”成都紀行(12)”  成都府 杜甫詩1000 <352>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1707 杜甫1500- 526


詩 題:”成都紀行(12)”  成都府
作時759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の352首目-#1
杜甫ブログ1500-526回目




成都紀行の第十二首。紀行の最終であり、成都に入り目にして作ったものである。
 成都へ着いたのは年末で、夕暮れせまる時であった。初めて見る成都は家が立ち並び、冬だというのに樹々は青々と茂っていた。成都は賑やかな大都会で期待感は増した。杜甫一行は、成都城外の西郊にあった浣花渓寺に旅装を解いた。
成都府
翳翳桑楡日,照我徵衣裳。我行山川異,忽在天一方。
但逢新人民,未蔔見故鄉。大江東流去,遊子日月長。
曾城填華屋,季冬樹木蒼。喧然名都會,吹簫間笙簧。
信美無與適,側身望川梁。鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。
初月出不高,眾星尚爭光。自古有羈旅,我何苦哀傷!




成都府
翳翳桑楡日,照我徵衣裳。
桑と楡との間に日が沈みはじめ、うすぐらく夕暮れにかげった残る夕日がわたしの旅衣を照らす。
我行山川異,忽在天一方。
われわれが旅をした山や川が次々違った趣であった。そうして、忽ちこうして天地の果てへきたことを実感している。
但逢新人民,未卜見故鄉。
ただ、ここで逢うもの、初めて経験する人々であり、まだこの地に来て占ってはいないのだが故郷へはいつかえれるのか見込みもついてはいない。
大江東流去,遊子日月長。
大江の水が東に流れ去るように年月、日々は過ぎ去っていく。故郷を後にして旅人になって、随分日を重ね、月を重ねてもう長くなる。
曾城填華屋,季冬樹木蒼。
成都はかさなった城郭であり、城内にはりっぱな家屋がたくさんある。そして季節は真冬というのに樹木が蒼蒼としているのだ。
#2
喧然名都會,吹簫間笙簧。信美無與適,側身望川梁。
鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。初月出不高,眾星尚爭光。
自古有羈旅,我何苦哀傷!

(成都府)
翳翳【えいえい】たり桑稔【そうゆ】の日、我が征の衣裳を照らす。
我れ行きて山川異なり、忽ち天の一方に在り。
但だ新人民に逢う、未だ故郷を見るを卜せず。
大江東に流れ去り、遊子日月長し。
曾城【そうじょう】華屋【かおく】墳【うず】め、季冬【きとう】樹木蒼し。

喧然【けんぜん】たり名都会、簫を吹き笙簧【しょうこう】に間【まじ】う。
信に美なれども与【とも】に適する無く、身を側てて川梁【せんりょう】を望む。
烏雀【ちょうじゃく】夜各【おのお】の帰り、中原【ちゅうげん】として茫茫たり。
初月 出づる高からず、衆星【しゅうせい】尚お光を争う。
古より羈旅【きりょ】あり、我何ぞ苦しみて哀傷【あいしょう】せん。



『成都府』 現代語訳と訳註
(本文)
翳翳桑楡日,照我徵衣裳。我行山川異,忽在天一方。
但逢新人民,未蔔見故鄉。大江東流去,遊子日月長。
曾城填華屋,季冬樹木蒼。
喧然名都會,吹簫間笙簧。信美無與適,側身望川梁。
鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。初月出不高,眾星尚爭光。
自古有羈旅,我何苦哀傷!


(下し文)
(成都府)
翳翳【えいえい】たり桑稔【そうゆ】の日、我が征の衣裳を照らす。
我れ行きて山川異なり、忽ち天の一方に在り。
但だ新人民に逢う、未だ故郷を見るを卜せず。
大江東に流れ去り、遊子日月長し。
曾城【そうじょう】華屋【かおく】墳【うず】め、季冬【きとう】樹木蒼し。


(現代語訳)
桑と楡との間に日が沈みはじめ、うすぐらく夕暮れにかげった残る夕日がわたしの旅衣を照らす。
われわれが旅をした山や川が次々違った趣であった。そうして、忽ちこうして天地の果てへきたことを実感している。
ただ、ここで逢うもの、初めて経験する人々であり、まだこの地に来て占ってはいないのだが故郷へはいつかえれるのか見込みもついてはいない。
大江の水が東に流れ去るように年月、日々は過ぎ去っていく。故郷を後にして旅人になって、随分日を重ね、月を重ねてもう長くなる。
成都はかさなった城郭であり、城内にはりっぱな家屋がたくさんある。そして季節は真冬というのに樹木が蒼蒼としているのだ。


(訳注)
成都府
成都府 四川省の都会。756年玄宗が安禄山軍を避けてこの地に避難した。成都紀行の第十二首。紀行の最終詩。


翳翳桑楡日,照我徵衣裳。
桑と楡との間に日が沈みはじめ、うすぐらく夕暮れにかげった残る夕日がわたしの旅衣を照らす。
○翳翳 日のかげるさま。
○桑楡 くわとにれ。日の落ちる方位、西方。桑と楡との間に日が沈む夕暮れを云う。
○征衣裳 たびごろも。


我行山川異,忽在天一方。
われわれが旅をした山や川が次々違った趣であった。そうして、忽ちこうして天地の果てへきたことを実感している。
・在天一方 天地の果てへきたことを実感している。・在:この地に存在している。



但逢新人民,未卜見故鄉。
ただ、ここで逢うもの、初めて経験する人々であり、まだこの地に来て占ってはいないのだが故郷へはいつかえれるのか見込みもついてはいない。
○未卜一句 故郷を見ることのできる時期はいつかとうらなわぬ、その時期がないからである。


大江東流去,遊子日月長。
大江の水が東に流れ去るように年月、日々は過ぎ去っていく。故郷を後にして旅人になって、随分日を重ね、月を重ねてもう長くなる。
○大江 長江支流岷江。
○東流去 大江の水は東に流れ去る、中国の大河は東流するので当然の帰結をあらわす語としている。常識という使い方と、光陰矢のごとしと使う。
○日月長 詩人にとって、日々の積み重ねを実感している。杜甫は若い時山東に、李白と呉越を旅し、長安も旅の地であり、官を辞して華州、秦州、同谷、成都に達する三十年に及ぶ旅の年月を経過しているのである。


曾城填華屋,季冬樹木蒼。
成都はかさなった城郭であり、城内にはりっぱな家屋がたくさんある。そして季節は真冬というのに樹木が蒼蒼としているのだ。
○曾城 曾は層に同じ、かさなっている城郭、成都の城。
○華屋 りっぱな家が多くあること。