1203 杜甫 《陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公》
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。

2013年5月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 成都5-(40) 杜甫 <465>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2410 杜甫詩1000-465-676/1500



詩 題:陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(40)) 
作時:761年12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465首目-場面5-(40)
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李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。上元二年の冬、蜀州にあっての作。
 

陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?

いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。
(李七司馬に陪し、長江の上に竹橋を造るを観る。即日成る。往来の人、冬寒に水に入るを免る。聊か短作を題し、李公に簡す 二首の一)
竹を伐り橋と為す結構同じ、裳を塞げて捗らず往来通ず。
天寒くして白鶴華表に帰り、日落ちて青竜水中に見ゆ。
顧う我が老いて題柱の客に非ざるを、知る君が才是れ済川の功。
合歓却って笑う千年の事、駆石何の時か海東に到らん。


竹の橋01









『陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一』 現代語訳と訳註
(本文)

伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?


(下し文)
(李七司馬に陪し、長江の上に竹橋を造るを観る。即日成る。往来の人、冬寒に水に入るを免る。聊か短作を題し、李公に簡す)
竹を伐り橋と為す結構同じ、裳を塞げて捗らず往来通ず。
天寒くして白鶴華表に帰り、日落ちて青竜水中に見ゆ。
顧う我が老いて題柱の客に非ざるを、知る君が才是れ済川の功。
合歓却って笑う千年の事、駆石何の時か海東に到らん。


(現代語訳)
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。


(訳注)
陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一

題新津北橋棲00(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
李七司馬 蜀州の司馬李某。
皂江 新津県にあるという。皂江 一に鄩江。
○短作 この八句の二首の詩をさす。
○李公 李司馬。


伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
○結構同  木で組み立てたものと同じ。
○褰裳不渉 不褰裳而渉とかくべきところを上のごとくかいたもの、これまではもすそをかかげてかちわたりする必要があったのに、今はそうしない。


天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
○天寒白鶴歸華表 晋の大康二年の冬大いに雪がふったとき、南洲の人が二白鶴が橋の下で、「今年の寒さは堯の崩じた年に劣らない」と話しているのを見たとある。華表は鳥居型のことで、ここは橋脚の意として用いる。
○青竜 橋影の水にうかぶかたちをたとえていう。


顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
○顧 顧み念うこと。
○題柱客 漢の司馬相如の故事。相如が蜀を去って長安に行こうとするとき橋柱に題して「高車駟馬に乗らずんばふたたびここを過ぎず」といった。ここは出世する意ではなくて柱に超して橋の成った頒文でも作ることの意に用いたものであろう。
○君 李をさす。
○済川功 橋をかけたので川をわたす功があるという。


合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?
いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。
○合歓 橋の成ったことを祝して主客ともに喜ぶこと。
〇千年事 千年まえの昔のこと、すなわち次句のこと。
○驅石何時到海東 秦の始皇が石橋を作り、海を過ぎて日の出る処を観ようとしたところ、神人が石を駆って海に落とした、石の落ちる速度がおそいと神がこれを鞭ったので石は皆血を流した、という話がある。こんな話はあるがその石が海東に到る時節は有るまいというもの。