一室 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(2)) 

2013年4月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#5>古詩源 巻五 女性詩734 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2218
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第六段-#2 宋玉  <00-#18>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 647 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2219
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集一室 成都5-(2) 杜甫 <455>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2220 杜甫詩1000-455-638/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運<44>西陵遇風獻康楽 その1 謝惠運 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2221 (04/14)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性蜀中三首 其三 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-135-7-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2222
 
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

一室  成都5-(2) 杜甫 <455>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2220 杜甫詩1000-455-638/1500

 


詩 題:一室 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(2)) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の455首目-場面5-(2)
杜甫ブログ1500回予定の-638回目  


一室
一室他鄉遠,空林暮景懸。
この一室は他郷遠くにある、ここにある誰もいない林に夕くれの陰が長くかかってくる。
正愁聞塞笛,獨立見江船。
そんなところに愁いの思いにおちいるととりでの羌笛が聞えてくる。獨たたずむ錦江に浮んでいる船が見える。
巴蜀來多病,荊蠻去幾年?
自分は巴から蜀にかけていろんな病気を持ってきたみたいだし、国の病原菌のような安史軍はあと幾年たてば去って行くのだろうか。
應同王粲宅,留井峴山前。

まさにこの草堂も王粲の家と同じなのだ。襄陽の襄水があり、井戸端があり、峴山を前にしているように浣花渓、百花潭を前にしているのだ。
(一室)
一室 他鄉 遠く,空林 暮景に懸る。
正に愁いて塞笛を聞き,獨り立ちて江船を見る。
巴蜀 多病來りて,荊蠻 幾年か去らん?
應に同じうするは王粲の宅,井を留むるは峴山の前。



草堂002
『一室』 現代語訳と訳註
(本文)
一室他鄉遠,空林暮景懸。正愁聞塞笛,獨立見江船。
巴蜀來多病,荊蠻去幾年?應同王粲宅,留井峴山前。


(下し文) 一室
一室 他鄉 遠く,空林 暮景に懸る。
正に愁いて塞笛を聞き,獨り立ちて江船を見る。
巴蜀 多病來りて,荊蠻 幾年か去らん?
應に同じうするは王粲の宅,井を留むるは峴山の前。


(現代語訳)
この一室は他郷遠くにある、ここにある誰もいない林に夕くれの陰が長くかかってくる。
そんなところに愁いの思いにおちいるととりでの羌笛が聞えてくる。獨たたずむ錦江に浮んでいる船が見える。
自分は巴から蜀にかけていろんな病気を持ってきたみたいだし、国の病原菌のような安史軍はあと幾年たてば去って行くのだろうか。
まさにこの草堂も王粲の家と同じなのだ。襄陽の襄水があり、井戸端があり、峴山を前にしているように浣花渓、百花潭を前にしているのだ。


(訳注)
一室

この詩の初句の一部を以て詩題とした。詠史詩ということになるが、「荊蠻」という王粲の詩に基づき杜甫の住まい環境を知らしめたのであろう。


一室他鄉遠,空林暮景懸。
この一室は他郷遠くにある、ここにある誰もいない林に夕くれの陰が長くかかってくる。
・空林 誰もいない林。李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「昨夜誰爲具會吟、風生萬壑振空林。」
夜泊黄山聞殷十四呉吟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -266

謝靈運『登池上樓』
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。
薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。
徇祿反窮海,臥痾對空林。
登池上樓 #1 謝靈運<25>#1  詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002

『過瞿渓山飯僧』「清霽颺浮煙、空林響法鼓。」

過瞿渓山飯僧 #2 謝靈運<23>  詩集 392 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ992


正愁聞塞笛,獨立見江船。
そんなところに愁いの思いにおちいるととりでの羌笛が聞えてくる。獨たたずむ錦江に浮んでいる船が見える。


巴蜀來多病,荊蠻去幾年?
自分は巴から蜀にかけていろんな病気を持ってきたみたいだし、王粲のように国の病原菌のような安史軍はあと幾年たてば去って行くのだろうか。
・巴蜀 巴とは現在の重慶を中心として,嘉陵江流域を含む四川省東部をさし,蜀とは成都盆地を主地域とし,岷(みん)江流域に広がる西部をさす。元来はいわゆる西南夷系統に属する異民族の住地であったが,その中で巴と蜀はさらに民族・文化系統を異にした。秦がこの地を領有し,漢の武帝が巴・蜀と漢中および南中(雲南省)を含めて益州としてより,一地域として扱われるようになった。 巴には巴郡南郡蛮,板楯蛮等と同系統のものが住んでいたのであろう。
・荊蠻 春秋時代から、長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。王粲『七哀詩』其一「復棄中國去、委身適荊蠻。」(復た中國を棄て去り、身を委して荊蠻に適く。)其二「荊蠻非吾郷」(荊蠻は吾が郷に非らず)ここでは755年安禄山が反乱を起こして以来、乱が史忠明ら、異民族の混じった者たちへとに引き継がれている安史軍の事。


應同王粲宅,留井峴山前。
まさにこの草堂も王粲の家と同じなのだ。襄陽の襄水があり、井戸端があり、峴山を前にしているように浣花渓、百花潭を前にしているのだ。
・王粲 王 粲(おう さん、熹平6年(177年) - 建安22年(217年))は、中国後漢末期の文学者・学者・政治家。字は仲宣。曾祖父は王龔(後漢の三公)。祖父は王暢(後漢の三公)。父は王謙。王凱の従兄弟。子は男子二名。兗州山陽郡高平県(現山東省)の人。文人としても名を残したため、建安の七子の一人に数えられる。
建安18年(213年)、曹操が魏公になると侍中に任命された。王粲は博学多識であり、曹操が儀礼制度を制定するときは、必ず王粲がその責任を任されたと言われている。
建安22年(217年)、41歳の若さで病死した。葬儀のとき、曹丕は王粲が驢馬の鳴き声を好んでいたことから、その鳴き真似をして送ろうと提案した。このため弔問客たちは、皆一声ずつ驢馬の鳴き声の真似をしたと伝えられている。
・留井峴山前 襄陽の襄水があり、井戸端があり、峴山を前にしている『襄沔記』「王粲宅,在襄陽縣西二十里峴山坡下,宅前有井,人呼爲仲宣井。」とある。王粲が41歳で病死した後、龐徳公が対岸の山に移り住んだ。そこは後「鹿門山」と呼ばれ、孟浩然の住いしたところだ。
杜甫像0012