◆◆◆2013年2月3日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆
Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集

古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹植の詩
送應氏二首 其二 曹植 魏詩<32>文選 祖餞 664 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1873
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Ⅱ.中唐詩・晩唐詩
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
原道 韓退之(韓愈)詩<115-5>Ⅱ中唐詩577 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1874
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Ⅲ.杜甫詩1000詩集
"●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めて旅をする
●全詩1/3を掲載済。"
奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5)  杜甫 <387> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1875 杜甫詩1000-387-568/1500
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Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
登鹿門山懐古 孟浩然 (02/03)
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Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。
賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
古詩十九首 (1) 漢詩
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首




奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5)  杜甫 <387> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1875 杜甫詩1000-387-568/1500

詩 題:奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の387首目-#3 -5
杜甫ブログ1500回予定の-568回目  
  
杜甫は行在所、長安の朝廷で友好を深めていた高適を首を長くして待ちわびていたのですから。そのころ(758年)杜甫は、左拾位で王維、裴迪、賈至、岑參、厳武、高適・・・・たくさんの文人と交流していた。


奉簡高三十五使君
當代論才子,如公複幾人。
現代において才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人はだれかと論じたなら、貴方をまず挙げてまた幾人のものを列挙できるというのか。
驊騮開道路,鷹隼出風塵。
このたび、貴公は栄転されたことは駿馬の前に千里の道路が開かれたというものであり、あるいは、鷹や隼が風塵からぬけだしたようなものと思っている。
行色秋將晚,交情老更親。
もう秋が暮れかかろうとしているときにまさに旅立とうとしている絶好の季節だ。貴公とは若いころからの交情をかさねてきたのだけれどこうして年をかさねると一層親しい深いものになってゆくものだ。
天涯喜相見,披豁對吾真。

この地にきて嬉しいことは洛陽・長安で付き合っていて、ここ天の果てともいうべきところで互いに合うことが出来ることである、そうして、出世している貴公が私に対して昔同様に胸襟をひらいてくれることだ。
(高三十五使君に簡し奉る)
当代才子を論ぜば、公が如き復幾人ぞ。
驊騮【かりゅう】道路開く、鷹隼【ようじゅん】風塵を出づ。
行色【こうしょく】秋将に晩れんとす、交情【こうじょう】老いて更に親し。
天涯相い見て喜び、吾が真に対するを披豁【ひかつ】す。


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『奉簡高三十五使君』 現代語訳と訳註
(本文)

當代論才子,如公複幾人。
驊騮開道路,鷹隼出風塵。
行色秋將晚,交情老更親。
天涯喜相見,披豁對吾真。


(下し文)
(高三十五使君に簡し奉る)
当代才子を論ぜば、公が如き復幾人ぞ。
驊騮【かりゅう】道路開く、鷹隼【ようじゅん】風塵を出づ。
行色【こうしょく】秋将に晩れんとす、交情【こうじょう】老いて更に親し。
天涯相い見て喜び、吾が真に対するを披豁【ひかつ】す。


(現代語訳)
現代において才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人はだれかと論じたなら、貴方をまず挙げてまた幾人のものを列挙できるというのか。
このたび、貴公は栄転されたことは駿馬の前に千里の道路が開かれたというものであり、あるいは、鷹や隼が風塵からぬけだしたようなものと思っている。
もう秋が暮れかかろうとしているときにまさに旅立とうとしている絶好の季節だ。貴公とは若いころからの交情をかさねてきたのだけれどこうして年をかさねると一層親しい深いものになってゆくものだ。
この地にきて嬉しいことは洛陽・長安で付き合っていて、ここ天の果てともいうべきところで互いに合うことが出来ることである、そうして、出世している貴公が私に対して昔同様に胸襟をひらいてくれることだ。


(訳注)
奉簡高三十五使君

高適に寄せた詩。詩によれば高適が栄任したようで、彭州より蜀州に転じたことをいい、また作者がまさに高適を訪れようとしたときの作である。作時は詳らかでないが上元元年760年49歳と考える。上元元年(七六〇)の秋、. 崔五侍御を通じて彭州(四川省彭県)の刺史であった高適に援助を依頼した. 詩を書いている。頼みごとをする場合の律詩・絶句である。。
五言律詩。
高三十五使君 使君は刺史の敬称。


當代論才子,如公複幾人。
現代において才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人はだれかと論じたなら、貴公をまず挙げてまた幾人のものを列挙できるというのか。
・才子 1 才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人。多く男についていう。才人。才物。 2 抜けめがなく要領のよい人。「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」


驊騮開道路,鷹隼出風塵。
このたび、貴公は栄転されたことは駿馬の前に千里の道路が開かれたというものであり、あるいは、鷹や隼が風塵からぬけだしたようなものと思っている。
○驊騮 駿馬。
○開道 路すすむべき道路が前面にひらけたことをいう。
○鷹隼 一句たとえである。


行色秋將晚,交情老更親。
もう秋が暮れかかろうとしているときにまさに旅立とうとしている絶好の季節だ。貴公とは若いころからの交情をかさねてきたのだけれどこうして年をかさねると一層親しい深いものになってゆくものだ。
○行色 旅立ちの時の様子。
・交情 高適との交際は旅を
・744年 33歳 洛陽にあり、夏、初めて李白と遇う。秋、梁宋(河南)に遊び、李白・高適と吹台・琴台に登り、河を渡って玉屋山に遊ぶ。
・751年和 高適 (詩人の岑参、高適、薛拠、儲光羲らと交友)「同諸公登慈恩寺塔」 〔原注〕時高適。薛拠。先有作。天宝10載 751年 40歳

同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39


・753年友人の高適が武威郡(甘粛省武威県)に駐屯する河西節度使の哥舒翰の書記として赴任するのを送る。

送高三十五書記 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 50


・753年『寄高三十五書記』(高三十五書記に寄す)
友人高適が哥舒翰の幕下にあったのに寄せた詩である。製作時は753年天宝十二載の夏42歳。

寄高三十五書記  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 67


・758年乾元元年の作。太子少居事の官である高適に寄せた詩である。高適は至徳二載に揚州大都督府長史・准南節度使となって、永王燐を淮なんで破った功績があるにもかかわらず、、宦官の李輔国がしばしば高適を天子にあしざまにいったために太子少詹事を授けられた。詹事は東宮の三寺・十率府の政令を掌る、少詹事は詹事の副官で正四品上である。

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268


・759年 『寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻』杜甫の成都依稀を決心させるべききっかけとなった書簡。秦州で書いている。その直後秦州を旅立つ。

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441


760年春 成都草堂で、『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」

成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530


・760年秋『因崔五侍禦寄高彭州一絶』食糧援助の内容の絶句を作る。
因崔五侍禦寄高彭州一絶
百年已過半,秋至轉饑寒。
為問彭州牧﹕何時救急難?

(崔五侍禦に因り高彭州に寄せる一絶)
百年 已に半を過ぎ,秋至【しゅうじ】 轉【うた】た饑寒【きかん】なり。
問を為さん 彭州【ほうしゅう】の牧に﹕何れの時にか急を救うは難きや?

因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4)  <386> 五言絶句 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1871 杜甫詩1000-386-567/1500

天涯喜相見,披豁對吾真。
この地にきて嬉しいことは洛陽・長安で付き合っていて、ここ天の果てともいうべきところで互いに合うことが出来ることである、そうして、出世している貴公が私に対して昔同様に胸襟をひらいてくれることだ。
○天涯二句 この二句は高適の栄転を喜ぶもの、高適が杜甫に接する態度に感謝してそれを表すもの。この詩はお互いが尊敬しあっての付き合いをしていることを示すものである。
○披豁 胸襟をびらく。
○対 高適が対すること。
・ 韻 人、親、眞。


奉簡高三十五使君
當代論才子,如公複幾人。
驊騮開道路,鷹隼出風塵。
行色秋將晚,交情老更親。
天涯喜相見,披豁對吾真。

(高三十五使君に簡し奉る)
当代才子を論ぜば、公が如き復幾人ぞ。
驊騮【かりゅう】道路開く、鷹隼【ようじゅん】風塵を出づ。
行色秋将に晩れんとす、交情老いて更に親し。
天涯相見て、披豁【ひかつ】吾が真に対するを喜ぶ。