石鏡 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 26) 

蜀王が好色であることから様々な物語が伝えられている。杜甫は昨年760年の夏にも石犀行』、『石筍行』、『杜鵑行という蜀の故事をもとに詩を作っている。この詩はその続編というところである。成都の街に出てこの場所に来て作った。

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石鏡 杜甫 <431>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500


詩 題:石鏡 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 26) 
作時761年3月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の431首目-場面4 – 26
杜甫ブログ1500回予定の-614回目   40724




石鏡
蜀王將此鏡,送死置空山。
蜀王は山々の精と言われた妻を成都の街に埋葬しここに石鏡を作っておいた。その死後時は立って空しい山となっている。
冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
静かで暗いそこには芳しい骨となっているだけで憐れをもよおすのである。その意志の鏡に輝く顔を近づけてみるのである。
眾妃無複歡,千騎亦虛還。
たくさん集められたその妃たちは再び歓喜の声を上げることはない。この石鏡のための千騎のの兵士たちも又帰って來ることはないのである。
獨有傷心石,埋輪月宇間。
私は独り此処に傷心の石があるだけであると思う。
孫子の兵法で「馬を並べて車輪を埋め、以て進退を封じて往く所無きにす」という秦が攻めて來るに際して戦略のものも今では月の世界の話となっている。
(石鏡)
蜀王 將に此れ鏡とし,死して送るは空山に置く。
冥寞して香骨を憐み,提攜して玉顏を近す。
眾妃 複た歡ぶこと無し,千騎 亦た虛しく還る。
獨り傷心の石有り,埋輪 月宇の間。


『石鏡』 現代語訳と訳註
(本文)
魚玄機550034蜀王將此鏡,送死置空山。
冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
眾妃無複歡,千騎亦虛還。
獨有傷心石,埋輪月宇間。


(下し文)
(石鏡)
蜀王 將に此れ鏡とし,死して送るは空山に置く。
冥寞して香骨を憐み,提攜して玉顏を近す。
眾妃 複た歡ぶこと無し,千騎 亦た虛しく還る。
獨り傷心の石有り,埋輪 月宇の間。


(現代語訳)
蜀王は山々の精と言われた妻を成都の街に埋葬しここに石鏡を作っておいた。その死後時は立って空しい山となっている。
静かで暗いそこには芳しい骨となっているだけで憐れをもよおすのである。その意志の鏡に輝く顔を近づけてみるのである。
たくさん集められたその妃たちは再び歓喜の声を上げることはない。この石鏡のための千騎のの兵士たちも又帰って來ることはないのである。
私は独り此処に傷心の石があるだけであると思う。
孫子の兵法で「馬を並べて車輪を埋め、以て進退を封じて往く所無きにす」という秦が攻めて來るに際して戦略のものも今では月の世界の話となっている。


(訳注)
石鏡
蜀王が好色であることから様々な物語が伝えられている。杜甫は昨年760年の夏にも石犀行』、『石筍行』、『杜鵑行という蜀の故事をもとに詩を作っている。この詩はその続編というところである。成都の街に出てこの場所に来て作った。


蜀王將此鏡,送死置空山。
蜀王は山々の精と言われた妻を成都の街に埋葬しここに石鏡を作っておいた。その死後時は立って空しい山となっている。
・蜀王鏡 武都の人で善知という人がいた。蜀王は、その妻を蜀へ引っ越させた。『伊鳴声』の六舞踊曲を作って彼女を愛した。彼女の夫は女となり、美しく山々の精と言われた。蜀王は彼女を娶って妻とした。幾ばくもせずに帰らぬ人となった。蜀王は兵士を出して武都の土を持ってこさせ、成都の城内に埋葬した。大よそその地は、180平米*4、高さ7メートル*5、武担と言い、石で一枚の鏡を作ってその墓の表に置いた。鏡の幅は1メートル、高さは120cm程だった。


冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
静かで暗いそこには芳しい骨となっているだけで憐れをもよおすのである。その意志の鏡に輝く顔を近づけてみるのである


眾妃無複歡,千騎亦虛還。
たくさん集められたその妃たちは再び歓喜の声を上げることはない。この石鏡のための千騎のの兵士たちも又帰って來ることはないのである。
・眾妃 秦王は、蜀王が好色であることを知り、5人の美女を蜀王に送った。蜀王はこれを愛し、五人(の力士)を送って女達を迎えさせた。
・千騎 長さが三メートル、重さ千鈞*1もある、石牛と言われたもので。千人では動かすことができなかった。


獨有傷心石,埋輪月宇間。
上弦の月私は独り此処に傷心の石があるだけであると思う。孫子の兵法で「馬を並べて車輪を埋め、以て進退を封じて往く所無きにす」という秦が攻めて來るに際して戦略のものも今では月の世界の話となっている。
・埋輪 『孫子•九地』「故善用兵者、譬如率然、率然者、常山之蛇也、撃其首則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至、敢問、兵可使如率然乎、曰、可、夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手、是故方馬埋輪、未足恃也、齋勇若一、政之道也、剛柔皆得、地之理也、故善用兵者、攜手若使一人、不得已也、」このゆえに馬を方べ輪を埋るも、いまだ恃むに足らず 



・蜀王鏡
武都有一丈夫,化為女子,美而豔,蓋山精也。蜀王納為妃。不習水土,欲去。王必留之,乃為《東平》之歌以樂之。無幾,物故。蜀王哀之。乃遣五丁之武都擔土,為妃作冢,蓋地數畝,高七丈。上有石鏡。今成都北角武擔是也。武都の人で善知という人がいた。蜀王は、その妻を蜀へ引っ越させた。蜀に居住した後、そこの風土に合わず、帰りたがった。蜀王は彼女を愛していたので、留め置いた。《伊鳴声》という六つの舞踊曲を作った。
 武都の夫は女となった。美しく山々の精と言われた。蜀王は彼女を娶って妻とした。風土習俗が合わず、病を得て帰りたがった。蜀王はこれを留め置いた。幾ばくもせずに帰らぬ人となった。蜀王は兵士を出して武都の土を持ってこさせ、成都の城内に埋葬した。大よそその地は、180平米*4、高さ7メートル*5、武担と言い、石で一枚の鏡を作ってその墓の表に置いた。鏡の幅は1メートル、高さは120cm程だった。