杜甫 七言歌行《戲作花卿歌》 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(22)) 

「日平」事件である。武将花驚定は段子璋を誅したのち大いに東蜀を掠めたが、天子は崔光遠が軍を収めることができないのを怒って彼を罷免した。崔光遠はかかる悪将であるが詩は段子璋の反を平らげた点についてのみをいうことで、粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。杜甫が「戯れ」と題す場合ただの戯れではない皇帝の施政批判をしているのである。

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戲作花卿歌  七言歌行  成都5-(22) 杜甫 <471>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2320 杜甫詩1000-471-658/1500

詩 題:戲作花卿歌 七言歌行 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(22)) 
卷別: 卷二一九  文體: 樂府(七言歌行)
作時761年10・11月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の471首目-場面5-(22)
杜甫ブログ1500回予定の-658回目   40757


757年至徳二載正月、丙寅、剣南兵の賈秀等五千人が造反した。将軍席元慶、臨工(「工/里」)太守柳奕が討って、これを誅した。
761年4月剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
ここれらの乱を制圧するため成都の武将花驚定という者が綿州の反乱を平らげ、李奐は剣南東川節度使に復権したことをほめて戯れに作った歌である。

戲作花卿歌
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。)
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)

(戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』


『戲作花卿歌』 現代語訳と訳註
金燈花01(本文)

成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?


(下し文) (戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』


(現代語訳)
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。)
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)


(訳注)
戯作 花卿歌

成都遂州00○戯作 戯れの意は末の二句にある、表面はすこぶる花卿をほめたのに似ているが其の実はそうでない、故に
「戯」という。
○花卿 花驚定【かけいてい】のこと。
761年上元二年四月、梓州の剣南東川節度兵馬使の刺史段子璋が反し、東川節度使李奐奥を綿州に襲い、自ずから梁王と称し、黄竜と改元し、綿州を以て黄竜府となし、百官を置いたが、五月、剣南西川節度使、成都尹の崔光遠は武将花驚定を率い、攻めて綿州を抜き、段子璋を斬った。
以上が本詩にのべる所の「日平」事件である。武将花驚定は段子璋を誅したのち大いに東蜀を掠めたが、天子は崔光遠が軍を収めることができないのを怒って彼を罷免した。崔光遠はかかる悪将であるが詩は段子璋の反を平らげた点についてのみをいうことで、粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。杜甫が「戯れ」と題す場合ただの戯れではない皇帝の施政批判をしているのである。
この詩の解釈について『杜詩』第四冊 鈴木虎雄・黒川洋一訳注 岩波文庫P-9294 の解釈は若干うすく、間違っている。


成都 猛將 有 花卿 ,學語 小兒 知 姓名 。
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
○学語小児 ことばを学び始めたこども、幼児をいぅ。


用如 快鶻 風火 生 ,見賊 唯多 身 始輕
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
○快鶻 快は速いこと、鶻はたかのたぐい。成都にたくさんいる。あまりいい意味で使っているのではない。
杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

○風火 風にあおられる火、勢いの猛烈なことをいう。○惟多始身軽 賊が多けれぼやっと身をかるくはたらかす。


綿州 副使 著 柘黃 ,我卿 掃除 即日平 。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
○綿州副使 副使は節度使の副使をいう、段子璋は梓州の刺史、兵馬使であるが、節度使が放棄して成都に逃げたことで、副使と呼ぶことでこれらの任命者の批判に変えている。しかも成都に逃げたのに後に復権させている。粛宗は過去房琯が積極的に攻める姿勢がないというだけで姻戚一族のみにとどまらず、杜甫らそのグループ根こそぎ改易左遷したのである。杜甫はこのため左遷され、官を辞したので粛宗の場当たり的政治には批判的な意見を持っているのだ。
〇著 柘黃を身に着けひけらかすこと。
○柘黄 天子の御衣の色、赭色といわれ赤と黄とのまざりの色をいう。「衣冠腰帶天子服。」
○我卿 花卿をさす、我とは花卿を親しむ辞である。
○掃除 騒乱をはききよめる。
○日平 叛乱を平らげて「日平」事件として治め報告した。即日、平定した、というのは間違い。2か月平定に擁している。


子璋 髑髏 血 糢糊 ,手提 擲還 崔大夫 。
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
○子璋 段子璋
○濁棲 むくろ。
○模糊 切り取った首を布に包むが地がべとべとと滴り落ちている状況を云う。
○手提 むくろを手ずから持ち歩く。
○擲還 なげうってそれが転ぶこと。
○雀大夫 崔光遠大夫。剣南西川節度使、成都尹の崔光遠。


李侯 重有 此節度 ,人道 我卿 絕世 無 。
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。) 
○李侯 侯は敬語、成都に逃げた剣南東川節度使李奐をいう。
○重有 李奐は反乱が起こって成都に奔り、乱が平らいでまた綿州へもどったのにより、「重ねて有す」と嘲笑していう。
〇人道 一般の人人がいう。これも嘲笑していること。


既稱 絕世 無 ,天子 何不 喚取 守 京都 。
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)
○守東都 東都は洛陽のこと、時に安史軍史思明が洛陽に拠っていた。 


戲作花卿歌
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?

(戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』