堂成 杜甫 

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成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成 杜甫 <363>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1759 杜甫詩 1000- 539


詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成
作 時:760年3月杜甫49歳 
掲 載:杜甫1000の363首目-#10
杜甫ブログ:1500-539回目
草堂のできたことを詠ずる。上元元年春暮の作。七言律詩
草堂の周りに友人から戴いた木々が植えられ、草堂が完成した。
草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号

屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。

そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。

草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。


堂  成
<草堂建設 成る>
背郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。

私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。
(堂成る)
郭を背に堂成りて白茅【はくぼう】に蔭【おお】わる、江に縁う路 熟【じゅく】して青郊に俯す。
榿林【きりん】日を礙【さえぎ】り 風葉は吟ず、籠竹【ろうちく】煙に和し 露梢より滴【したた】る。
暫く止まる飛鳥は数子を将【ひき】い、頻りに来たる語燕は新巣を定む。
旁人錯【あやま】って揚雄の宅を此す、懶惰【らんだ】にして解嘲【かいちょう】を作るに心無し。

楊柳00005

現代語訳と訳註
(本文)
堂  成
背郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。


(下し文)
(堂成る)
郭を背に堂成りて白茅【はくぼう】に蔭【おお】わる、江に縁う路 熟【じゅく】して青郊に俯す。
榿林【きりん】日を礙【さえぎ】り 風葉は吟ず、籠竹【ろうちく】煙に和し 露梢より滴【したた】る。
暫く止まる飛鳥は数子を将【ひき】い、頻りに来たる語燕は新巣を定む。
旁人錯【あやま】って揚雄の宅を此す、懶惰【らんだ】にして解嘲【かいちょう】を作るに心無し。


(現代語訳)
<堂  成る>
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。


(訳注)
堂  成

草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号
此の詩のようなゆったり感はこれまでの杜甫の詩にはないものである。必死な感じがまるでない。何処か謝靈運、孟浩然の山水描写に似たところを感じさせる作品である。七言律詩の流れも成都に来てからのもので、暫く七言句が続く。草堂建設シリーズもひとまず終了となる。


郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
背部 成都城を負うこと。
 かやをかぶせて屋根をふいたことをいう。
綠江 錦江のかわぞい。
路熟 春の陽炎が沸き立つ道。
 みおろすこと。
青郊 春霞の向こうの野外。遠近画法で遠くは青くなるが、ここでは春の装いを云う。近くに見える草木を云うのではない。「路熟」と「青郊」は春の景色を詠う名句である。孟浩然『』「綠樹村邊合,青山郭外斜。」と同じ心境に有って風景を詠うものである
過故人莊
故人具雞黍,邀我至田家。綠樹村邊合,青山郭外斜。
開筵面場圃,把酒話桑麻。待到重陽日,還來就菊花。

(故人の莊に過ぎる) 
故人 鷄黍【けいしょ】を 具【そろ】へ、我を邀【むか】へて 田家【でんか】に 至らしむ。綠樹 村邊【そんぺん】に 合【がっ】し、青き山 郭外【かくがい】に 斜めなり。
筵【むしろ】を開きて 場圃【じょうほ】に 面し、酒を把【とり】て 桑麻【そうま】 を 話す。重陽【ちょうよう】の日を 待ち到り、還【また】來【きた】りて 菊花【きくか】に就【つ】かん。


榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
榿林 『憑何十一少府邕覓榿木栽』「草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」
籠竹 『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』「華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。」


暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
○将 率いること。
○語燕 さえずるつぱめ。


旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。
私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。
○旁人 よその人。○錯此まちがえてなぞらえる。
・揚雄 解嘲
学究の徒としても異数の才を発揮し、『太玄経』(『易経』を模したもの)、『法言』(『論語』を模したもの)、『方言』(当時の各地の方言を集めたもの)等、今日にのこる著作を世に出した。これを嘲った人がいるために作ったのが「解嘲賦」という。太玄の語がはなはだくろいとの意をもつために白いことを強調しているため揚雄の髪の毛が白いことを嘲って「解嘲」という。