青泥中。
(此処の泥田に遭遇すると王維との思いでに、)朝方青泥城に上った、夕方には青泥の堤の中でジュンサイを取ったことがあった。
青泥 青泥城は藍田県南七里にある。
崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?


泥濘非一時,版築勞人功。
しかしこの地のぬかるみは雪解けの一時的なものとは違うようだ、土を層状につき固めて堤をつくる労働者たちの功績によって、やっと通ることが出来るのである。
・泥濘 雨や雪解けなどで地面がぬかっている所。
・版築 土を層状につき固めて建物の基壇や壁,築地塀,城壁などをつくる方法。〈ばんちく〉ともいう。中国では夯土(こうど)といい,三方囲いの板枠を用いて家の壁や塀に広く用いられる。最古の例は殷代早期の河南省偃師二里頭遺跡の宮殿基壇で,竜山文化期から戦国時代にかけての城壁や大墓にみられるほか,漢代から現在まで引き続き行われている。


不畏道途永,乃將汩沒同?
自分の信じる道はいかに遠くて長い道のりであっても恐れることはないのである。それはまさに屈原が自分の信念を曲げないが途中であきらめて汨羅に身を投じた故事でわかるではないか。
・汩沒 楚の屈原が自己の信じて諫言をしたが天子が改めることをしないことを儚んで、汨羅に身を投じて死んだ故事。


白馬為鐵驪,小兒成老翁。
白馬にのって鉄山や驪山を制覇したというても、いつまでも若いばかりでなく老人になっていくものである。
白馬 白馬については杜甫は故事を例にとった詩を多く残している。①曹植『白馬篇』「白馬飾金羈、連翩西北馳。」
②後漢代の末に白馬氐(はくばてい)部族の楊駒が仇池国を興し、三百八十年にわたり周辺を支配した。
③白馬は梁の叛将侯景の故事。ここは史思明等の賊将をさす、史思明は時に魏州(河北省大名府元城県東)を陥落させている。侯景は北魏の爾朱栄軍で頭角を現し、北魏が東西に分裂すると東魏の高歓の旗下に入り、河南大行台に任じられる。高歓死去後、東魏への叛乱を起こし、支配する州郡と共に梁の武帝に帰順した。その後、東魏の武将慕容紹宗に敗れ、寿春(安徽省)へ退いた。梁と東魏の間に和議成立の情勢となると、梁への叛乱を起こす。548年(太清2年)、梁宗室の蕭正徳を味方に就けて10万の兵を集め、都の建康に迫った。この時白馬にまたがっていたのが侯景であった。
『秦州雑詩』、『遣興』、『先兵馬』、『哀江頭』、『驄馬行』などに白馬の記述が見える。


哀猿透卻墜,死鹿力所窮。
悲しい声で叫ぶ猿も何もなくなった木からは落ちてしまうだろうし、詩経にいう死鹿は狩りにより囲まれれば力尽きてしまうものである。
哀猿 『九成宮』「哀猿啼一聲,客淚迸林叢。」(哀猿啼くこと一声、客涙林叢に迸【ほとばし】る。)
『奉贈太常張卿洎二十韻』「檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。」(檻に束ねられて哀猿叫び 枝に驚きて夜鵲棲む)
死鹿 『詩経、召南、野有死麕』「林有樸浤、野有死鹿。白茅純束、女有り如玉。」(林に樸浤有り、野に死鹿有り。白茅純束、有女玉の如し。) 


寄語北來人,後來莫匆匆。
そんな風に思っていると秦州の方から書簡を持ってきてくれた人がいる。それによると人生、年を取っていくとしてもあくせくするものではないということであった。
・匆匆 あわただしいさま。烏兎匆匆 意味。歳月のあわただしく過ぎ去るたとえ。「匆匆」は急ぐさま、あわただしいさま。「匆匆」は「怱怱」とも書く。
酬孟雲卿
樂極傷頭白,更長愛燭紅。
相逢難袞袞,告別匆匆
但恐天河落,寧辭酒盞空?
明朝牽世務,揮淚各西東。
孟雲卿に酬ゆ
樂しみ極まれて頭白を傷む,更長【こうちょう】燭紅を愛す。
相い逢いて袞袞【こんこん】としするが難し,告別は匆匆【そうそう】とする莫れ
但恐れる天河の落るを,寧ぞ酒盞空を辭さんや?
明朝 世務に牽き,淚を揮って各々西東たり。