杜甫 七言歌行 《百憂集行》 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(20))
百憂集行(憶年十五心尚孩)
人生百年、百憂ありというのが中国の考え方。何も百年生きるのが当たり前というのではなく60歳を越えれば百歳ということなのだ。
この詩は、その貧乏を、病気がちなことを歎いたり悲しんだりはしていない。今この時を愉しんでいる。
自分は小さい時はよく勉強したが、子供らは勉強しない。しかし、うるさくは言わない。妻と子供に暖かい目を以てこの詩をのべているのである。多くの本で「百憂」ということで人生を悲観してこの詩を書いたとするものがあるが、それは杜甫と詩とを理解していない「無知」というものである。



2013年5月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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百憂集行 杜甫 五言古詩 成都5-(20)<469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2310 杜甫詩1000-469-656/1500

詩 題:百憂集行 七言歌行 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(20)) 
作時761年10月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の469首目-場面5-(20)
杜甫ブログ1500回予定の-656回目


この年の情勢(新唐書)
・  二年(761)正月甲寅、降死罪、流以下原之。乙卯、劉展が処刑された。
・  二月己未、奴剌・党項羌が宝を寇し、大散関を焚き、鳳州を寇し、刺史の蕭がここに死に、鳳翔尹の李鼎がこれを破った。戊寅、李光弼が史思明と北邙で戦い、敗れた。史思明が河陽を陥落させた。癸未、李揆を左遷して袁州長史とした。河中節度使の蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となった。乙酉、来瑱が史思明と魯山で戦い、これを破った。
・  三月甲午、史朝義が陜州を寇し、神策軍節度使の衛伯玉がこれを破った。戊戌、史朝義がその父の史思明を弑した。李光弼が副元帥を辞任した。
・  四月己未、吏部侍郎の裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。乙亥、青密節度使の尚衡が史朝義と戦い、これを破った。丁丑、兗鄆節度使の能元皓がまたこれを破った。壬午、剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
・  五月甲午、史朝義の将の令狐彰が滑州をもって降った。戊戌、平盧軍節度使の侯希逸が史朝義と幽州で戦い、これを破った。庚子、李光弼が河南道副元帥となった。剣南節度使の崔光遠が東川を落とし、段子璋が処刑された。
・  七月癸未朔、日食があった。
  八月辛巳、殿中監の李国貞が朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使を都統した。
・  九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、寶應元年を称し、十一月を歳首とし、月以斗所建辰為名。文武の官に階・勲・爵を賜り、版授侍老官、先授者進之。停四京号。

・  元年建子月癸巳、曹州刺史の常休明が史朝義の将の薛と戦い、これを破った。己亥、朝聖皇天帝于西内。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧で戦い、これを破った。己酉、太清宮で朝献した。庚戌、太廟および元献皇后廟で朝享した。
・  建丑月辛亥、有事于南郊。己未、来瑱が史朝義と汝州で戦い、これを破った。乙亥、侯希逸が史朝義の将の李懐仙と范陽で戦い、これを破った。



百憂集行
憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。
年を憶えば 十五にて 心は尚お孩【がい】にして、健なること黄犢【こうとく】の如く走りて復た来たり。
庭前 八月に  梨棗【りそう】熟すれば、一日 樹【じゅ】に上ること能【よ】く千迴【せんかい】なりき。
即今【そくこん】 倐忽【しゅくこつ】にして已【すで】に五十、坐臥【ざが】只だ多く行立【こうりゅう】少なし。
強【し】いて笑語【しょうご】を将【もっ】て主人に供し、悲しみ見る生涯 百憂【ひゃくゆう】の集まるを。
門に入れば 旧に依りて四壁【しへき】空【むな】し、老妻の我を覩る  顔色【がんしょく】同じ。
痴児【ちじ】は知らず父子の礼、叫怒【きょうど】飯【はん】を索【もと】めて 門東に啼く。


『百憂集行』 現代語訳と訳註
ogawa010(本文)

憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。


(下し文)
年を憶えば 十五にて 心は尚お孩【がい】にして、健なること黄犢【こうとく】の如く走りて復た来たり。
庭前 八月に  梨棗【りそう】熟すれば、一日 樹【じゅ】に上ること能【よ】く千迴【せんかい】なりき。
即今【そくこん】 倐忽【しゅくこつ】にして已【すで】に五十、坐臥【ざが】只だ多く行立【こうりゅう】少なし。
強【し】いて笑語【しょうご】を将【もっ】て主人に供し、悲しみ見る生涯 百憂【ひゃくゆう】の集まるを。
門に入れば 旧に依りて四壁【しへき】空【むな】し、老妻の我を覩る  顔色【がんしょく】同じ。
痴児【ちじ】は知らず父子の礼、叫怒【きょうど】飯【はん】を索【もと】めて 門東に啼く。


(現代語訳)
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。


(訳注)
百憂集行

人生百年、百憂ありというのが中国の考え方。何も百年生きるのが当たり前というのではなく60歳を越えれば百歳ということなのだ。この詩は15歳が成人の年、大人の仲間入りをしたころにはそれなりの愁いを持っていたが何せ健康であった。今はどうかというと年を重ねて愁いが多くなった。杜甫は喘息・糖尿病など持病になやまされていた。自分の健康のことを考えると50という年相応の愁いを遙かに超えて100の愁いが集まってくるというもので、この詩に限らず、儒者で隠棲している杜甫は、苦しいこと、愁いていることをかなり誇張して描いて書くのが特徴である。富貴で、安楽な普通の人間が「詩人」として成り立つことない。病気がちで、貧乏でないと詩は書けない。
しかし、この詩は、その貧乏を、病気がちなことを歎いたり悲しんだりしていない。今この時を愉しんでいる。自分は小さい時はよく勉強したが、子供らは勉強しないがうるさくは言わない。妻と子供に暖かい目を以てこの詩をのべているのである。多くの本で「百憂」ということで人生を悲観してこの詩を書いたとするものがあるが、杜甫理解しない無知というものである。


憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
・憶年 おもいおこせば。今の年齢から考えると。
・十五 成人の歳。結髪をする。
・孩 ちのみご。すべての出来事を吸収できる能力を持っていた。
・健 健康そのもの。
・黃犢 飴色の子牛。
・走複來 孔子の故事に基づいている。「趨庭」 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、魯の國に孔子の故郷である曲阜があることによる。


庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
・庭前 意味は語のままだが、庭を出して『論語』を連想させる。


即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
・倏忽 たちまち。


強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
・主人 家を建てるのにお世話になったり、成都の街、青城、新津で官僚の先輩、上人と歓談している。


入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
・四壁空 飾り物が何にもない部屋を意味する。とばり、幔幕、衝立などがないこと。この頃、暴風雨で200年の大樹の楠樹が折れ、屋根がふっとんだ災害の修復がままならないことを意味している。


癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。
・癡兒 元気ばかりで何の分別もない子供たち。癡:①知恵が足りない。おろか。②男女関係で理性を失ったさま。③物事に夢中になること。
・父子禮 儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。ここは儒教でいう五常・五倫の父子禮
・門東 杜甫草堂の門は西南にあった。台所は東にあるので門から東に向かって叫んだことを云う。門頭:門のあたりという意味か。
杜甫草堂詳細図02