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謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500


詩 題:杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の379首目-成都2部 -16首目の-2分割中の1回目
杜甫ブログ1500-557回目


 詩人にとっては園林を作るだけではなく、それを詩で描写する行為も重要である。園林の自然景観、園林での具体的な農業や生業の生活、園林での感情や心の動きの精神生活、それらをいろいろな角度から、時々に応じて繰り返し描写する。園林は元来は世俗や政治世界から隔離されて個人の自由世界を守るために営まれた物理的空間であるが、その園林で実際に生活することだけではなく、園林の詩を作るという文学的営為こそが、実は最も詩人を救うのであろう。詩人たちはそのことをよく知っていたので、後にはそれが中国の詩人たちの伝統ともなっていったのではなかろうか。

蚕叢(さんそう)、柏灌(はくかん)、魚鳧(ぎょふ)に次いで蜀(四川省)を治めたとされる中国神話上の蜀王。最後にホトトギスになったという伝説がある。
 望帝はもとは杜宇(とう)という名の天神だった。天から朱提山(しゅていざん)に降り、江源(こうげん)の井戸の中から現れた利という女を妻とした後、蜀王となって望帝と称した。
 その望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。
それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。
 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。


杜鵑行
君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。
寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。
雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。
業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。

役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。
其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。
爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?


杜鵑行
君見ずや 昔日 蜀の天子,杜鵑 化と作す似って老烏なり。
巢に生子寄す 自ら啄かず,群鳥 今に至るも哺雛に與える。
君臣を同うすると雖も舊禮有り,骨肉 滿眼 身は孤り羈る。
業工 竄伏 樹の裡に深し,四月 五月 偏りて號呼す。

其の聲 哀痛して口に流血し,訴える所は何事ぞ常に區區とす。
爾 豈に摧殘し始めて憤を發し,羞帶して羽翮 形愚を傷む。
蒼天 變化して 誰か 料得せん,萬事 反覆して 何に所する無し。
萬事 反覆して何に所する無くすれど,豈に當殿の群臣の趨するを憶わん?


『杜鵑行』 現代語訳と訳註
(本文) 杜鵑行

君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。


(下し文)
杜鵑行
君見ずや 昔日 蜀の天子,杜鵑 化と作す似って老烏なり。
巢に生子寄す 自ら啄かず,群鳥 今に至るも哺雛に與える。
君臣を同うすると雖も舊禮有り,骨肉 滿眼 身は孤り羈る。
業工 竄伏 樹の裡に深し,四月 五月 偏りて號呼す。


(現代語訳)
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。
役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。


(訳注)
杜鵑行

○杜鵑  ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】. 蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑


君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。


寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。


雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。


業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。
役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。
業工 朝廷の官僚のこと。工:役人。
・竄伏【ざんぷく】.のがれかくれること。
・深樹裡 深い森の真っ只中。
・四月五月 蜀の望帝が隠棲の後に復帰しようと泣き叫ぶのと同じように長安洛陽を奪還して、長安に帰還したが、興慶宮に軟禁状態にされたのである。
ツツジ属の植物はおおむね常緑若しくは落葉性の低木から高木で、葉は常緑または落葉性で互生、果実は蒴花である。4月から5月の晩春から初夏にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。また花を上手に採ると花片の下から蜜を吸うことができる。


安禄山の攻撃に、玄宗たちは蜀(四川省)へと避難を余儀なくされる。避難の途中で兵士たちにより楊国忠が殺害され、また楊貴妃も玄宗により殺されることとなった。国内が混乱する中の756年、玄宗は皇太子の李亨に位を譲り太上皇となった。安史の乱終結後、長安に戻った玄宗は半軟禁状態となり、762年に崩御した。