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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500


詩 題:過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の384首目-#3 -2
杜甫ブログ1500-565回目



過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
幽花敬満樹、細水曲通池。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
辟客村非違、残樽席吏移。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
看君多道東、従此敷追随。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。

(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。

篠竹15

『過南鄰朱山人水亭』 現代語訳と訳註
(本文)

相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。


(下し文)
(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。


(現代語訳)
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。


(訳注)
過南鄰朱山人水亭

この篇は作者が南鄰の朱山人の水辺の亭によぎったことをしのぶ。従来より、広徳二年に作者が成都に復帰したときの作とするものが多いが、詩の内容から類を以てここに置いたのである。


相近竹参差、相通人不知。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
・参差 [1]長短の等しくないさま。そろわないさま。[2]入りまじるさま。入り組むさま。


幽花敬満樹、細水曲通池。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。


辟客村非違、残樽席吏移。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
・辟客 遠いところからの客。隣りにもかかわらず互いに訪問するということがなかったということの意味。


看君多道東、従此敷追随。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。
・道東 道士の中で東に座るべき人だ。東に主人で西に弟子が座るのでこういう。