蕭八明府實處覓桃栽 杜甫(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
◆◆◆2012年12月26日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆

Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集
古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹丕魏文帝の詩
至廣陵於馬上作 曹丕(魏文帝) 魏詩<8-#2>古詩源 巻五 女性詩629 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1733
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Ⅱ.中唐詩・晩唐詩
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
秋懐詩十一首(7) 韓愈 韓退之(韓愈)詩<107>Ⅱ中唐詩542 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1734
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Ⅲ.杜甫詩1000詩集
"●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めて旅をする
●全詩1/3を掲載済。"
成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533
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Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#15> (12/30) http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-583.html

Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。
『南歌子七首』(一) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-30-5-#8 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1736
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/21534541.html


謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。

孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html
古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。

孟郊詩  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html
「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。

李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <357>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。

2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。
3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」

4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5.韋続には綿竹県の竹を、
6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


蕭八明府實處覓桃栽
<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。


(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


桃園005



『蕭八明府實處覓桃栽』 現代語訳と訳註
(本文)

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


(下し文)
(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


(現代語訳)
<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。


(訳注)
蕭八明府實處覓桃栽

県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。

・七言絶句 ここまで杜甫はほとんど絶句を書いていない。(貧交行、黄河二首)成都に来て、これ以降激増する。・韻 根、村、園。

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
・桃 春には五弁または多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせる。中国原産。食用・観賞用として世界各地で栽培されている。
・浣花村 花を浣【あら】う村とこの時初めて「浣花」という語を使ったのではないかと思う。頼みごとをするにしてもその贈られた桃に花が咲くころ、雪解けの水が満水になる。夢のあるネーミングである。杜甫のこの地での意気込みを感じるものである。


河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。
桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。
河陽縣の裏 「河陽一縣花」の桃が咲く河陽縣の県内には。
西晉の潘岳あり。潘岳在河陽當縣の令の時に,桃柳を多植し,號して花縣と稱し,以って自己の清高にして廉潔たることを表示す。庾信『枯樹賦』に “「若非金谷滿園樹,即是河陽一縣花。」と 有る。又『春賦』に雲う:「河陽一縣並是花。金谷從來滿園樹。」潘岳 河陽一縣花とする,甚だ “五柳先生”の陶淵明は相い提し並びに論ずるを與って還るに至る。
「河陽」 とは、 かの溝掘袖県に 令として赴任した際に桃李の花で県中を埋め尽くしたという故事ー. 成句としては 「即是河陽一県花」 (北周・庚信 「枯樹賦」)、 「河陽一 県. 併是花」 (同 「春賦」) などーで中国文学史上有名な地名であっ た。

晉の潘岳河陽の令と爲り、満縣に跳李を種う。人、號して河陽一縣の花といふ
《淮南子》雲:『木葉落,長年悲。』斯之謂矣。乃為歌曰:『建章三月火,黃河千里槎。若非金谷滿園樹,即是河陽一縣花。』桓大司馬聞而歎曰:『昔年移柳,依依漢南;今看搖落,淒江潭。樹猶如此,人何以堪。』にみえる。
・濯錦江 長江の支流錦江に注ぎ込む浣花渓の別名。


桃園001


(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩)
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


蕭八明府實處覓桃栽
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。