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 2012年12月1日から連載開始
唐五代詞詩・宋詞詩

『菩薩蠻 一』温庭筠   花間集

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詩 題:“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其七 作759年11月
掲 載; 杜甫1000の338首目
杜甫ブログ1500-497回目


(7)七言句の七番目の詩である。昔はどうであれこれからの人生に立ち向かって行こうというものである。同谷「数え歌」の終。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其七

男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
わたしは男児に生まれてこのかた、功名を成しとげるということができてはいない。その内年をとってしまって、三年の間、あれはてた山中の道を飢餓に駆られて走っているようなありさまだ。
長安卿相多少年,富貴應須致身早。
長安で知り合った卿相たちは多くは若い時からの付き合いではあるが、かれらはまだ若いのである。してみれば老いてはだめなので、早くその身をなんとしてでも富貴の地位に致さないといけないというものなのだ。
山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。』
この山中にいるとはいえ、儒生たるわたしはふるくから彼ら富貴の人人とは知り合いなのだが、この隔たりはどうだ。だからこうして昔話をしたりすれば自分は胸のうちがかなしくなってくるのである。』
嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。』

ああ ここまで詠った七言のこれは第七の歌である。これで心のひきたたぬままに曲を終るのである。そうであれば、太陽がどんどん早くはしりゆく大空を眺め、これからの人生に向かって行こうではないか。』 
男児 生まれて名を成さず 身己に老い、三年 飢走【きそう】す 荒山の道。
長安の卿相【けいそう】少年多し、富貴には応に須らく身を致すこと早かるべし。
山中の儒生 旧相識【きゅうそうしき】、但だ宿昔【しゅくせき】を話【かた】りて懐抱【かいほう】を痛ましむ。』
鳴呼 七歌す 悄として曲を終う、仰いで皇天【こうてん】を視れば白日速【すみ】やかなり。』


現代語訳と訳註
(本文)

男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
長安卿相多少年,富貴應須致身早。
山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。』
嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。』


(下し文)
男児 生まれて名を成さず 身己に老い、三年 飢走【きそう】す 荒山の道。
長安の卿相【けいそう】少年多し、富貴には応に須らく身を致すこと早かるべし。
山中の儒生 旧相識【きゅうそうしき】、但だ宿昔【しゅくせき】を話【かた】りて懐抱【かいほう】を痛ましむ。』
鳴呼 七歌す 悄として曲を終う、仰いで皇天【こうてん】を視れば白日速【すみ】やかなり。』


(現代語訳)
わたしは男児に生まれてこのかた、功名を成しとげるということができてはいない。その内年をとってしまって、三年の間、あれはてた山中の道を飢餓に駆られて走っているようなありさまだ。
長安で知り合った卿相たちは多くは若い時からの付き合いではあるが、かれらはまだ若いのである。してみれば老いてはだめなので、早くその身をなんとしてでも富貴の地位に致さないといけないというものなのだ。
この山中にいるとはいえ、儒生たるわたしはふるくから彼ら富貴の人人とは知り合いなのだが、この隔たりはどうだ。だからこうして昔話をしたりすれば自分は胸のうちがかなしくなってくるのである。』
ああ ここまで詠った七言のこれは第七の歌である。これで心のひきたたぬままに曲を終るのである。そうであれば、太陽がどんどん早くはしりゆく大空を眺め、これからの人生に向かって行こうではないか。』 


(訳注)
男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
わたしは男児に生まれてこのかた、功名を成しとげるということができてはいない。その内年をとってしまって、三年の間、あれはてた山中の道を飢餓に駆られて走っているようなありさまだ。
〇男兒生不成名  『文選卷第四十一 書上』にある李少卿(李陵)の『答蘇武書』
「苟怨陵以不死。然陵不死,罪也;子卿視陵,豈偸生之士,而惜死之人哉?寧有背君親,捐妻子,而反爲利者乎?然陵不死,有所爲也」とある。なお、この最後の方に「昔人有言:『雖忠不烈,視死如歸。』…男兒生以不成名,死則葬蠻夷中,誰復能屈身稽顙,還向北闕,使刀筆之吏,弄其文墨邪?願足下勿復望陵。嗟乎,子卿!夫復何言!相去萬里,人絶路殊,生爲別世之人,死爲異域之鬼,長與足下,生死辭矣!」と、生死、離別について述べている。胸に迫る名文である。 
〇三年 この間の代表作。
757:羌村三首 北征  行次昭陵  彭衙行  喜聞官軍已臨賊境二十韻
758:題鄭牌亭子  望岳  早秋苦熱堆安相仍 九日藍田崔氏荘 崔氏東山草堂
759:三吏三別、遣興三首 佳人 夢李白二首 有懷台州鄭十八司鄭虔 遣興五首 遣興二首 遣興五首 秦州雜詩二十首 同谷紀行
まで足かけ三年。。
○荒山 あれはてた山。


長安卿相多少年,富貴應須致身早。
長安で知り合った卿相たちは多くは若い時からの付き合いではあるが、かれらはまだ若いのである。してみれば老いてはだめなので、早くその身をなんとしてでも富貴の地位に致さないといけないというものなのだ。
○卿相 卿や宰相。
○致身 敦とは富貴の地位へ身をもってゆくこと。


山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。』
この山中にいるとはいえ、儒生たるわたしはふるくから彼ら富貴の人人とは知り合いなのだが、この隔たりはどうだ。だからこうして昔話をしたりすれば自分は胸のうちがかなしくなってくるのである。』
山中儒生 作者自身のことであるが、同谷に来たのは、姪杜佐、孫許、阮隱居、寄張十二山人彪、兩當縣十侍禦などの山中の友(すべて同谷における杜甫の詩に登場する人である)が儒者であるということである。
旧相識 ふるくからのしりあい、これは杜甫が詩文を売文するためのコネクション、仕官活動した長安卿相とのあいだがらをいうが、これらについてもこのブログで掲載している。
○但講 話はだれかとはなしをすること、旧説によれば作者が儒生と話しをすることである。
○宿昔 むかしの事がら、昔話。
○懐抱 杜甫の胸中をいう。さま。


嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。』
ああ ここまで詠った七言のこれは第七の歌である。これで心のひきたたぬままに曲を終るのである。そうであれば、太陽がどんどん早くはしりゆく大空を眺め、これからの人生に向かって行こうではないか。』 
○悄 しょんぼり、心のひきたたぬ。
○終曲 曲はこの七歌の曲。
○速 走ることのすみやかなこと、時間の早くすぎること。日が暮れるのが早い。この年の暮れるのが早い。人生が早い。



この詩にシリーズは「順番数値」をキーワードにして詠っている。いわば『杜甫の七つの数え歌』というところか。
(1)自分。客居貧苦のさまをいう。
乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』

ここに『詩経』でいう旅人がいるその名前は子美という、男の頭は白く乱れた髪が垂れて耳よりもさがっている。
今年も年の暮になろうとするのに、山谷のうちで天候は凍えるように寒くもう日暮れにさしかかる、『荘子』にいう猿回しのあとにくっついて橡の実や栗をひらって歩くのだ。
中原の故郷たる方からは手紙もなく様子が知れないから帰ることもならず、手や脚は凍えしわだって皮膚も肉もひからびている。』
ああここに第一歌をうたう、この歌声は初からすでにあわれであり、悲しそうな風が吹いてきて自分のために天もそれに感ずるように天から吹き下ろして來る
。』


(2)二人称の歌。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其二
長鑱長鑱白木柄,我生托子以為命。
黃獨無苗山雪盛,短衣數挽不掩脛。
此時與子空歸來,男呻女吟四壁靜。』
嗚呼二歌兮歌始放,閭裡為我色惆悵。』

長い鉄の頭のついた犂、長い柄の鉄の犂、きみには白木の柄がついている。われわれの生活はきみによって生命の親としているのだ。
土イモは山中の雪が盛んにつもっていてその苗もかれてみつからない、(その雪の中私と云えば)短い裾の衣を着ていくらひっぱっても脛をかくすことはできないのだ。
この時きみと収穫なしのから手でうちへもどってくる、家族の男の子呻き、女の子は吟じているようにおなかがすいているというががらんどうの部屋の四方の壁はひっそり立っている。』
ああ、これは二の歌だ、だからはじめて大声出してきままに歌うのだ、これをきいては近所の人たちも集まって収穫なしの自分のために恨み嘆く顔つきをしてくれる。』


(3)三人称弟をおもってつくる。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其三
有弟有弟在遠方,三人各瘦何人強?
生別展轉不相見,胡塵暗天道路長。
東飛駕鵝後鶖鶬,安得送我置汝旁?』
嗚呼三歌兮歌三發,汝歸何處收兄骨?』
あそこの二男弟、あちらの三男弟、遠方に居る四男。彼ら三人どれもやせているが、だれが強健でいるやつがいるであろうか。
彼らとはいきわかれをして、各地をうつりあるいて面会せずにいるのである、安史叛乱軍の兵馬が天下をくらくして、天下を分断しているので、そうでなくてもながいみちのりが、弟達とのあいだの道路はさらに長くなってしまった。
東にむかって駕鵝が飛び、そのあとを追っかけて鶖鶬が飛んでいるが、どうしたらその鳥に送られておまえ達の傍へ私を置いてもらうことができるのだろうか。』
ああ、これが第三の歌であるから三回歌うことにしよう。おまえ達がは帰ってこられるところ、この兄の骨をおさめてくれるところ、それがどこであるのか。(この戦乱で分断されていても平穏でいられるところ。)』


(4)妹をおもう作。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其四
有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。』
嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。』
わたしには妹がいる、鳳陽府鍾離に妹がいる。夫を早くなくして残された四人もいるまだ幼児たちは知恵がついていないのだ。
淮水のあたりは風浪が高く安史軍の盗賊のように人を害する者が蚊竃のように怒りつつあるのだ。わたしは十年も彼女とかおをあわせていないがいつ彼女はこちらへ来ることができよう。
ああ、これは第四の歌だ。この歌は四度、奏ねるのである。この歌をきいては林の猿も私のために晴れあがった昼に啼きたててくれる。』


(5)冬の窮谷の情景に浸り、隠棲の思いと帰郷の思いをのべることでどうもこの地は違うようだという。。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其五
四山多風溪水急,寒雨颯颯枯樹濕。
黃蒿古城雲不開,白狐跳樑黃狐立。
我生何為在窮穀?中夜起坐萬感集。』
嗚呼五歌兮歌正長,魂招不來歸故鄉。』
四方の山には冬の風が吹きまくり、谷川の水の流れは急である。極寒の雨はつめたく、風はびゅうぴゅう吹き、枯れた樹木がぬれている。
黄色いよもぎがはびこっており、古城に雲が門をとざすようにかかっている、白狐ははねまわり、黄狐はつっ立っている。
わたしは生涯を決める意味で隠棲の谷を極めるつもりであったが、どうしてここが窮極の谷といえるのだろうか。夜なかに起きてみても坐ってみてもただ万感せまり、集まり来るのである。』
ああ、これは第五の歌である、五回も詠うとその歌もながいものだ。屈原は「招魂」したというがわたしはここが隠遁先でなく魂がこられないだろうし、それなら故郷にかえることしかないのか。』


(6)冬のこの地は隠遁の地にはふさわしくない。山湫の竜もそう思っている。(此の詩は五行思想をもじってお遊びしている)
乾元中寓居同谷県作歌七首 其六
南有龍兮在山湫,古木巃嵷枝相樛。
木葉黃落龍正蟄,蝮蛇東來水上游。
我行怪此安敢出,拔劍欲斬且複休。』
嗚呼六歌兮歌思遲,溪壑為我回春姿。』
ここの南方の山に竜がいる。そこは「窪地」で湿地になっているところだ。古木がいかめしくしげりあい、枝がたがいに垂れさがっているところである。
木の葉は黄ばんで落ちたので竜は今まさに冬眠をしたのだ、そこへまむしや蛇が東の方からやってきて「窪地」の水の上にあそんでいるのだ。
わたしはそこへ出掛けてはみたがこんなふしぎな様子を目にしてどうしてその場に出られるというのか、剣をぬいてそのへびを斬ろうかとも思ったのだがそれはまたやめたのである。』
ああ、この歌は第六の歌であるから、六にまつわる歌となるとやくはでてこないものだ。このような渓谷がわたしのために早く春のすがたを回復してくれることだ。(それならわたしも竜もその地にでかけることができるだろう。)』


(7)七言句の七番目の詩である。昔はどうであれこれからの人生に立ち向かって行こうというものである。同谷「数え歌」の終。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其七
男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
長安卿相多少年,富貴應須致身早。
山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。』
嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。』
わたしは男児に生まれてこのかた、功名を成しとげるということができてはいない。その内年をとってしまって、三年の間、あれはてた山中の道を飢餓に駆られて走っているようなありさまだ。
長安で知り合った卿相たちは多くは若い時からの付き合いではあるが、かれらはまだ若いのである。してみれば老いてはだめなので、早くその身をなんとしてでも富貴の地位に致さないといけないというものなのだ。
この山中にいるとはいえ、儒生たるわたしはふるくから彼ら富貴の人人とは知り合いなのだが、この隔たりはどうだ。だからこうして昔話をしたりすれば自分は胸のうちがかなしくなってくるのである。』
ああ ここまで詠った七言のこれは第七の歌である。これで心のひきたたぬままに曲を終るのである。そうであれば、太陽がどんどん早くはしりゆく大空を眺め、これからの人生に向かって行こうではないか。』