江亭 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 19) 

2013年3月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原鬼 韓愈(韓退之) <118-3>Ⅱ中唐詩616 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2064
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江亭 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 19)  杜甫 <424>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2065 杜甫詩1000-424-607/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集過始寧墅 謝霊運<13> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2066 (03/14)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性寄飛卿 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-104-39-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2067
 
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

江亭 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 19)  杜甫 <424>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2065 杜甫詩1000-424-607/1500

詩 題:江亭 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 19) 
作時761年3月杜甫50歳
掲 載; 杜甫1000首の424首目-場面4 – 19
杜甫ブログ1500回予定の-607回目


春の出水のことをのべた。詩題の「春水」は、草堂の建設から一年たった新津から帰っての3月の作である。この年は去年の春雪解けの水より、増水が多く、岸いっぱいに流れた春水も落ち着いてきたのだ。濯錦江辺の四阿の晩春の心もちをのべた。上元2年 761年 50歳


760年の春水を述べた詩

2- 9.江漲


761年 同時期に春水を述べた詩

4- 8.春夜喜雨 杜甫

4- 9.春水生 二絶其一 杜甫

4-10.春水生 二絶其二 杜甫

4-11.江上水如海勢聊短述 杜甫

4-12.水檻遣心二首其一 杜甫

4-13.水檻遣心二首其二 杜甫
4-18. 春水“この年の出水は2月から続いている。しばらく家を空けて帰って來ると朝起きて2月ごろの水位になっていた。”
4-19.江亭
 杜甫は、隠者生活を満喫しているが、草堂に客が来ることは滅多にない。川辺に設けた小さな四阿で寝そべって過ごす、晩春の作。


江  亭
坦腹江亭暖、長吟野望時。
濯錦江の川縁に立てた四阿の枕席に仰臥するとあたたかなところでゆったりする。そして長吟しながら田野をながめるときをすごす。
水流心不競、雲在意倶遅。
水は東流して行くもので我が心はこの流れを逆流させることなどと争うつもりもなく、この時の流れに任せている。雲がじっと横たわっているが、わたしのこころもそれとともにゆったりとしている。
寂寂春将晩、欣欣物自私。
そんな一日をしずかにすごしているうちにもう春が終わろうとしている。この春の万物の成長をみても彼らはかれら自身でそのことをうれしそうに自己の生活をとげていくのである。
故林帰未得、排悶強裁詩。

この浣花渓の林も住み慣れてきたが、思えば郷愁も湧いてくるがかえることができそうにない。それで考えを変えて前向きになるためにこの詩をつくるのである。
江亭(こうてい)の暖かなるに坦腹(たんぷく)す、長吟(ちょうぎん)野望の時
水流れて心は競(きそ)わず、雲在りて意(い)は倶(とも)に遅し
寂寂(せきせき)として春将(まさ)に晩れんとし、欣欣として物自ら私(わたくし)す
故林(こりん)帰ること未だ得ず、悶(もだ)えを排して強いて詩を裁(さい)す



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『江 亭』 現代語訳と訳註
(本文)

坦腹江亭暖、長吟野望時。
水流心不競、雲在意倶遅。
寂寂春将晩、欣欣物自私。
故林帰未得、排悶強裁詩。


(下し文)
江亭(こうてい)の暖かなるに坦腹(たんぷく)す、長吟(ちょうぎん)野望の時
水流れて心は競(きそ)わず、雲在りて意(い)は倶(とも)に遅し
寂寂(せきせき)として春将(まさ)に晩れんとし、欣欣として物自ら私(わたくし)す
故林(こりん)帰ること未だ得ず、悶(もだ)えを排して強いて詩を裁(さい)す


(現代語訳)
濯錦江の川縁に立てた四阿の枕席に仰臥するとあたたかなところでゆったりする。そして長吟しながら田野をながめるときをすごす。
水は東流して行くもので我が心はこの流れを逆流させることなどと争うつもりもなく、この時の流れに任せている。雲がじっと横たわっているが、わたしのこころもそれとともにゆったりとしている。
そんな一日をしずかにすごしているうちにもう春が終わろうとしている。この春の万物の成長をみても彼らはかれら自身でそのことをうれしそうに自己の生活をとげていくのである。
この浣花渓の林も住み慣れてきたが、思えば郷愁も湧いてくるがかえることができそうにない。それで考えを変えて前向きになるためにこの詩をつくるのである。


(訳注)
江  亭

○江亭 江のほとりの亭で、おそらく四方に壁のない四阿出会ったのだろう。江は濯錦江、自宅草堂の庭先の川べりに四阿を作ったのだろう。この亭(四阿)は、この詩で初めて出る。『水檻遣心二首其二』では「葉潤林塘密,衣幹枕席清。」とあり、この絶句にあった「枕席」がこの江亭なのであろう。


坦腹江亭暖、長吟野望時。
濯錦江の川縁に立てた四阿の枕席に仰臥するとあたたかなところでゆったりする。そして長吟しながら田野をながめるときをすごす。
○坦腹 腹を平らにして仰ぎ臥す。うつぶせで、背中にあたる日差しで暖かくなったのだ。
○長吟 ながくこえを引いて吟ずる。この詩を吟ずることをいう。
○野望 田野をながめる。
○時 その時ではなく。時の経過を云うものでそんなひと時を過ごすという意味。

水流心不競、雲在意倶遅。

水は東流して行くもので我が心はこの流れを逆流させることなどと争うつもりもなく、この時の流れに任せている。雲がじっと横たわっているが、わたしのこころもそれとともにゆったりとしている。

水檻遣心二首00○水流 まさしく草堂の西から流れてきた流れが東南へ流れ去る。水流、東流、時の流れ、世の移ろいに身を任せるというほどの意味。
○不競 心の流れるのにまかせて争わぬ。
○雲在 雲がひとりでに存在しておる。
○遅 ゆったりとしておる。






杜甫草堂詳細図02寂寂春将晩、欣欣物自私。
そんな一日をしずかにすごしているうちにもう春が終わろうとしている。この春の万物の成長をみても彼らはかれら自身でそのことをうれしそうに自己の生活をとげていくのである。
○寂寂 静かに時が過ぎる。知らぬ間にというほどの意味。
○欣欣 よろこばしげなさま。
○物自私 物は万物、万物の成長、春の季語である。私とは自己の生を遂げつつあることをいう。杜甫『後遊』「花柳更無私。」といっているのと同様のこと。


故林帰未得、排悶強裁詩。
この浣花渓の林も住み慣れてきたが、思えば郷愁も湧いてくるがかえることができそうにない。それで考えを変えて前向きになるためにこの詩をつくるのである。
○故林 この浣花渓の林も住み慣れてきたが、思えば郷愁も湧いてくるというほどの意味。
○帰来得 来待帰に同じ。
○排悶 心中のもだえをおしのける。前向きな気持ちになる。ポジティブな考え。
○裁詩 ポジティブな考えで詩をつくること。裁はただつくるのではなく、心にある様々なことを切り分けて、前向きに調整して作る。


ここで杜甫は故郷に帰りたいというために作った詩ではない。こんなのんびりと生活できる浣花渓の林は故郷に帰る必要がなくなったといっているのである。杜甫は戦争でその地を追われて地獄を見たのである、平和な生活をどれほど求めてきたか、ここでの生活を棄てて戦争のど真ん中の故郷にかえりたいということは全く思っていないのである。ただ、夏になると成都で反乱がおきるので、成都を脱出するのである。
私が、杜甫の詩を全詩訳していこうとしているのは、今までの訳註解説の出版物で解釈が微妙に違っていて、短絡に流れていて、問題があるからである。そのために杜甫という人間像が違っているのである。

 この詩でも、「故林帰未得」を
・岩波文庫 鈴木虎雄・黒川洋一では、江を錦江として雑な解釈をしているし、「自分はまだ故郷の林に変えることが出来ぬ。」と。
・中国詩人選集 杜甫上 「ところでわたしひとりは故郷に帰ることが出来ずにいるのだ。」と。
・杜甫詩選 黒川洋一 「ところでわたしひとりは故郷に帰ることが出来ずにいる」と。
・漢詩大系 目加田誠 「この時、私は今以て故郷に帰ることはできず」
と、杜甫は故郷に帰りたいと思っていると勝手に思い込んでこの詩を主観的に解釈しているのだ。
この詩の【首聯】【頷聯】【頸聯】の表現がまるで【尾聯】の故郷に帰りたいにかかってきているのである。つまり、こんなに素敵で、のんびりとした生活していても、官を辞してあこがれた生活を得ていても故郷に帰りたいという解釈をしているのである。
私の解釈は尾聯の下の句に「排悶強裁詩」にあるのは、これから今までの暗い、厭なところは切り捨てて、前向きに生きようとしていることに注目するのである。そうすると尾聯上の句は「故林」故郷の林という短絡した解釈をしないで、それよりも、これだけ慣れ親しんで、気に入っているここ浣花渓の林、しかも自分で花が咲き乱れる桃源郷を作ったのだからという「故林」なのである。したがって、この浣花渓の草堂を示すものなのだ。
 そうすると、この詩の初めから最後まで杜甫がこの生活にひたり満足した生活をしていることになり、この詩の素晴らしさがさらに増すものである。
 このように細かなところで、違うことが大きく違うことにつながっているのである。
 杜甫詩1000で一通り掲載が終了すると、ここで述べた様に日本で発行された訳註本を分析、比較して、間違っている解釈を正していこうと予定している。特に、杜詩でここに示した「故郷」「嘆」「感嘆」「白髪」などの解釈が、主観により短絡なものであるということを是正しなければならないと思っている。だから全詩通して掲載し、その後、解釈について述べて行こうとするのである。