杜甫 《重簡王明府》 五言律詩 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(19))
この年、甲子の月、西南のこの蜀の地方において異変が起きた。冬が到来しているこのような寒波が来ている時期であるというのに。長江にかかる雲はどういうことで夜になると覆い尽くし雨を降らせるのであろうか、そして、蜀地方は何時になったら乾いてくれるのだろうか。
重簡王明府 五言律詩 成都5-(19) 杜甫 <468> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2305 杜甫詩1000-468-655/1500
詩 題:重簡王明府 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(19))
作時761年10末~11月初め、杜甫50歳
卷別: 卷二二六 文體: 五言律詩
掲 載; 杜甫1000首の468首目-場面5-(19)
杜甫ブログ1500回予定の-655回目
重簡王明府
(重ねて書簡を王明府に送ります。)
甲子西南異,冬來只簿寒。
この年、甲子の月、西南のこの蜀の地方において異変が起きた。冬が到来しているこのような寒波が来ている時期であるというのに。
江雲何夜盡,蜀雨幾時幹?
長江にかかる雲はどういうことで夜になると覆い尽くし雨を降らせるのであろうか、そして、蜀地方は何時になったら乾いてくれるのだろうか。
行李須相問,窮愁豈自寬?
こうしてまた旅に出ることで互いにの思いをぶっつけ合おうではないか。苦しみ悲しむことを何とかして自分自身で打ちやぶって晴らそうではないか。
君聽鴻雁響,恐致稻粱難。
君はもう聞いているだろうとは思うのだが、大鳥や、雁が鳴くのが響いて伝わってきたのは元号も変わりどんな変化があるのだろうか。一番心配するのは五穀豊穣が難しくなりはしないかということなのだ。
(重ねて王明府に簡す)
甲子 西南の異,冬來りて只寒に簿【いた】る。
江雲 何ぞ夜に盡せん,蜀雨 幾時に幹せんや?
行李 須く相い問わん,窮愁 豈に自ら寬かん?
君聽くや鴻雁の響あるを,恐れ致【いだ】くは 稻粱の難なり。
この年(761)の情勢(新唐書)
二年(761)正月甲寅、降死罪、流以下原之。乙卯、劉展が処刑された。
二月己未、奴剌・党項羌が宝を寇し、大散関を焚き、鳳州を寇し、刺史の蕭がここに死に、鳳翔尹の李鼎がこれを破った。戊寅、李光弼が史思明と北邙で戦い、敗れた。史思明が河陽を陥落させた。癸未、李揆を左遷して袁州長史とした。河中節度使の蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となった。乙酉、来瑱が史思明と魯山で戦い、これを破った。
三月甲午、史朝義が陜州を寇し、神策軍節度使の衛伯玉がこれを破った。戊戌、史朝義がその父の史思明を弑した。李光弼が副元帥を辞任した。
四月己未、吏部侍郎の裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。乙亥、青密節度使の尚衡が史朝義と戦い、これを破った。丁丑、兗鄆節度使の能元皓がまたこれを破った。壬午、剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
五月甲午、史朝義の将の令狐彰が滑州をもって降った。戊戌、平盧軍節度使の侯希逸が史朝義と幽州で戦い、これを破った。庚子、李光弼が河南道副元帥となった。剣南節度使の崔光遠が東川を落とし、段子璋が処刑された。
七月癸未朔、日食があった。
八月辛巳、殿中監の李国貞が朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使を都統した。
九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、寶應元年を称し、十一月を歳首とし、月以斗所建辰為名。文武の官に階・勲・爵を賜り、版授侍老官、先授者進之。停四京号。
元年建子月癸巳、曹州刺史の常休明が史朝義の将の薛と戦い、これを破った。己亥、朝聖皇天帝于西内。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧で戦い、これを破った。己酉、太清宮で朝献した。庚戌、太廟および元献皇后廟で朝享した。
建丑月辛亥、有事于南郊。己未、来瑱が史朝義と汝州で戦い、これを破った。乙亥、侯希逸が史朝義の将の李懐仙と范陽で戦い、これを破った。
『重簡王明府』 現代語訳と訳註(本文)
甲子西南異,冬來只簿寒。
江雲何夜盡,蜀雨幾時幹?
行李須相問,窮愁豈自寬?
君聽鴻雁響,恐致稻粱難。
(下し文)
(重ねて王明府に簡す)
甲子 西南の異,冬來りて只寒に簿【いた】る。
江雲 何ぞ夜に盡せん,蜀雨 幾時に幹せんや?
行李 須く相い問わん,窮愁 豈に自ら寬かん?
君聽くや鴻雁の響あるを,恐れ致【いだ】くは 稻粱の難なり。
(現代語訳)
(重ねて書簡を王明府に送ります。)
この年、甲子の月、西南のこの蜀の地方において異変が起きた。冬が到来しているこのような寒波が来ている時期であるというのに。
長江にかかる雲はどういうことで夜になると覆い尽くし雨を降らせるのであろうか、そして、蜀地方は何時になったら乾いてくれるのだろうか。
こうしてまた旅に出ることで互いにの思いをぶっつけ合おうではないか。苦しみ悲しむことを何とかして自分自身で打ちやぶって晴らそうではないか。
君はもう聞いているだろうとは思うのだが、大鳥や、雁が鳴くのが響いて伝わってきたのは元号も変わりどんな変化があるのだろうか。一番心配するのは五穀豊穣が難しくなりはしないかということなのだ。
(訳注)
重簡王明府
(重ねて書簡を王明府に送ります。)
・王明府 王潛、唐興の明府。劍南道北部 遂州 唐興(fg-2・3)成都の東180kmにある。・明府 漢の時代の県令の尊称であった。明府は県令、少府は県尉のこと、親族が同じ県の長と次長をしていたことになるのである。
甲子西南異,冬來只簿寒。
この年、甲子の月、西南のこの蜀の地方において異変が起きた。冬が到来しているこのような寒波が来ている時期であるというのに。
・西南異 剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れたことを指す。
江雲何夜盡,蜀雨幾時幹?
長江にかかる雲はどういうことで夜になると覆い尽くし雨を降らせるのであろうか、そして、蜀地方は何時になったら乾いてくれるのだろうか。
・江雲 蜀には秋から冬にかけて夜になると雨が降ることを云う。江は岷江、錦江と特定した場所ではなく、長江の上流蜀地方の江に沸く雲という意味である。
・蜀雨幾時幹 夜になると雨が降るため大地が渇くことがないのでこういったのである。
行李須相問,窮愁豈自寬?
こうしてまた旅に出ることで互いにの思いをぶっつけ合おうではないか。苦しみ悲しむことを何とかして自分自身で打ちやぶって晴らそうではないか。
・行李 ①竹や柳で編んだ箱形の物入れ。旅行の際に荷物を運搬するのに用いたが、今日では衣類の保管などに使用。②旅行に持っていく荷物。旅のしたく。また、旅。③軍隊で、戦闘や宿営に必要な資材などを運ぶ部隊。旧日本陸軍には、大行李と、小行李とがあった。
・窮愁 苦しみうれえること。困窮して悲しむこと。
君聽鴻雁響,恐致稻粱難。
もう聞いているだろうとは思うのだが、大鳥や、雁が鳴くのが響いて伝わってきたのは元号も変わりどんな変化があるのだろうか。一番心配するのは五穀豊穣が難しくなりはしないかということなのだ。
・稻粱 米や粟稗など五穀。五穀豊穣を心配すること。
この詩は、王明府が不遇続きであることを心配して、俸禄がなくなる心配を云ったものである。特に、この年は蜀地方作物が不作で住民感情には不穏なものがあり、夏には日蝕もあった。そこに叛乱もあり、吐蕃も侵略のチャンスをうかがう様子を見せ、不安定な状況であった。このような時に元号が上元から、寶應に変わり、不安要素がかなりあったことを杜甫は仲間と談義していたのだ。