為農 杜甫

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成都(2)浣花渓の草堂(2 -3) 為農 杜甫 <366>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1771 杜甫詩 1000- 542

 
詩 題:成都(2)浣花渓の草堂(2 -3) 為農
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の366首目-#2 -3
杜甫ブログ1500-542回目


 759年、数え年で48歳の杜甫は、左拾遺から左遷された華州司功参軍の官を捨て、安住の地を求め、西の秦州へ、さらに南下して同谷へと何度も地を替えながら、その年の暮れに成都に到着した。妻と子供、さらに弟や家僕等合わせて十人ばかりの大家族を引き連れ、家財道具を車に積み、難所を次々と越えながらの苦労の旅であった。しかし彼が成都に来たのはきわめて幸運であった。到着後は、成都郊外の浣花渓のほとりの草堂寺に落ち着いた。

 この寺での仮住まいが終わり、翌760年の春から杜甫は、草堂寺の近く浣花渓が大きく蛇行する湾曲部の内側に住まいを決め、屋敷造りに精を出した。住まいの部分は初めは一畝ほどの広さであったが、その後は周辺部分にもしだいに広げていった。

 草堂ではじめて迎えた梅雨を詠んだ『梅雨』の詩で、草堂へのアプローチを、「南京西浦道、四月熟黄梅。」(南京 西浦の道、四月 黄梅熟す)と述べる。南京は成都のことで、安史の乱で玄宗が成都に避難していたことがあるので、この時期の三、四年、成都は南京と呼ばれていたことがある。だから成都から草堂への道は、成都の西郊外の川沿いの道(西浦の道)をいくことがわかる。

 また同じ時期の『堂成る』の詩には、草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁(そ)う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。

 浣花渓付近の自然景観は変化に富んでおり、杜甫は草堂での日々の生活や気持ちを歌うときに、そんな浣花渓のいろいろな景観やさまざまな表情を、あれやこれやの詩の中でいつも一緒に歌い出している。錦江の蛇行する浣花渓の一段には、淵があり、早瀬があり、洲があり、砂があり、泥があり、また漁の舟も集まり、商人の舟も通い、杜甫の遊覧の舟も浮かび、魚も捕れ、ハスも採れ、水浴びもでき、まことに杜甫の心をなぐさめ楽しませるところであった。

「為農」詩は農民となって住むことを述べる、五言律詩。760年上元元年春の末の作。


為農
錦裡煙塵外,江村八九家。
この錦官城の郊外の里、浣花渓の地は兵馬の塵埃から掛け離れたところで、錦江沿いの村には八九軒の家がある。
圓荷浮小葉,細麥落輕花。
錦江の岸に近い所に円い蓮が小さい葉を水面にうかべており、陸の方では細かな麦の実の畑に軽らかな花が落ちる。
卜宅從茲老,為農去國賒。
ここに居宅を建設したからにはこの地において私は歳を重ねていくのだ。ここで農民となることをけついしたからには、はるばる故郷からはなれた処に来ていることであり還る気持ちはないのである。
遠慚勾漏令,不得問丹砂。
ここで思うのは遠いむかしの勾漏の県令、晋の道士葛洪の故事にいささかはずかしくおもうのである。それは葛洪は道士として丹砂を自信を持って得たものであるが、儒者の私は自信を以て農民になることが出来るだろうかと問うことができぬことだ。

錦里【きんり】煙塵【えんじん】の外、江村【こうそん】八九家。
円荷【えんか】小葉浮かび、細麦【さいぼく】軽花落つ。
宅を卜【ぼく】して茲これ従り老いん、農と為って国を去ること賒【はる】かなり。
遠く勾漏【こうろう】の令に慚【は】ず 丹砂を問うことを得ず。

楊柳00005

『為農』 現代語訳と訳註
(本文)

為農
錦裡煙塵外,江村八九家。
圓荷浮小葉,細麥落輕花。
卜宅從茲老,為農去國賒。
遠慚勾漏令,不得問丹砂。


(下し文)
錦里【きんり】煙塵【えんじん】の外、江村【こうそん】八九家。
円荷【えんか】小葉浮かび、細麦【さいぼく】軽花落つ。
宅を卜【ぼく】して茲これ従り老いん、農と為って国を去ること賒【はる】かなり。
遠く勾漏【こうろう】の令に慚【は】ず 丹砂を問うことを得ず。


(現代語訳)
この錦官城の郊外の里、浣花渓の地は兵馬の塵埃から掛け離れたところで、錦江沿いの村には八九軒の家がある。
錦江の岸に近い所に円い蓮が小さい葉を水面にうかべており、陸の方では細かな麦の実の畑に軽らかな花が落ちる。
ここに居宅を建設したからにはこの地において私は歳を重ねていくのだ。ここで農民となることをけついしたからには、はるばる故郷からはなれた処に来ていることであり還る気持ちはないのである。
ここで思うのは遠いむかしの勾漏の県令、晋の道士葛洪の故事にいささかはずかしくおもうのである。それは葛洪は道士として丹砂を自信を持って得たものであるが、儒者の私は自信を以て農民になることが出来るだろうかと問うことができぬことだ。


(訳注)
為農

五言律詩
・押韻 家、花、砂。
成都から草堂への道は、成都の西郊外の川沿いの道(西浦の道)をいく。草堂寺の近く浣花渓が大きく蛇行する湾曲部の内側に住まいを決め、屋敷造りに精を出した。住まいの部分は初めは一畝ほどの広さであったが、その後は周辺部分にもしだいに広げていった。


錦裡煙塵外,江村八九家。
この錦官城の郊外の里、浣花渓の地は兵馬の塵埃から掛け離れたところで、錦江沿いの村には八九軒の家がある。
○錦里 錦官城の郊外の里、浣花渓の地をさしていう。
○煙塵 蜂煙風塵、これは故郷京洛の兵馬のことをいう、下の「去国賒」の意である。
○江村 浣花村をいう。○去国 京洛をはなれる。


圓荷浮小葉,細麥落輕花。
錦江の岸に近い所に円い蓮が小さい葉を水面にうかべており、陸の方では細かな麦の実の畑に軽らかな花が落ちる。
・圓荷 円い蓮。錦江の光景で下句の陸上の畑の光景と対比させる。小さい、細い、弱いなどの形容は春の若芽を云うのである。杜甫の描写の細やかな表現である。
・細麥 細かな麦の実。


卜宅從茲老,為農去國賒。
ここに居宅を建設したからにはこの地において私は歳を重ねていくのだ。ここで農民となることをけついしたからには、はるばる故郷からはなれた処に来ていることであり還る気持ちはないのである。
・卜宅 居宅を建設すること。


遠慚勾漏令,不得問丹砂。
ここで思うのは遠いむかしの勾漏の県令、晋の道士葛洪の故事にいささかはずかしくおもうのである。それは葛洪は道士として丹砂を自信を持って得たものであるが、儒者の私は自信を以て農民になることが出来るだろうかと問うことができぬことだ。
○勾漏令 晋の道士葛洪の故事、洪は勾漏から丹砂が出るときいて其の地の県令となった、勾漏県は勾漏山の下にあり、勾漏山は安南に在る。葛洪:(283-343頃) 中国、東晋の道士。字(あざな)は稚川(ちせん)、号は抱朴子(ほうぼくし)。栄利を望まず、神仙道を修行。晩年は羅浮山(らふざん)に入り、錬丹と著述に専念。
問丹砂 葛洪は県令となって丹砂の製造を間違いなく行ったのである、杜甫は儒者であり、ここにおいて農業をうまくやっていくことが出来るかどうか問いかけているのである。 ・丹砂:水銀と硫黄の化合物。深紅色の鉱石。



為農
錦裡煙塵外,江村八九家。
圓荷浮小葉,細麥落輕花。
卜宅從茲老,為農去國賒。
遠慚勾漏令,不得問丹砂。

(農と為る)
錦里【きんり】煙塵【えんじん】の外、江村【こうそん】八九家。
円荷【えんか】小葉浮かび、細麦【さいぼく】軽花落つ。
宅を卜【ぼく】して茲これ従り老いん、農と為って国を去ること賒【はる】かなり。
遠く勾漏【こうろう】の令に慚【は】ず 丹砂を問うことを得ず。