散愁二首 其二 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -12)  杜甫 <399>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1935 杜甫詩1000-399-581/1500 


2013年2月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
贈白馬王彪 序 曹植(曹子建) 魏詩<39>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1933

Ⅱ中唐詩・晩唐詩唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
原道  韓愈 (韓退之) 10段目-2<115-18>Ⅱ中唐詩590 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1934
Ⅲ杜甫詩1000詩集●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
散愁二首 其二 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -12)  杜甫 <399>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1935 杜甫詩1000-399-581/1500
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集題長安主人壁 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1936 (02/16)
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く
閨怨 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-78-14-# 卷804_10 【閨怨】魚玄機  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1937
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

  古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
杜甫詩index 杜甫詩http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/01toshiindex1.html
李白詩index 李白350首http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99blogindexrihaku.html
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


詩 題:散愁二首 其二 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -12) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の399首目-#3 -12
杜甫ブログ1500回予定の-581回目    



杜甫の成都の生活が559年12月から1年を迎えようとしているこの数か月の同系統の詩を並べてみると面白い。このブログでは、文学者に多い詩の一部分だけ切り取り、自分の結論に結び付ける論理がまかり通っているが、森を見て木を見る論法でなければ杜甫に失礼と思っている。ここに示す作品は

(1)江漲
江漲柴門外,兒童報急流。
下牀高數尺,倚杖沒中洲。
細動迎風燕,輕搖逐浪鷗。
漁人縈小楫,容易拔船頭。
柴門の外をみると錦江の水位があがってみなぎっている。すると、こどもらが錦江の水の流れが急になっていると報せてくる。
これをきいて川べりの平たい石の台をおりてみると二三尺も水嵩が高くなっている、杖に倚りかかって乗り出して見るとどうやら中洲が水没しているのだ。
軒端のツバメは出たり入ったり行動して風を切って飛んでいる。鴎は軽やかに揺らいで飛び、それから素早く動いて浪と追っかけっこをしている。
川上の漁師達は小さな舵を縄でくくりつけて下っていて、いとも簡単に波間を抜けて船の頭を操っているのだ。(江漲る)

(2)野老
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。

田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。

(3)所思
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。
自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。

(4)遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
衰疾那能久,應無見汝期。
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。

(5)南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

浣花渓の錦裡先生は鳥角巾を頭に乗せて隠者のすがたをしている。小さな農園でつくっている芋や栗がとれるからまったくの貧乏というのではない。
子どもは南隣のお客をみなれているので来客をみて喜び歓迎しているようだ、小鳥や、雀などもいつも外のきざはしあたりに近づいてきて物がたべよく人になれてきている。
秋の澄んだ江水がそこまでよく見え、四五尺の水深だ、そこへ二三人のれる野の小舟をうかべている。
白い沙浜のむこうに翠の竹林があり、江村も夕暮れが近づいてくる。客の朱山人を送ろうと柴門にむかうと秋の夕暮れは速く月明かりが増して新たに月があらわれたようなのである。

(6)北鄰
明府豈辭滿,藏身方告勞。
青錢買野竹,白幘岸江皋。
愛酒晉山簡,能詩何水曹。
時來訪老疾,步屧到蓬蒿。
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。

(7)恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。

一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

(8)出郭
霜露晚淒淒,高天逐望低。
遠煙臨井上,斜景雪峰西。
故國猶兵馬,他鄉亦鼓鼙。
江城今夜客,還與舊烏啼。

夕方になると夜露や霜の季節になっていて、静かで冷え冷えとしてくる。昼間あれほど空が澄み渡り高かった空も夕闇が迫ってきて、眺めるたびに天空が暗く垂れさがってくるのだ。
遠く彼方に昇る煙は、成都特産の塩工場の上にあがるものだ。その向こうに雪峰がつづきの入り日の後のわずかなひかりが斜めに空に残し映している。
故国のある東の方角は未だに安史軍により兵馬が治まらず、他郷たるこの地にもまた叛乱か、吐蕃の不穏な動きで剣南節度使軍の戦いの大太鼓、小つづみの音がずっと止まないままだ。
今夜この江城からでたわたしは旅人となるのだろう。そして戰がおさまらない今、前からの烏とともに啼く詩をつくるより外になのだ。

(9)散愁二首 之一  
久客宜旋旆,興王未息戈。
蜀星陰見少,江雨夜聞多。
百萬傳深入,寰區望匪他。
司徒下燕趙,收取舊山河。

私はもう随分長く旅にでているけれど、兄弟親族が元々の故郷に帰えれればよいとおもっている。しかし、唐中興の呼び声高い天子たる粛宗はいまだ戦を止めさせることができてはいない。
ここ蜀では雨降りの日が多く星が陰っているので、星による占いもできることはすくない。錦江の雨は夜になると巫山神女の故事により雨の音を聞くことが多いのだ。
百万の大軍の唐王朝連合軍は敵の安史軍の奥深く入り込んだそうだが、天下の望む所は安史軍を打ち負かすこと、これ以外ほかにのぞむことはないのだ。
たから李光弼司徒殿が燕趙の安史軍支配地を征伐を下してもらい、この荒れ果てた山河をの前の緑豊かな山河を奪い返えしてもらうということなのである。


散愁二首 之二 
聞道並州鎮,尚書訓士齊。
これは並州の鎮所での事を聞き及んだことなのだ。李光粥からかわった太原府の王尚書は士卒訓練を良くして統率力でよくととのっているということのようだ。
幾時通薊北?當日報關西。
いつになったら安史軍の根拠地である薊州の北の方まで道路での意機会ができるようになり、同時にその日のうちに長安の都へ報知することになるといいのだけれど。
戀闕丹心破,沾衣皓首啼。
自分は都の朝廷の門闕にあこがれてつかえたものだったが、その丹き心がうちこわれてしまい、涙は衣をうるおしてこの田舎に隠遁している私の白髪あたまを抱えて泣きじゃくっているのだ。
老魂招不得,歸路恐長迷。

この老いの魂は、やがては故郷に招かれるものであろうが、今のように安史軍に東都以東抑えられている状況ではが招こうとしても招けるものではないのだ。このままでは故郷へのかえり路の途中で、永久に迷うことであろうと心配するのである。

聞道【きくなら】く並州の鎮、尚書士を訓すること斉しと。
幾時か薊北に通じて、当日関西に報ぜん。
闕を恋いて丹心破れ、衣を零して皓首啼く。
老魂招き得ず、帰路恐らくは長く迷わん。


sas0011


『散愁二首 之二』 現代語訳と訳註
(本文)
 
聞道並州鎮,尚書訓士齊。
幾時通薊北?當日報關西。
戀闕丹心破,沾衣皓首啼。
老魂招不得,歸路恐長迷。


(下し文)
聞道【きくなら】く並州の鎮、尚書士を訓すること斉しと。
幾時か薊北に通じて、当日関西に報ぜん。
闕を恋いて丹心破れ、衣を零して皓首啼く。
老魂招き得ず、帰路恐らくは長く迷わん。


(現代語訳)
これは並州の鎮所での事を聞き及んだことなのだ。李光粥からかわった太原府の王尚書は士卒訓練を良くして統率力でよくととのっているということのようだ。
いつになったら安史軍の根拠地である薊州の北の方まで道路での意機会ができるようになり、同時にその日のうちに長安の都へ報知することになるといいのだけれど。
自分は都の朝廷の門闕にあこがれてつかえたものだったが、その丹き心がうちこわれてしまい、涙は衣をうるおしてこの田舎に隠遁している私の白髪あたまを抱えて泣きじゃくっているのだ。
この老いの魂は、やがては故郷に招かれるものであろうが、今のように安史軍に東都以東抑えられている状況ではが招こうとしても招けるものではないのだ。このままでは故郷へのかえり路の途中で、永久に迷うことであろうと心配するのである。


(訳注)   
散愁二首 之二 
官軍の勢いがよいので気ばらしのためにつくった詩である。
○散愁 うれいのこころをちらす。この数か月前の作品と微妙に変化している。
上元(じょうげん)は中国唐代、粛宗の治世で使用された元号。760年閏4月 - 761年9月。
なお、上元は高宗の治世にも元号に用いられたことがある。
元年:史思明軍が洛陽を占領する。
2年:史思明が息子史朝義に殺害される。


聞道並州鎮,尚書訓士齊。
これは並州の鎮所での事を聞き及んだことなのだ。李光粥からかわった太原府の王尚書は士卒訓練を良くして統率力でよくととのっているということのようだ。
○幷州鎮 山西省太原府をいう、ここはもと李光粥の鎮所であったが光粥は河陽の方へやられてあとは王思礼が彼に代わった。
○尚書 王思礼をさす、乾元二年七月兵部尚書・路泌節度使・雀国公・王思礼を以て大原尹を兼ねさせ北京留守に充てた、ここでの北京は大原をいう。
○斉 ととのうこと。


幾時通薊北?當日報關西。
いつになったら安史軍の根拠地である薊州の北の方まで道路での意機会ができるようになり、同時にその日のうちに長安の都へ報知することになるといいのだけれど。
○薊北 都は薊州、燕の地。
○当日その日、薊州に通じる日をさす。
○関西 函谷関の西、関西・関中は長安をさす。


戀闕丹心破,沾衣皓首啼。
自分は都の朝廷の門闕にあこがれてつかえたものだったが、その丹き心がうちこわれてしまい、涙は衣をうるおしてこの田舎に隠遁している私の白髪あたまを抱えて泣きじゃくっているのだ。
沾衣皓首啼 杜甫は、心に決めたものに向かって進もうとするとき、「白髪頭」、「皓首」、などをつかう。皓は商山の四皓を意識している。すなわち、隠遁した老人という意味になる。
ブログ掲載分
・得家書(家書を得たり)至徳二載の秋七月。757年
・ ・送樊二十三侍禦赴漢中判官
送從弟亞赴河西判官
・ 月
・晚行口號
・送賈閣老出汝
・兩當縣吳十侍禦江上宅
・散愁二首其二

この時期以降はこの倍以上「白髪頭」使う。
未掲載、順次掲載予定。
・屏跡 三首
・寄賀蘭銛
・正月三日歸溪上有作,簡院內諸公
・白帝城最高楼
・日暮
・登高
・舟月對驛近寺
・醉歌行 贈公安顏少府請顧八題壁
・清明 二首其二
・題李尊師松樹障子歌
・夜歸
・陪王使君晦日泛江就黃家亭子 二首
・正月三日歸溪上有作,簡院內諸公 杜甫


老魂招不得,歸路恐長迷。
この老いの魂は、やがては故郷に招かれるものであろうが、今のように安史軍に東都以東抑えられている状況ではが招こうとしても招けるものではないのだ。このままでは故郷へのかえり路の途中で、永久に迷うことであろうと心配するのである。