恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10) 



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詩 題:恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の398首目-#3 -10
杜甫ブログ1500回予定の-579回目    
成都第三部の詩は、杜甫が成都草堂、浣花渓での生活に慣れてきて、友人や、戦況の情報を得るため行動している中で作った詩である。杜甫が暇を持て余して作る詩の定番、①弟、②戦況を題材にしたものである。


恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。

先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

(別を恨む)
洛城で一別して四千里はなれた、胡騎【こき】は長駆【ちょうく】して五六年になる。
草木は変衰【へんすい】し剣外に行き、兵戈【へいか】阻絶【そぜつ】して江辺に老ゆ。
家を思い月に歩して清宵【せいしょう】に立ち、弟を憶い雲を看て白日に眠る。
聞道【きくな】らく河陽近ごろ勝に乗ずと、司徒急に為に幽燕を破れ。





『恨別』 現代語訳と訳註
(本文)
恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。


(下し文)
(別を恨む)
洛城で一別して四千里はなれた、胡騎【こき】は長駆【ちょうく】して五六年になる。
草木は変衰【へんすい】し剣外に行き、兵戈【へいか】阻絶【そぜつ】して江辺に老ゆ。
家を思い月に歩して清宵【せいしょう】に立ち、弟を憶い雲を看て白日に眠る。
聞道【きくな】らく河陽近ごろ勝に乗ずと、司徒急に為に幽燕を破れ。


(現代語訳)
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

草堂002

(訳注)
恨別

故郷の弟、義母家族と別れて随分経過している。それもこれも、安禄山の叛乱が起こったためなのだ。久しいのを恨んでつくった。
760年上元元年 秋49歳
このとしの四月、国軍側の朔方節度使李光弼(りこうひつ)が反乱軍史思明を河陽(河南省孟県)で破りました。河陽は杜甫の生地鞏県(きょうけん)に近いところです。秋になって、その報せが杜甫の耳に届きます。
758年秋に家族を詠っている。
得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 289

憶弟二首其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 290

憶 弟 二首 其二(弟を憶う 二首其二) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 291


洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
○洛城 洛陽城。官を辞することを決めたのは、華州から洛陽、鞏州と友人に相談し、決意したからこういう。
○四千裡 400里は計算上では2300kmになるが実際には半分の1200km程度である。詩は計算上の数値とは関係ない。杜甫は洛陽・華州から秦州までを2000里、秦州から成都までを2000里合わせて4000里といったのだ。
○胡騎 安史軍の騎兵。 このブログでは賊軍・官軍という語は使用しない。安史の乱はそう単純なとらえ方では説明がつかないからである。
〇五六年 天宝末安禄山の乱 (755年11月5日-760年満6年になる。)が起こって、上元元年までで6年である。


草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
○草木変衰 宋玉の「九辨」の語、変衰とは色がかわりおとろえること、秋の時節をいう。物寂しい秋風の吹くさま。宋玉『九辨』「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」、魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。 樹木何蕭瑟,北風聲正悲!」とある。これ以降、蕭瑟、悲愁、惆悵がセットのように使われる。特に宋玉『九辨』は「悲秋」感情のバイブルのようなものである。
○剣外 剣門の外、は蜀をさす。剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。
杜甫『剣門』
三皇五帝前,雞犬莫相放。後王尚柔遠,職貢道已喪。
至今英雄人,高視見霸王。幷呑與割據,極力不相讓。
吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。恐此複偶然,臨風默惆悵。
○阻絶 中間の道路をへだてられること。
○江辺 錦江のほとり。

剣門関01

思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
○思家・憶弟 家と弟とは洛陽及び其の東方に在る。


聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。
○河陽近東勝 上元元年三月に李光粥は賊の安太清を懐州城下に破り、夏四月にはまた史思明を河陽の西渚に破った。
○司徒 李光瑞をいう、至徳二載李光覇は検校司徒となった。
○幽燕  幽州と燕州、ともに河北省の北部で安史軍の根拠地である。



成都第三部の詩は、杜甫が成都草堂、浣花渓での生活に慣れてきて、友人や、戦況の情報を得るため行動している中で作った詩である。杜甫が暇を持て余して作る詩の定番、①弟、②戦況をだいざいにしたものである