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詩 題:贈蜀僧閭丘師兄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#1) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の389首目-#3 -7-#1
杜甫ブログ1500回予定の-570回目  





贈蜀僧閭丘師兄
太常博士均之孫,成都人。
大師銅梁秀,籍籍名家孫。
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。
惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
多士盡儒冠,墨客藹雲屯。

多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである
#2
當時上紫殿,不獨卿相尊。世傳閭丘筆,峻極逾昆侖。
鳳藏丹霄暮,龍去白水渾。青熒雪嶺東,碑碣舊製存。
#3
晚看作者意,妙絕與誰論。吾祖詩冠古,同年蒙主恩。
豫章夾日月,歲久空深根。小子思疏闊,豈能達詞門。
#4
窮秋一揮淚,相遇即諸昆。我住錦官城,兄居衹樹圖。
地近慰旅愁,往來當丘樊。天涯歇滯雨,粳稻臥不翻。
#5
漂然薄遊倦,始與道侶敦。景晏步修廊,而無車馬喧。
夜闌接軟語,落月如金盆。漠漠世界黑,驅驅爭奪繁。
惟有摩尼珠,可照濁水源。


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 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#1) 
『贈蜀僧閭丘師兄』 現代語訳と訳註
(本文)
贈蜀僧閭丘師兄
太常博士均之孫,成都人。
大師銅梁秀,籍籍名家孫。嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。多士盡儒冠,墨客藹雲屯。


(下し文)
(蜀僧の閭 丘師兄に贈る)
太常博士均之孫,成都人。
大師 銅梁の秀にし,籍籍として名家の孫なり。
嗚呼 先の博士にして,炳靈【へいれい】の精氣 奔にす。
惟昔 武皇の後,臨軒して 乾坤を禦【ふせ】ぐ。
多士 盡く儒冠【じゅかん】し,墨客 藹雲【あいうん】のごとく屯【たむろ】す。


(現代語訳)
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである。


(訳注)
贈蜀僧閭丘師兄

太常博士均之孫,成都人。
裴迪らと一緒に寺の宿坊に泊まり、お礼に作ったものである。太常博士であった閭丘均の孫にあたる丘僧侶である。
・閭丘均について中國古代人名辞典には〔唐〕(西暦709年前後在世)字不詳,益州成都の人。生卒年均不詳,約唐中宗景龍三年前後在世。以って文章著稱をおこなう。景龍中,(西暦708年頃)安樂公主の薦す所となり,起家して太常博士を拜す。循州司倉の上司に問題があり、連座して退官している。
・蜀僧 蜀の僧侶の中で指導的立場にあったのであろう。
・閭丘 百官の家系である。諸葛亮にも仕えている。
・太常博士 初唐の朝廷の事であろう。太常博士は従七品上で殿中侍御史、  左補闕、 右補闕に次ぐ地位のようだ。
    

大師銅梁秀,籍籍名家孫。
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
・銅梁 銅梁県(どうりょうけん)は中華人民共和国重慶市に位置する県で、唐代に銅梁県が設置された。


嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。
・炳靈 甘肅蘭州炳靈寺のこと。晋の時代に建立され唐で隆盛を極めた。石仏がある。


惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
・惟昔武皇 武力を以て国土を広げた皇帝や戦乱を平定した皇帝に送られる諡号である。
・臨軒 軒を並べて見比べる。
・禦乾坤 天と地を守り抜くこと。


多士盡儒冠,墨客藹雲屯。
多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである。
・儒冠 儒服のことで濡衣 ・ 儒冠。儒衣・儒家・儒学・儒冠・儒教・儒者・儒術・儒墨・儒流・儒林.は儒教者を云う。
・墨客 詩文や書画などの風流に親しむ人をいう。
・藹 雲(あいうん) むらがり立った雲。