杜甫 《絶句漫興九首 其二》 成都浣花渓 “それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうべからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。”


絶句漫興九首其二 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 41)  春風のいたずらを責める。


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絶句漫興九首 其二 成都浣花渓 杜甫 <446>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2175 杜甫詩1000-446-629/1500

詩 題:絶句漫興九首其二 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 41) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の446首目-場面(4 - 41) 
杜甫ブログ1500回予定の-629回目


4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。

旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。(


4-41
 絶句漫興九首其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。

濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。

恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。

それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうべからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

手ずから種えし桃李 主無きに非ず、野老 括低きも還た是れ家なり。
恰も似たり春風の相欺り得たるに、夜来 吹き折る数枝の花。





『絕句漫興九首』其二 現代語訳と訳註
江畔独歩尋花(本文)
2 春風のいたずらを責める。
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。


(下し文)
手ずから種えし桃李 主無きに非ず、野老 牆【かき】低きも還た是れ家なり。
恰【あたか】も似たり春風の相い欺【あなど】り得たるに、夜来 吹き折る数枝【すうし】の花。


(現代語訳)
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。

それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうべからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

杏の花001
(訳注) 2 
絶句漫興九首
(絶句漫興 九首)
興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作。
春風のいたずらを責める。
(文字通り浣花渓になったなあ。或は陶淵明よ見てくれ此処が私の桃源郷なのだ。というところか。・・・・・・・そこに突風がいたずらをした。)

 
 
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
・桃李非無主 桃や李は主がないわけでない、自分という主がある。それは、この「漫興」の詩の前に詠った杜甫の江畔濁歩尋花七絶句において、主がなくてに歯に咲く花を見て詠った七首であった。杜甫が主のいないことをはっきりと示しているものについて下にあげた。
江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
江畔獨步尋花七絕句 其五 
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?
江畔獨步尋花七絕句 其六 
黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。
江畔獨步尋花七絕句 其七 
不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。
繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。
このことから、基本的には同時期なのだが、「江畔」の絶句詩は「漫興」絶句詩より前に作られたものであることがわかる。そして、「江畔」のほうは、杜甫草堂の東方の対岸の野畑を詠んだもの。岩波文庫杜詩第四冊では、位置関係もまるで分っていないし、この順番もくるっている。杜甫の詩は一詩たりとも割愛して読んでいくとわからなくなるのだ。詩の一部と引用するのも危険な読み方なのである。この点は何事においてもいいとこどりというものは作者の意図と異なるものを招くもので回避すべきことではあるが、天才杜甫の場合、特に割愛しては理解できない。
 この点について、杜甫の詩の成都の部分ここまで4部に分けて紹介したが、100%幸福感に溢れる詩であったが、割愛して紹介している本では、「故郷」「嘆く」「白髪」「老人」などの語句から生活が苦しい、故郷に帰りたいと悲痛な叫びをしていると解釈している文学者もいるのである。このようなことが、ほとんどの解説本で見られるためこのブログで、全部の杜詩を紹介し、その上で、それらをもとにして第2回目を詳細解説し、改正を加えて行く。この螺旋階段を上がるような10年以上の超論文に挑む予定である。第3順目では、テーマ別に論を進める。

○桃李 一年前に植えたもの。成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533
野老 野に下った老人。758年冬、ほとんど決意して 華州司公参軍から洛陽方面を旅し、翌759年初秋、官を辞しして秦州へ、同谷紀行、成都紀行してこの地に隠棲したのである。この成都で自己を称するものとしてこの語を使うことが多くなる


恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。
それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうべからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。
○春から夏に変わる時期の突風によって桃李の枝が折れたのである。浣花渓と命名して花に洗われる様な場所にすることを計画し、1年後その通りになった。まさにそれを感じていた矢先に風が吹いて、花を散らせ、枝を折った状況をうまくあらわしている表現、詩である。特に、主が居なくても咲いている畑とは手入れが行き届いた自分の畑と同じであるわけはないというけれど、突風は同じように枝を引き折ってしまう。比較対象が主がいない農園と同様な振る舞いをされたことを云っているのである。
この絶句漫興九首と江畔獨步尋花七絕句とは同じシリーズなのである。異なるのは位置関係の違いである。
このことは杜甫研究の重要なポイントである


絶句漫興九首其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。

手ずから種うるの桃李主無きに非ず、野老 括低きも還是れ家なり。
恰も似たり春風の相欺り得たるに、夜来 吹き折る数枝の花。