石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1)  <376> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1815 杜甫詩1000-376-553/1500

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石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1)  杜甫 <376> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1815 杜甫詩1000-376-553/1500


詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1) 石犀行
作時760年9月杜甫49歳 七言歌行
掲 載; 杜甫1000の376首目-#1 2部-14-1
杜甫ブログ1500-553回目 2回分割の1回目。
成都の石犀を見てよんだ歌。上元二年秋七月の長雨による被害について詠ったもの。


石犀行 #1
君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
諸君見てごらんなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』
#2
修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。


(石犀行)
君見ずや秦時蜀の太守、石を刻し立てて 三犀牛を作る。
古より厭勝【えいしょう】の法有りと雖も、天生の江水東に向つて流る。
蜀人矜り誇ること一千載、泛溢【はんいつ】すれども張儀が樓に近づかず。
今年灌口に戸口を損す、此の語亦た神の羞爲るに足れり。


終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。


都江堰002

『石犀行』 現代語訳と訳註
(本文)
石犀行 #1
君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!

(下し文)(石犀行)
君見ずや秦時蜀の太守、石を刻し立てて 三犀牛を作る。
古より厭勝【えいしょう】の法有りと雖も、天生の江水東に向つて流る。
蜀人矜り誇ること一千載、泛溢【はんいつ】すれども張儀が樓に近づかず。
今年灌口に戸口を損す、此の語亦た神の羞爲るに足れり。
終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。

(現代語訳)
諸君見てごらんなさいなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』


(訳注)
石犀行
 #1
○石犀行 石で作った犀のうた。秦の孝文王の時、李冰氷を蜀の太守となしたが、李冰は江南の石犀溪で石犀五頭を作って水の精(かみ)を圧したという。晋の「華陽国志」に犀牛の一つは府中市橋門(石牛門是)にあり、一つは淵の中にあるという。唐のころ何個存在していたかは明らかでない、「立作五犀牛」の五とも三ともいう。
揚雄云蜀有李冰渠秦蜀守通 華陽國志秦孝文王以李冰為蜀守 冰乃壅江作堋穿郫江檢江别支流雙過郡下以行舟船岷山多梓柏大竹頽隨水流坐致材木功省 ... 人不知饑饉時無荒年天下謂之天府也外作石犀五頭以厭水精穿石犀溪於江南命曰犀牛里後轉置犀牛二頭一在府市市橋門今所謂石牛門是也一在淵中乃


君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
諸君見てごらんなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
○秦時蜀太守 「秦孝文王以李冰為蜀守」。都江堰を築工して石犀をつくった。紀元前3世紀、戦国時代の秦国の蜀郡の太守李冰(中国語版)(り ひょう)が、洪水に悩む人々を救うために紀元前256年から紀元前251年にかけて原形となる堰を築造した。


自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
○厭勝法 まじないの法。「厭」が「壓(圧)」に通じるところから、災難をはらう,悪魔を圧伏するという意味がある。厭勝銭に代表される。
○江水 錦江・長江の水をふくむもの、ここは常識を云うもので、大江ということで、中国四大河川を指すもの。


蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
○矜誇 ほこりはこる。
○芝溢 江水のあふれること。長江水系岷江の支流、錦江は洪水調整の都江堰と成都詩に数本の細流に枝分かれさせて流れている。その川が増水し溢れたということ。
○張儀楼 成都の少城―西城は張儀の築いた所ということ。


今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』
灌口 上元二年の七月に長雨があり八月に至って止んだが、灌口に損害があった。灌口とは成都市北方の山岳地帯の入口にあり、岷江が流れ、世界遺産ともなった景勝地で道教の聖地でもある青城山がある。漢代に蜀郡太守を務め蜀の学問を盛んにした文翁が漕江を穿って灌漑をおこない、金灌口と呼ばれるようになった。都江堰の分流の地点辺りを云う。
○戸口 人家人口。
○神羞 石犀の神霊の恥辱。災難除けの神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというもの。