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”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <349>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1687 杜甫1500- 521
 
詩 題:”成都紀行(10)” 剣門
作時759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の349首目-#1
杜甫ブログ1500-521回目
成都紀行の第十首。剣門の険を見て英雄が此の地に割拠することをおそれる気持ちをのべる



成都紀行(10)” 剣門

惟天有設險,劍門天下壯。
ここにあるのは天が険阻を設地してくれたということである、剣門の険といえば天下の「壮」であるということだ。
連山抱西南,石角皆北向。
この峻険な連山は西南に向かって抱きかかえていて、嶺の巌石角はみな刃のように北にむきに突き出ている。
兩崖崇墉倚,刻畫城郭狀。
それに左右の崖は高い城壁であり、互いにそそり立ちまさしく城門のようである。そして複雑な仕掛けにも見える状況は城郭といえるほどのものである。
一夫怒臨關,百萬未可傍。
ここで一人が怒って立ち上がり、剣南をまもるために関門にのぞむなら、百万人の敵もこの剣門により、傍へよりつくことさえできないだろう。
珠玉走中原,岷峨氣淒愴。

しかしこの蜀の珠玉の宝がどしどし中原の方はこびだしたことで、眠山から峨眉山にかこまれた成都は国力が低下し、かなしそうな気色をおびてきたという。
三皇五帝前,雞犬莫相放。後王尚柔遠,職貢道已喪。
至今英雄人,高視見霸王。幷呑與割據,極力不相讓。
吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。恐此複偶然,臨風默惆悵。


(剣 門)
惟れ天 険を設くる有り、剣門は天下の壮なり。
連山西南を抱き、石角皆北に向う。
両崖 崇墉【すうよう】のごとく倚り、城郭の状を刻画【こくがく】す。
一夫怒って関に臨めば、百万未だ傍【そ】う可からず。
珠玉【しゅぎょく】中原に走り、岷峨【みんが】氣淒【きせい】愴たり。

三皇五帝の前、雞犬【けいけん】各【おのお】の相い放つ。
後王 柔遠【じゅうえん】を尚【たっと】び、職貢【しょくこう】道 己に喪【うしな】わる。
今に至るも英雄の人、高視して覇王を見る。
幷呑【へいどん】と割拠とを、極力相い譲らず。
吾将に真宰【しんさい】を罪せんとし、意は疊嶂【じょうしょう】を鏟【けづ】らんと欲す。
恐らくは此れ復た偶【たまた】ま然らんことを、風に臨みて黙して惆悵【ちゅうちょう】す。




『剣 門』 現代語訳と訳註
(本文)
惟天有設險,劍門天下壯。連山抱西南,石角皆北向。
兩崖崇墉倚,刻畫城郭狀。一夫怒臨關,百萬未可傍。
珠玉走中原,岷峨氣淒愴。


(下し文)
(剣 門)
惟れ天 険を設くる有り、剣門は天下の壮なり。
連山西南を抱き、石角皆北に向う。
両崖 崇墉【すうよう】のごとく倚り、城郭の状を刻画【こくがく】す。
一夫怒って関に臨めば、百万未だ傍【そ】う可からず。
珠玉【しゅぎょく】中原に走り、岷峨【みんが】氣淒【きせい】愴たり。


(現代語訳)
ここにあるのは天が険阻を設地してくれたということである、剣門の険といえば天下の「壮」であるということだ。
この峻険な連山は西南に向かって抱きかかえていて、嶺の巌石角はみな刃のように北にむきに突き出ている。それに左右の崖は高い城壁であり、互いにそそり立ちまさしく城門のようである。そして複雑な仕掛けにも見える状況は城郭といえるほどのものである。
ここで一人が怒って立ち上がり、剣南をまもるために関門にのぞむなら、百万人の敵もこの剣門により、傍へよりつくことさえできないだろう。
しかしこの蜀の珠玉の宝がどしどし中原の方はこびだしたことで、眠山から峨眉山にかこまれた成都は国力が低下し、かなしそうな気色をおびてきたという。


(訳注)
『剣 門』

○剣門 剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。この険阻な要害を見て英雄がこの地を割拠して乱をなしたことを憂慮した気持ちをのべている。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

惟天有設險,劍門天下壯。
ここにあるのは天が険阻を設地してくれたということである、剣門の険といえば天下の「壮」であるということだ。
○設険 「易経」(坎卦)に、「天險不可升也,地險山川丘陵也,王 公設險以守其國, 險之時用大矣哉。」(天険は升るべからざるなり、地険は山川丘陵なり、王公険を設けて以て其の国を守る、険の時用大いなる哉。)とみえる。三国志の曹操、曹丕も蜀には攻め入らず、北、東、見なにへ攻撃したのもこの天涯の要害があるからであった。ここを越えて蜀へ攻め入ったのは、秦の始皇帝だけで、隋の文帝も長江下流から蜀へ入った。
○壯 1 血気盛んな年ごろ。勢いが盛ん。「壮健・壮士・壮丁・壮年/強壮・少壮」2 意気に燃えている。勇ましい。「壮挙・壮絶・壮図・壮烈/悲壮・勇壮」3 元気づける。「壮行会」4 大きくて立派。「壮観・壮大・壮麗/広壮」


連山抱西南,石角皆北向。
この峻険な連山は西南に向かって抱きかかえていて、嶺の巌石角はみな刃のように北にむきに突き出ている。

剣門関00

兩崖崇墉倚,刻畫城郭狀。
それに左右の崖は高い城壁であり、互いにそそり立ちまさしく城門のようである。そして複雑な仕掛けにも見える状況は城郭といえるほどのものである。
〇両崖 倚 左右のがけ。城壁であり、城門のようである。
○崇墉 そそり立つ高い城壁。
○刻画 いろいろと仕掛け、仕組みをすること。

剣門関01

一夫怒臨關,百萬未可傍。
ここで一人が怒って立ち上がり、剣南をまもるために関門にのぞむなら、百万人の敵もこの剣門により、傍へよりつくことさえできないだろう。
〇百万 百万人の敵。
○傍 そばへちかづく。


珠玉走中原,岷峨氣淒愴。
しかしこの蜀の珠玉の宝がどしどし中原の方はこびだしたことで、眠山から峨眉山にかこまれた成都は国力が低下し、かなしそうな気色をおびてきたという。
○珠玉 蜀地の産物。
○走中原 中原は洛陽地方をいう、走とは運び去られることの速かなことをいう、上にあるものの誅求によってもち去られること、一本に「珠玉」の句の前に「川嶽儲二精英↓天府興二宝蔵この二句があるとのことであるが、まだ依拠を詳かにしないゆえそれには従わぬ。
○岷峨 岷山、峨眉山、かこまれ、岷江の恵みによってはぐくまれたのが成都である。したがって、闘争心の薄い平和的な地方であった。岷山は西にあり、峨眉山は西南にある。
○淒愴 うれわしいさま。平和的な地方が中原に収奪されて様子が変わったのではないかという、杞憂の念をいう。