有客 杜甫

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成都(2)浣花渓の草堂(2 -4) 有客 杜甫 <367> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1775 杜甫詩 700- 543



詩 題:成都(2)浣花渓の草堂(2 -4) 有客
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の367首目 2-4
杜甫ブログ1500-543回目
ふいの来客のあったことを詠んだ。
五言律詩。上元元年 760年 49歳


浣花渓に囲まれたこの十軒に満たないほどの小さな集落が、実は杜甫にとっては長年の夢であった世俗の世界から隔たって、隠遁の世界を守る一つの空間にその身をおくことであった。中国の隠者は日本の隠者の修行と違って、結婚して家族との情愛を大切にし、名誉欲、利害に関わらない真の交友関係を楽しむもの、自分の世界観にひたる風流を基本においているものである。杜甫が近隣との付き合いを楽しみ、それを詩に描いているのも、背景の一つとしては、草堂での隠遁的生活情緒を演出するということもあったと思われる。これは秦州の東柯谷に隠遁したいと思っていた時にはなかった感情である。ここにきて精神的に安定してきて生活に関して病的な鋭さが消えているともいえることである。成都(2)の詩はそのことを念頭に読んでいくものである。


有客
患氣經時久,臨江卜宅新。
自分はこれまで長い間に時々出る肺の病気(喘息)になやまされている、それがこの錦江のそばに新たに居宅を立てたので少しいいようだ。
喧卑方避俗,疏快頗宜人。
ちょうど喧騒や卑俗という煩わしいものから避けることができ、きままに世俗から離れて快適に過ごせることと云うのは自分にとってどんなにか具合がいいことなのである。
有客過茅宇,呼兒正葛巾。
そんなころ、茅ぶきの家へ突然のお客が訪ねてくれるのである、柴門にいる子供を呼んで葛の頭巾を正しくかぶりなおさせてやる。
自鋤稀菜甲,小摘為情親。
突然の客の手土産は手づくりの野菜で、自分が鋤いてつくるというのはまれな事なのだが、気遣いをしなくてもいいお客であるから少しばかりこれを摘んでさしあげるのである。
(客有り)
気を患【うれ】いて時を経【ふ】ること久しく、江に臨みて宅を卜すること新たなり。
喧卑【けんぴ】 方【まさ】に俗を避く、疎快【そかい】 頗【すこぶ】る人に宜【よろ】し。
客有りて茅宇【ぼうう】を過ぐ、児【じ】を呼びて葛巾【かつきん】を正す。
自ら鋤【す】けば菜甲【さいこう】稀なり、小【すこ】しく摘むは情親【じょうしん】の為なり。


『有客』 現代語訳と訳註
(本文)
患氣經時久,臨江卜宅新。
喧卑方避俗,疏快頗宜人。
有客過茅宇,呼兒正葛巾。
自鋤稀菜甲,小摘為情親。


(下し文)
(客有り)
気を患【うれ】いて時を経【ふ】ること久しく、江に臨みて宅を卜すること新たなり。
喧卑【けんぴ】 方【まさ】に俗を避く、疎快【そかい】 頗【すこぶ】る人に宜【よろ】し。
客有りて茅宇【ぼうう】を過ぐ、児【じ】を呼びて葛巾【かつきん】を正す。
自ら鋤【す】けば菜甲【さいこう】稀なり、小【すこ】しく摘むは情親【じょうしん】の為なり。


(現代語訳)
自分はこれまで長い間に時々出る肺の病気(喘息)になやまされている、それがこの錦江のそばに新たに居宅を立てたので少しいいようだ。
ちょうど喧騒や卑俗という煩わしいものから避けることができ、きままに世俗から離れて快適に過ごせることと云うのは自分にとってどんなにか具合がいいことなのである。
そんなころ、茅ぶきの家へ突然のお客が訪ねてくれるのである、柴門にいる子供を呼んで葛の頭巾を正しくかぶりなおさせてやる。
突然の客の手土産は手づくりの野菜で、自分が鋤いてつくるというのはまれな事なのだが、気遣いをしなくてもいいお客であるから少しばかりこれを摘んでさしあげるのである。


(訳注)
有客
○有客とは偶然に来客のあったことをいう。不意の客。
杜甫の初めてというべきこの草堂は、地域社会から孤立して存在したものではないし、士人階層や農民階層との比較的密接な交際関係の中にあったということである。また、そういう10軒前後の人間関係は、濯錦江、浣花渓によって外界と隔てられた小さな村に抱かれるようにして、大切にはぐくまれていた。この詩以降暫く人間関係の「わずらわしさ」は影をひそめる。


患氣經時久,臨江卜宅新。
自分はこれまで長い間に時々出る肺の病気(喘息)になやまされている、それがこの錦江のそばに新たに居宅を立てたので少しいいようだ。
・患氣 肺気の病をわずろう。実際には、喘息であった。
・臨江 江は錦江。濯錦江=浣花渓が錦江に注ぎ込む地点であった。
・卜宅新 本ブログの成都(1)1~10に詳しく述べる。上句で長患いの喘息をのべている、自然環境と精神環境の改善で喘息が起こらなくなっていることを云っている。


喧卑方避俗,疏快頗宜人。
ちょうど喧騒や卑俗という煩わしいものから避けることができ、きままに世俗から離れて快適に過ごせることと云うのは自分にとってどんなにか具合がいいことなのである。
・喧卑 やかましくいやし、俗居のさま。
・疎快 世事と遠ざかってかってに気もちよくして居ること。
・宜人 自己にとってつごうがよい、人というのはひろくいったまでである。


有客過茅宇,呼兒正葛巾。
そんなころ、茅ぶきの家へ突然のお客が訪ねてくれるのである、柴門にいる子供を呼んで葛の頭巾を正しくかぶりなおさせてやる。
・葛巾 くずの繊維でもって織った頭巾。


自鋤稀菜甲,小摘為情親。
突然の客の手土産は手づくりの野菜で、自分が鋤いてつくるというのはまれな事なのだが、気遣いをしなくてもいいお客であるから少しばかりこれを摘んでさしあげるのである。
・菜甲 甲とは野菜のでたてのくきをいう。
小摘 すこしばかりつむ。
・情親 こころやすい人、来客をさしていう。

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有客
患氣經時久,臨江卜宅新。
喧卑方避俗,疏快頗宜人。
有客過茅宇,呼兒正葛巾。
自鋤稀菜甲,小摘為情親。
(客有り)
気を患【うれ】いて時を経【ふ】ること久しく、江に臨みて宅を卜すること新たなり。
喧卑【けんぴ】 方【まさ】に俗を避く、疎快【そかい】 頗【すこぶ】る人に宜【よろ】し。
客有りて茅宇【ぼうう】を過ぐ、児【じ】を呼びて葛巾【かつきん】を正す。
自ら鋤【す】けば菜甲【さいこう】稀なり、小【すこ】しく摘むは情親【じょうしん】の為なり。



生活自体に満足感を持っていることで詩の雰囲気は格段に変化している。読む人を安心させる詩になっている。詩人としての矜恃をしっかり持っていた杜甫らしい詩だといえるものである。
全体把握から始まり、身近な出来事、そして杜甫の心境を詠うお得意のスタイルは進化しているのである。