絶句漫興九首其九 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 48)  

2013年4月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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絶句漫興九首 其九 成都浣花渓 杜甫 <453>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2210 杜甫詩1000-453-636/1500



詩 題:絶句漫興九首其九 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 48) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の453首目-場面4 – 48
杜甫ブログ1500回予定の-636回目  




 4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。

2 4-41 
絶句漫興 九首 其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうぺからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

3 4-42 
絶句漫興 九首 其三
熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。

 4-43 
絶句漫興 九首 其四
二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。
二月も終わってしまって三月がやって来た。ようやく春をここで迎えたがいくつか廻ってきた分だけ老いたのだ。(でも、いい春をむかえたなあ。)
確かに、故郷を離れ、官から離れているけれど仕事を責任を持ち突き詰めてやることはないのである。そしてこの生涯、どんなに頑張っても酒を呑めることには限りがあるというものだ。
(だから心行くまで呑み続けたいものだ。)


5 4 – 44
絶句漫興 九首 其五 
腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。
春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。

6 4 – 45
絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。
蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。
自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。
7 4 – 46
紅梅0021絕句漫興 九首 其七
糝徑楊花鋪白氈,點溪荷葉疊青錢。
筍根雉子無人見,沙上鳧雛傍母眠。
柳絮や楊花が路に落ちて雑炊の厚ての白い絨毯を敷き詰めたように見える小道をすすむ。濯錦江に灌ぐ点在した渓水には蓮の葉が靑銅銭を重ねているようだ。
静かな竹林に進むと若竹の根元に人には見えない小さ な竹の子がきっと人知れずひそんでいる。濯錦江の中洲の沙には野鴨の雛がひねもす母鴨の傍で寝ている。

8 4 – 47
絶句漫興九首  其八 
舍西柔桑葉可拈,江畔細麥複纖纖。
人生幾何春已夏,不放香醪如蜜甜。
北鄰の官舎から我家の西の方にかけて植えている桑畑の桑の葉の新芽のやわらかい葉を摘みとる。濯錦江の河畔には越冬して育ってきた麦が細く長く伸びてきている。
人生それほど長くはないものであるが、春も終わりもう夏になっている。作っているお酒の醪の香醇な香りももう八しられなくなってきて蜂蜜のようにとても甘くなっている。(季節は本当に変わっている。)

9   4 – 48
『絕句漫興九首』其九
隔戶楊柳弱裊裊,恰似十五女兒腰。
柴門の扉の向こうに柳並木が見え、若い枝はやわらかくかぜにゆれている。それはまるで大人になり立ての初々しい十五の細腰のようである。
誰謂朝來不作意?狂風挽斷最長條。

そんなに若々しいものであっても、誰かが言っているように暮れて行き朝が来るようにとろうと思わないで年を取っていくものであるし、又、狂ったような強風によって最も長くて若々しいその細腰も、引っ張り、引き戻して断ち切られることだってあるのである。


(絕句漫興九首 其の九) 
戶を隔てて楊柳 弱らかく裊裊とし,恰【あたか】も十五 女兒の腰に似たり。
誰か謂う 朝來して 意を作さざらん?狂風 挽斷するは 最も長條なるも。

江畔独歩尋花


『絕句漫興九首』其九 
現代語訳と訳註
(本文)

隔戶楊柳弱裊裊,恰似十五女兒腰。
誰謂朝來不作意?狂風挽斷最長條。


(下し文)
(絕句漫興九首 其の九) 
戶を隔てて楊柳 弱らかく裊裊とし,恰【あたか】も十五 女兒の腰に似たり。
誰か謂う 朝來して 意を作さざらん?狂風 挽斷するは 最も長條なるも。


(現代語訳)
柴門の扉の向こうに柳並木が見え、若い枝はやわらかくかぜにゆれている。それはまるで大人になり立ての初々しい十五の細腰のようである
そんなに若々しいものであっても、誰かが言っているように暮れて行き朝が来るようにとろうと思わないで年を取っていくものであるし、又、狂ったような強風によって最も長くて若々しいその細腰も、引っ張り、引き戻して断ち切られることだってあるのである。

菖蒲02
(訳注)
絶句漫興九首 其九
(絶句漫興 九首、その九)
興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作
其八に桑葉が出た、桑畑は儒教では美しい賢女が働く場である。その故事に基づいて 其九はうたわれる。ここまでは触れなかったのであるが、この漫興九首シリーズは杜甫には珍しい、「男女に関する隠語(閨情詩の用語)」で歌われているのである。ここまで述べた訳語とまったく異なった閨情詩でもある。杜甫の評価は儒者ほど高い評価をしており、儒者は頽廃として閨情詩を嫌った。そのためこの漫興九首の評価が低く、取り上げられることが少なかったのである。しかし、杜甫の描析研究においてきわめてこの「漫興九首」は重要な作品集なのである。私はこうした意味においても杜甫詩は一詩たりともはしょったり、良いとこどりをして自分の論理にあてはめていく方法の論文しかないことを止めなければいけないと思うのである。


隔戶楊柳弱裊裊,恰似十五女兒腰。
柴門の扉の向こうに柳並木が見え、若い枝はやわらかくかぜにゆれている。それはまるで大人になり立ての初々しい十五の細腰のようである
・戶 杜甫の家には柴門に扉があるだけである。その向こうに柳並木が見えるのである。楊は男性を示すヤナギで、柳は女性を示すヤナギなのである。それが柴門・扉の向こうにあるということ。これは閨情詩では男女の性交をあらわす句なのだ。柳は肉感女性ではなく、嬌細腰の女性、傾国の細腰をいう。
・裊裊 【じょうじょう】①風が木などを揺らす、ゆらゆらゆれるさま。②声が続いて絶えないさま。嫋嫋。③しなやかにまといつくさま。男女の絡み合いを示す用語である。
・恰似ちょうど…のようである.
・十五女兒腰 細腰。十五は女の成人の年=結髪。大人になり立ての初々しい嬌細腰である


誰謂朝來不作意?狂風挽斷最長條。
そんなに若々しいものであっても、誰かが言っているように暮れて行き朝が来るようにとろうと思わないで年を取っていくものであるし、又、狂ったような強風によって最も長くて若々しいその細腰も、引っ張り、引き戻して断ち切られることだってあるのである。
・朝來 時の経過をいう。「暮去朝來」.に基づく。『例子』「黃昏過去,清晨又到來。謂歲月流逝。」
・不作意 現在の事実・事象に対して積極的に働きかける行動をとらず,それらの事実・事象を放置。見晴らしを妨げる行為をしないなど。
挽斷 引っ張り、引き戻して断ち切ること。
最長條 最も長い柳の枝。