杜甫  送韓十四江東省覲 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(7)) 


2013年4月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



送韓十四江東省覲  成都5-(7) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2245 杜甫詩1000-460-643/1500

詩 題:送韓十四江東省覲 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(7)) 
作 時:761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の460首目-場面5-(7)
杜甫ブログ1500回予定の-643回目   40745
同郷の人韓某がその親を江東の方へ見舞にゆくのを送る詩。上元二年蜀州にあっての作であろう。


送韓十四江東省覲
(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。

今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。

(韓十四が江東に省覲するを送る)
兵戈【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。


『送韓十四江東省覲』 現代語訳と訳註
(本文)

送韓十四江東省覲
兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。


(下し文) (韓十四が江東に省覲するを送る)
兵曳【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。


(現代語訳)
(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。


(訳注)
送韓十四江東省覲

(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
韓十四 其の名は未詳。
○江東 今の江寧の地方。晋代に、現在の江蘇省江寧県の西南に置かれた県。隋代に南京に移され、宋・明以降は府となった。
○省覲 両親におめみえにゆく。省は歸省すること。覲は親に逢うこと。 


兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
○兵戈 安史の乱を指す兵乱をいう。
○老萊衣 老莱子(ろうらいし)は、両親に仕えた人である。老莱子が70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。これは、老莱子が70歳の年寄りになって若く美しくないところを見せると、息子もこんな歳になったのかと親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたのである。『二十四孝』の一人である。中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物である。


我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
○庭闈 闈は奥むきの小門、庭闈は親のいる奥の場所。杜甫は父を亡くして義母が山東にいる。洛陽の実家に母を迎えたい、そこに杜甫が帰ることをいう。


黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
○黄牛峡 峡名、三峡の一角で西陵峡の末端の部分にある。長江にある三峡のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡夷陵州(今の湖北省宜昌)の西九里にあり、高崖の間に石があって、人が刀を負って牛を牽くがごとくであり、人は黒く牛は黄いろ。
白馬江 崇慶州東北十里にある。蜀州からの出発点と考えられる。歴史地図では確認できていない。


此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。
今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。
○努力 自愛すること。安史の乱が平定されていないのに却って大丈夫か、ということ。
○故郷 洛陽をさすのであろう、韓もまた洛陽の人である。
○同帰 韓とおなじく洛陽にかえること。


題新津北橋棲00(韓十四が江東に省覲するを送る)
兵戈【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。



三峡
三峡とは長江にある三つの峡谷のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡と並び、西は四川省奉節県の白帝城から、東は湖北省宜昌市の南津関まで全長193キロに渡る。


瞿塘峡(くとうきょう)

 奉節県の白帝城から、巫山県の大寧(だいねい)河口まで全長33キロ(うち峡谷部は8キロ).雄大・険峻なことで知られる。両岸には山々の嶺が雲をついてそぴえ立ち、刀で切り取ったような絶壁が連なる。
この峡谷の入口は、両岸の絶壁の高さが数百丈(一丈は3m余り)あるにもかかわらず、川幅は100mに達せず、そそり立つ両岸が門の形をしていることから、夔門といい、古くから「夔門は天下の雄」と讃えられている。


巫峡(ふきょう)

 西は巫山県城東の大寧河口から、東は巴東県の官渡口まで全長約40キロ。山河の秀麗さと華麗な景観は三峡第一。
巫山十二峰が南北両岸に並び、南岸の神女峰の麓には、神女が禹(夏の禹王のこと。伝説の王で治水をした)に書を授けたという、授書台があり、北岸の集仙峰の岸壁には諸葛亮の筆と伝えられる、「重崖畳嶂巫峡」の六文字(孔明碑)が彫られている。


西陵峡(せいりょうきょう)

 巴東県の官渡口から、宜昌県の南津関まで全長約120キロ(うち峡谷は42キロ)。
三峡で最も長い峡谷で風光明媚.兵書宝剣峡、黄牛峡、黄陵廟、三遊洞などの旧跡が点在する。


兵書宝剣峡(へいしょほうけんきょう)

 諸葛亮が兵書を収蔵したところと伝えられる。岩の隙間に本箱を積み重ねたような部分があり、兵書に見立てているが、これは古代巴人の岩棺葬の遺物。またその右下方に細長い岩が突起しており、大きな剣が激流を突き刺すようなイメージがあるため宝剣という。


黄牛峡

 南岸に神人が牛を牽いているような、黄牛山がある。伝説では、前述の禹王が治水を行なった際、土星が神牛に変化して角で高山を割って長江を疎通させ、その姿を絶壁に留めたと伝えられる.


黄陵廟

 旧称を黄牛廟といい、黄牛山の麓にある。山門・禹王殿・武侯祠などが現存し、武侯祠には諸葛亮撰と伝えられる「黄牛廟記」を彫った石碑がある。