遣興 杜甫 <376>

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興 杜甫 <376>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1811 杜甫詩1000-376-552/1500


詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の376首目
杜甫ブログ1500-552回目 
成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興


遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
衰疾那能久,應無見汝期。

老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。

(興を遣る)
干戈猶未だ定まらず 弟妹各~何に之く
涙を拭えば襟を零す血なり 頭を梳れば満面の糸
地卑くして荒野大に 天遠くして暮江遅し
衰疾那ぞ能く久しからん 応に汝を見る期無かるべし



現代語訳と訳註
(本文)
遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
衰疾那能久,應無見汝期。


(下し文) (興を遣る)
干戈猶未だ定まらず 弟妹各~何に之く
涙を拭えば襟を零す血なり 頭を梳れば満面の糸
地卑くして荒野大に 天遠くして暮江遅し
衰疾那ぞ能く久しからん 応に汝を見る期無かるべし


(現代語訳)
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。


(訳注)
遣興

杜甫「その時に思い遣った」シリーズは20首に及ぶ。長安にいて朝廷の左拾遺を拝命しているころから開始、その時々に作ったものであった。華州に行き、秦州でそれぞれ作った。そして成都に来て10カ月、シリーズ最後の作である。
尚、この詩ルーズについては2012年6月29遣興五首其一から7月17遣意二首の間で特集しているので参考にされたい。


干戈猶未定,弟妹各何之!
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
・干戈猶未定 上元元年は粛宗の治世で使用された元号。760年閏4月~ 761年9月。依然として、史思明軍が洛陽を占領している。翌761年史思明が息子史朝義に殺害され、2年後安史の乱は平定するが、弱体化した唐王朝に隣国「吐蕃」が再三攻め入る。杜甫は依然戦争パニックに陥っている。
・弟妹各何之 弟たちは、洛陽より東にいるため、長安にいた時でも連絡は取れにくかった。まして、杜甫はひと山脈越えた秦州(天水)に、さらにひと山越えた同谷へ、そうして成都紀行で、さらにさらに急峻難所を経て成都にたどり着き、知人の助けを借りて草堂を立てたばかりの所だ。弟たちからの連絡は届かなくても不思議ではない。成都郊外、浣花渓の畔、隠棲にはうってつけの場所である。杜甫にとってはこの20年の間、はじめて自己所有の家に、家族と過ごせるものであった。


拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
・拭淚 なみだをぬぐう。「官を辞して」杜甫は秦州で落ち着きたかったのであるが、わずか数カ月で移動しなければいけなかった状況は杜甫にとって、血のにじむ辛いことであった。ここ浣花渓草堂で、追い詰められたものの歎き、怨み、望郷の思いでいっぱいの毎日から脱却できたのか。


地卑荒野大,天遠暮江遲。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようで、平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
・地卑 上元元年(七六〇)の春早々、城西七里の浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの家(草堂)を設けた。杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、韋班には松の木の苗を、石筍街果園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に犬邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。
 草堂は暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背にし、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。


衰疾那能久,應無見汝期。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。
尾聯で、年を取ったこと、病気のこと、述べてから、希望・目標を否定的に述べるのは、希望目標を強調すためで杜甫は公式ともいえる「遣・・・・」「感・・・・」「〇・・・・」と題したものにおおく使っている。