雲山  

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 女性詩647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-4>第2段の2Ⅱ中唐詩560 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1806 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -12) 雲山 杜甫 <375>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1807 杜甫詩1000-375-551/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集送李翺 韓退之(韓愈)詩<89> (01/17) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『訴衷情』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-48-1-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1808 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/


成都(2部)浣花渓の草堂(2 -12) 雲山 杜甫 <375>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1807 杜甫詩1000-375-551/1500 

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -12) 雲山
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の375首目-#2 -12
杜甫ブログ1500-551回目
成都草堂に来てはじめて九月九日を迎えた杜甫は成都の北部の高台に来た。望鄕臺から兄弟家族を思ったのだ。

雲山
京洛雲山外,音書靜不來。
長安、洛陽の二京は剣閣の雲山のむこうであり、親族はこの二京から向こうにいる。ここで何事もなく静寂な生活をしているけれど、家族、友人、知人からの手紙も噂話も来ないので静かなものだ。
神交作賦客,力盡望鄉台。
かれらとは心と心が通じ合い交わり合っているので詩歌を作ればそれで心が霊妙になるのだ。だからこうして力を尽くしてこの故郷を望める高台にきているのである。
衰疾江邊臥,親朋日暮回。
わたしはというとこの錦江の辺で衰えて病気がちで横になっている、ここでの仲の良い人たちが日があるうち暮れるまでに廻ってきてくれる。
白鷗原水宿,何事有餘哀?
白いユリカモメでさえこの湿原を生活の場としているのであるから、どんなに事が起こったとしても余生を悲しんで暮らすことがあろうか

京洛 雲山の外,音書 靜して來らず。
神ながら交わる 作賦の客に,力して盡す 望鄉の台を。
衰疾するは江邊の臥,親朋するは日暮の回。
白鷗は原水に宿とし,何んぞ事にして餘哀有らんや?

ゆりかもめ000

『雲山』 現代語訳と訳註
(本文)

雲山
京洛雲山外,音書靜不來。
神交作賦客,力盡望鄉台。
衰疾江邊臥,親朋日暮回。
白鷗原水宿,何事有餘哀?

(下し文)
京洛 雲山の外,音書 靜して來らず。
神ながら交わる 作賦の客に,力して盡す 望鄉の台を。
衰疾するは江邊の臥,親朋するは日暮の回。
白鷗は原水に宿とし,何んぞ事にして餘哀有らんや?


(現代語訳)
安、洛陽の二京は剣閣の雲山のむこうであり、親族はこの二京から向こうにいる。ここで何事もなく静寂な生活をしているけれど、家族、友人、知人からの手紙も噂話も来ないので静かなものだ。
かれらとは心と心が通じ合い交わり合っているので詩歌を作ればそれで心が霊妙になるのだ。だからこうして力を尽くしてこの故郷を望める高台にきているのである。
わたしはというとこの錦江の辺で衰えて病気がちで横になっている、ここでの仲の良い人たちが日があるうち暮れるまでに廻ってきてくれる。
白いユリカモメでさえこの湿原を生活の場としているのであるから、どんなに事が起こったとしても余生を悲しんで暮らすことがあろうか


(訳注)
雲山
成都草堂に来てはじめて九月九日を迎えた杜甫は成都の北部の高台に来た。望鄕臺から兄弟家族を思ったのだ。詩初句の一部を取って題としたもの。


京洛雲山外,音書靜不來。
長安、洛陽の二京は剣閣の雲山のむこうであり、親族はこの二京から向こうにいる。ここで何事もなく静寂な生活をしているけれど、家族、友人、知人からの手紙も噂話も来ないので静かなものだ。
・京洛 長安、洛陽の二京。
・雲山外 二京の地は剣閣という雲や山の向こう側にあるということ。義理の母、兄弟はこの二京から向こうにいる。
・靜 成都草堂において何事もなく静寂な生活をしている。その上、義理の母、兄弟、家族、友人、知人からの手紙が来なくて静かなものだ。


神交作賦客,力盡望鄉台。
かれらとは心と心が通じ合い交わり合っているので詩歌を作ればそれで心が霊妙になるのだ。だからこうして力を尽くしてこの故郷を望める高台にきているのである。
・神交 精神上の交際。霊妙なる交際。心と心の交わり合い。杜甫は、一年前から山東にいる兄弟たちに連絡を取るが返事がないのでこういう表現をしたのである。
・望鄉台 旧暦九月九日は須臾の花を紙に挿し、高いところに上り、故郷を望み、菊酒を飲む。
『蜀中九日』 初唐・王勃 (650-676)
九月九日望鄕臺,他席他鄕送客杯。
人情已厭南中苦,鴻雁那從北地來。


衰疾江邊臥,親朋日暮回。
わたしはというとこの錦江の辺で衰えて病気がちで横になっている、ここでの仲の良い人たちが日があるうち暮れるまでに廻ってきてくれる。
・江 濯錦江。浣花渓。


白鷗原水宿,何事有餘哀?
白いユリカモメでさえこの湿原を生活の場としているのであるから、どんなに事が起こったとしても余生を悲しんで暮らすことがあろうか
・何事 ここでの事は仕事ではなくて、出来事、叛乱、戰ということ。どんなことが起ころうと~。
餘哀 これからの人生を哀しく生きる。




杜甫は律詩や絶句を通信書簡としていたように思う。したがって我々が杜甫の詩を読む場合、誰にあてたものだろうかと想定してみると、その詩が数段味わい深くなってくる。「嘆き、悲しみ、不満、怒り」は、その時の感情表現であって、決して夜を悲観したものではないのである。


賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。


送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。
艱難歸故裡,去住損春心。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。
人生五馬貴,莫受二毛侵。

西掖の梧桐樹、空しく留む一院の陰。
艱難 故里に帰る、去住春心損ず。
宮殿 青門隔たる、雲山 紫邏深し。
人生 五馬貴し、二毛の侵すを受くる莫れ。
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたる木陰をとどめておるばかりである。
君はこの世事の難儀なときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに慶びの春の心を冷めてしまって傷むこころになるのである。
君が行くところはこの都の宮殿の東はるか青門からへだたったところであり、紫邏の雲山は奥深く遠いところである。
あなたは誰にとってもその人生において五馬を用意されるほどの官となる貴い位置なのである。髪の黒いうちにやっておくもので白髪なんぞに侵されるということがあってはならない。
寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447