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李商隠詩
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詩 題:和裴迪登新津寺寄王侍郎 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -6)
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の388首目-#3 -6
杜甫ブログ1500回予定の-569回目
裴迪が新津の寺にのぼって侍郎王潜に寄せた詩の意を和してつくる。
王潜は時に蜀州の長官であった。


和裴迪登新津寺寄王侍郎
<王維の弟子の裴迪君と一緒に蜀州の新津の寺に泊まり、重陽の節句で山に登りて王維の事を語り合う中で王維に寄せる詩を作った。>
*〔原注〕 王時牧蜀
(杜甫の注:この時王維の弟の王潜は益州の隣の蜀州の刺史長官をしていた。)
何恨倚山木,吟詩秋葉黃。
秋の蝉よ、おまえは何の恨みあり、山の木に留まっているのか、そして詩を吟ぜられるのか、こんなに秋の葉の黄ばんで間もなく枯れようとしているのに(お前もじっと我慢をしていたので仕方がないのか)。
蟬聲集古寺,鳥影度寒塘。
ここに多くの恨みの蝉の声がこのふるいお寺にあつまっているのだ。見回すと寒い色をしたつつみのうえを鳥が影をして渡っていく。
風物悲遊子,登臨憶侍郎。
この景色は裴迪君、詩人の旅人としてのあなたを悲しくさせるものなのだ。重陽の節句でこうして高い処へのぼったにつけて王侍都のことをおもいだされたことだろう。(杜甫も王維も朝廷に対して不遇であることを共通の恨みに思っている)。
老夫貪佛日,隨意宿僧房

このように年は取っているが士夫としてわたしはあなたとはちがい仏法を勉強することにまだまだ貧しい思いをしているので、こうして思いのままに僧房に泊まり込んで仏の教えでも充分聞く必要があるでしょう。
(裴迪が新津の寺に登りて王侍郎に寄するを和す)
*〔原注〕 (王時に蜀を牧す)
何恨みか山木に倚り,吟詩す秋葉の黃。
蟬聲 古寺に集り,鳥影 寒塘を度る。
風物 遊子を悲しまん,登臨 侍郎を憶う。
老夫佛日を貪【むさぼ】る,隨意 僧房に宿せん。

駅亭の 隠遁

『和裴迪登新津寺寄王侍郎』 現代語訳と訳註
(本文)

和裴迪登新津寺寄王侍郎
*〔原注〕 王時牧蜀
何恨倚山木,吟詩秋葉黃。
蟬聲集古寺,鳥影度寒塘。
風物悲遊子,登臨憶侍郎。
老夫貪佛日,隨意宿僧房


(下し文)
(裴迪が新津の寺に登りて王侍郎に寄するを和す)
*〔原注〕 (王時に蜀を牧す)
何恨みか山木に倚り,吟詩す秋葉の黃。
蟬聲 古寺に集り,鳥影 寒塘を度る。
風物 遊子を悲しまん,登臨 侍郎を憶う。
老夫佛日を貪【むさぼ】る,隨意 僧房に宿せん。


(現代語訳)
<王維の弟子の裴迪君と一緒に新津の寺に泊まり、重陽の節句で山に登りて王維殿の事を語り合う中で王維に寄せる詩を作った。>
(杜甫の注:この時王維の弟の王潜は益州の隣の蜀州の刺史長官をしていた。)
秋の蝉よ、おまえは何の恨みあり、山の木に留まっているのか、そして詩を吟ぜられるのか、こんなに秋の葉の黄ばんで間もなく枯れようとしているのに(お前もじっと我慢をしていたので仕方がないのか)。
ここに多くの恨みの蝉の声がこのふるいお寺にあつまっているのだ。見回すと寒い色をしたつつみのうえを鳥が影をして渡っていく。
この景色は裴迪君、詩人の旅人としてのあなたを悲しくさせるものなのだ。重陽の節句でこうして高い処へのぼったにつけて王侍都のことをおもいだされたことだろう。(杜甫も王維も朝廷に対して不遇であることを共通の恨みに思っている)。
このように年は取っているが士夫としてわたしはあなたとはちがい仏法を勉強することにまだまだ貧しい思いをしているので、こうして思いのままに僧房に泊まり込んで仏の教えでも充分聞く必要があるでしょう。


(訳注)
和裴迪登新津寺寄王侍郎

王維の弟子の裴迪君と一緒に新津の寺に泊まり、重陽の節句で山に登りて王維殿の事を語り合う中で王維に寄せる詩を作った。
○裴迪 詩人であり、王維の親友である。王維の弟王潜の所に来ていた。王維と数年かけて輞川集をつくる。 罔川集 20
○新津寺 新津は蜀州県名、成都府に属し、蜀州の東南70里にある。杜甫の家からは西南西40里の所にある。
成都561

○王侍郎 侍郎の官の王潜、王維の弟で、王維が弟を長安に戻すため尽力し、許され帰郷途中鳳翔まで帰った時期に王維が死去する。この詩の2年後のことである。 

  
*〔原注〕 王時牧蜀
この時王維の弟の王潜は益州の隣の蜀州の刺史長官をしていた。
○牧蜀 蜀州の刺史であることをいう。


何恨倚山木,吟詩秋葉黃。
秋の蝉よ、おまえは何の恨みあり、山の木に留まっているのか、そして詩を吟ぜられるのか、こんなに秋の葉の黄ばんで間もなく枯れようとしているのに(お前もじっと我慢をしていたので仕方がないのか)。
○何恨 何の恨あってか。平時に胸に収めている不平不磨を持っていること。下句の「蝉」にかけてある。蝉は地中で長い間生活し、わずか数日の生命であることに。、比喩している 
陳子昂 「置酒此南洲。 平生亦何恨。 夙昔在林丘。 違此鄉山別。 長謠去國愁。」


蟬聲集古寺,鳥影度寒塘。
ここに多くの恨みの蝉の声がこのふるいお寺にあつまっているのだ。見回すと寒い色をしたつつみのうえを鳥が影をして渡っていく。
○鳥影 鳥が飛ぶその影がと手の草に映るのは、草が枯れてスクリーンのような状態になっている。青い草ではその青さに紛れてわからない。杜甫の上手い表現である。ここまでの四句はそれらに加えてに、無情さを感じさせる


風物悲遊子,登臨憶侍郎。
この景色は裴迪君、詩人の旅人としてのあなたを悲しくさせるものなのだ。重陽の節句でこうして高い処へのぼったにつけて王侍都のことをおもいだされたことだろう。(杜甫も王維も朝廷に対して不遇であることを共通の恨みに思っている)。
○遊子 裴迪 をさす。 
○登臨 重陽の節句には高い所に昇って遠くの親族友人知人の健康を祈るのである。
○侍郎 王侍郎。王維のこと。2年前杜甫は華州に居る時、王維に会っていて、共通の不満があったのだ。裴迪は王維の弟子のような存在で王維の弟王潜に会いに来ていたのだ。


老夫貪佛日,隨意宿僧房
このように年は取っているが士夫としてわたしはあなたとはちがい仏法を勉強することにまだまだ貧しい思いをしているので、こうして思いのままに僧房に泊まり込んで仏の教えでも充分聞く必要があるでしょう。
○老夫 年を取っている割には仏教の勉強が足りないという意味。
○仏日 仏徳を日にたとえる、金光明経に「仏日大悲、一切ノ闇ヲ滅ス」の語があるが、ここでは仏教を勉強する日数の事。王維は禅宗の僧侶の資格があり、王維の輞川荘には寺を作っていたのでこういう表現をしたのだ。
○僧房 新津の寺中のへやをいう。