進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(1))
2013年4月13日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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進艇 成都5-(1) 杜甫 <454> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2215 杜甫詩1000-454-637/1500
蜀州へ旅をするため出発の前、家族団らんで過ごしたことを述べる。
詩 題:進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(1))
作時761年5月杜甫50歳
掲 載; 杜甫1000首の454首目-場面5-(1)
杜甫ブログ1500回予定の-637回目
進艇
南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。
俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。
(艇を進める)
南京 久しく客となり 南畝を耕じ,北望して傷神し北窗に坐る。
晝に老妻を引いて 小艇に乘り,晴れるに稚子を看【みは】りて 清江に浴す。
俱に蛺蝶飛び元【はじ】めて相い逐う,並びに芙蓉【ふよう】を蒂び 本【もと】にて自ら雙ぶ。
蔗漿【しゃしょう】を茗飲【めいいん】し便する所を攜え,瓷罌【しおう】謝無くして 玉 缸【こう】と為す。
進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓草堂(1) 現代語訳と訳註(本文) 進艇
南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。
(下し文)
(艇を進める)
南京 久しく客となり 南畝を耕じ,北望して傷神し北窗に坐る。
晝に老妻を引いて 小艇に乘り,晴れるに稚子を看【みは】りて 清江に浴す。
俱に蛺蝶飛び元【はじ】めて相い逐う,並びに芙蓉【ふよう】を蒂び 本【もと】にて自ら雙ぶ。
蔗漿【しゃしょう】を茗飲【めいいん】し便する所を攜え,瓷罌【しおう】謝無くして 玉 缸【こう】と為す。
(現代語訳)
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。
(訳注)
進艇
この時代の詩として驚愕の詩である。閨情詩で妻が登場するのが精いっぱいの時代に老妻の手を引いて舟遊びをしたのである。
南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
・南京 成都。756年、安禄山が6月長安を落し、玄宗は途中楊貴妃を見殺し、成都に逃避した。粛宗を起て霊武を行在所とし、成都を南京とした。翌年には長安に帰る。『建都十二韻』○建都 新たに都を建置することをいう、史によると757年至徳二載に蜀郡を南京となし、鳳翔を西京となし、長安を中京となした。758年上元元年九月改めて南都を荊州に置き荊州を以て江陵府となした。759年二年九月鳳翔の西都及び江陵の南都の号をやめたが、762年宝応元年にはまた旧に復した。『建都十二韻』詩は760年上元元年荊州を南都とするときの作である。荊州を南都とするということは時の荊州刺史呂陻なるものの建議に基づく。作者はこれに反対の意見をのべたのである。
建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3)13-#1 杜甫 <399> #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1940 杜甫詩1000-399-582/1500
晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。
俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
・芙蓉 植物の名。 フヨウのこと。とくに蓮と区別するためには「木芙蓉」とも言った。 古くは往々にして蓮(ハス)の花を指した。美女の形容としても多用された表現である。フヨウと区別するために「水芙蓉」とも。
茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。
・茗 茶の木。お茶。「茗園・茗器」[難読]茗荷(みょうが)
・蔗漿 サトウキビの搾り汁。
・瓷罌 盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器。白磁の場合もある。
・玉為缸 輝くような甕缶。富貴のものの甕。