詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>

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成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 1000- 538


黄梅000

詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の362首目-#9
杜甫ブログ1500-538回目

徐卿に果物の木を貰い受ける詩。
草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号

屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。
そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。

草堂002

杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、


10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。



詣徐卿覓果栽
<徐卿殿に果実の苗木を求める。>
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。

徐卿に詣りて 果栽を覓む
草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。
石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。


『詣徐卿覓果栽』 現代語訳と訳註
(本文)

詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

(下し文)
卿に詣りて 果栽を覓む
草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。
石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。


(現代語訳)
<徐卿殿に果実の苗木を求める。>
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。


(訳注)
詣徐卿覓果栽

徐卿殿に果実の苗木を求める。
・徐卿 成都の城郭西側の石筍街(現四川省成都金牛区石筍街)果園坊(城郭内の一角ブロックを坊という。)を住居とした人であろう。


草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
綠李 花期は4月頃で、葉の展開とともに5枚の白い花弁からなる花を付ける。8月下旬から11月頃にかけて、黄褐色または黄緑色でリンゴに似た直径10~18センチメートル程度の球形の果実がなり、食用とされる。果肉は白色で、甘く果汁が多い。
黄梅 黄梅 迎春花) Jasminum nudiflorum 【もくせい科ソケイ属】 原産 中国北部 2~4月に咲く  縦横に伸ばした枝に春早く花を付ける。花は明るい黄色   半つる性で垂れ下がる。花は2.5cm位で雲南黄梅より一回り小型。日当たりと排水の良い場所に植える。植つけは春と秋。挿し木や取り木で増やす。枝の花が垂れ下がるのを楽しむ木。樹高 2mまでの落葉低木。強健で寒さに強い。

黄梅000

石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。
○石筍街 成都城の一番北寄りの西門に在り、「即ち秦氏の遺址、僅に百五十歩なり」とある。
○果園坊 徐卿が居處