絶句漫興九首其六 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 45)
2013年4月8日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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絶句漫興九首 其六 成都浣花渓 杜甫 <450> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2195 杜甫詩1000-450-633/1500
詩 題:絶句漫興九首其六 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 45)
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳
掲 載; 杜甫1000首の450首目-場面4 – 45
杜甫ブログ1500回予定の-633回目
4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。
4-41 絶句漫興 九首 其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。
それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうぺからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。
4-42 絶句漫興 九首 其三
熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。
4-43 絶句漫興 九首 其四
二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
二月終わってしまって三月がやって来た。ようやく春をここで迎えたがいくつか廻ってきた分だけ老いたのだ。(でも、いい春をむかえたなあ。)
莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。
確かに、故郷を離れ、官から離れているけれど仕事を責任を持ち突き詰めてやることはないのである。そしてこの生涯、どんなに頑張っても酒を呑めることには限りがあるというものだ。
(だから心行くまで呑み続けたいものだ。)
4 – 44絶句漫興 九首 其五
腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。
柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。
6 4 – 45絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。
自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。
懶慢【らんまん】堪うる無く村を出でず、児を呼び自ら在りて柴門を掩【おお】わしむ。
蒼苔【そうたい】濁酒 林中 静かに、碧水【へきすい】春風 野外 昏【くら】し。
『絕句漫興九首』其六 現代語訳と訳註
(本文) 絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。
蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。
(下し文)
懶慢【らんまん】堪うる無く村を出でず、児を呼び自ら在りて柴門を掩【おお】わしむ。
蒼苔【そうたい】濁酒 林中 静かに、碧水【へきすい】春風 野外 昏【くら】し。
(現代語訳)
自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。
(訳注) 6 4 – 45
絶句漫興九首(絶句漫興 九首)
興にふれてふとつくった絶句、隠棲生活、今日も何事もなく暮れていく。761年上元二年春浣花の草堂にあっての作
絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。
自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
○懶慢 ぶしよう。懶:ものうく。怠ける。懶惰。慢:おこたる。怠慢。あなどる。高慢。軽んずる。緩慢。
○無堪 事物に処するのに堪えるもののないこと、不才無能をいう。
〇自在或は日在 日日在家の意、日在は或は自在に作る、自在はきままにの意。○柴門 杜甫『野老』
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
野老 杜甫 <373> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549
南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。
南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1) <383> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500
『春水』
三月桃花浪,江流複舊痕。
朝來沒沙尾,碧色動柴門。
接縷垂芳餌,連筒灌小園。
已添無數鳥,爭浴故相喧。
春水 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 18) 杜甫 <423> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500
蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。
○蒼苔濁酒林中靜 蒼苔:草堂付近の林には苔が群生して敷き詰められていたようすをいう。幽竹、蒼苔は人気のないことを示す隠棲をあらわす言葉。
○碧水春風野外昏 江を隔てた遠野のさま。
○昏 何の変りもなく暮れていく。