蜀相 杜甫



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成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 1000- 540 


詩 題:成都(2)浣花渓の草堂(1) 蜀相
作時760年4月 上元元年49歳
掲 載; 杜甫1000の364首目-#1
杜甫ブログ1500-540回目 
成都南西に、三国時代蜀漢の丞相諸葛孔明の祠堂があり、杜甫は草堂が出来上がると少し時間がとれたようで、かねて尊敬する孔明の祠堂を訪ねている。諸葛亮孔明を祀る武侯祠は成都西南の郊外、柏の杜(もり)のなかにある。


蜀相      
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。
(蜀相)
丞相の 祠堂何處にか尋ねん、錦官の城外に森森たる柏あり。
堦【かい】に映ずる碧草【へきそう】は自ら春色、葉を隔つる黄鸝【こうり】は空しく好音【こういん】。
三顧頻煩【ひんぼん】なるは天下の 計【はかりごと】、兩朝開濟【かいさい】するは老臣の心。
出師未【いま】だ捷【か】たざるに身先【ま】づ 死せるも、
長【なが】く英雄をして涙襟【きん】に滿たしむ。


『蜀相』 現代語訳と訳註
(本文)

蜀相      
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。


(下し文)
(蜀相)
丞相の 祠堂何處にか尋ねん、錦官の城外に森森たる柏あり。
堦【かい】に映ずる碧草【へきそう】は自ら春色、葉を隔つる黄鸝【こうり】は空しく好音【こういん】。
三顧頻煩【ひんぼん】なるは天下の 計【はかりごと】、兩朝開濟【かいさい】するは老臣の心。
出師未【いま】だ捷【か】たざるに身先【ま】づ 死せるも、
長【なが】く英雄をして涙襟【きん】に滿たしむ。


(現代語訳)
<蜀 相>
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。


(訳注)
蜀相

蜀漢の丞相諸葛亮、字は孔明をいう。
 
    
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
・丞相 を諸葛亮いう、後漢の建安二十六年劉備が帝位に即き、蜀漢とし、諸葛亮を以て丞相・録尚書事とした。
・祠堂 やしろ、廟のこと、諾票の廟は成都の西北二里、劉備の廟の西にある。柏は西に植えるもので、上句の「何處」に対応して、錦官城と柏によって位置関係を示した。
・錦官城 成都の西城の名、蜀錦の織錦の官を置いたことから「錦官」「錦江」とよばれた。
・柏 はくの木。五行思想、東の末に対して西に植えられた。
・森森 うっそうと茂る。木々がたちならぶさま。

成都 浣花峡000


映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
・堦 堂のきざはし。
・鸝 うぐいすの類。


三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
・三顧 諸葛亮がまだ若く襄陽で「梁園吟」を詠って隠棲生活をしていたとき、劉備は太公望の故事にちなんで三たびまで彼を其の軍歴に訪れたので三顧という。
・頻煩 しげきこと、三たびも訪うというのはひんぱんなことをいう。
・天下計 「三分天下之計」であり、(三権鼎立は天下を安んずるの計を定めんがためなり)というほどの意味。
・両朝 先主劉備と、其の子後主劉禅との二代をいう。
・開済 諸説あるが良く建国の基礎を作り、立派に成功する。物を開いて成就するという熟語であり、上句の「頻煩」に対である。杜甫は律詩の原則をどんな場合も忠実に守っている。
・老臣心 重臣の亮をさす。杜甫はある意味、諸葛亮に自分をだぶらせているので「老」という表現をしている。やはり左拾遺の時の粛宗に対しての発言を意識してのものであろう。(房琯を援護した発言は「天下の計」であったというもの。)


出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。
・出師 蜀の227年建興五年、亮が軍をひきいて北のかた漢中に駐どまり魂を伐とうとしたとき、出発するにのぞんで後主劉禅に「出師ノ表」を奉った。劉禅の行動指針を書いたもの。諸葛亮の北伐は5回に及んでいる。
・未捷身先死 亮はその後に大衆を尽くして斜谷よりうって出、武功の責原に拠って司馬懿と渭水の南に対陣すること100日以上、234年建興十二年陣中に卒した。
・英雄 後世の英雄をいう。