《大雨》 五言古詩 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(5))
浣花草堂は当地の権力者の裁量によって与えられたもので、自由に処分できる個人の財産ではない。草堂には農夫付きの農園が附属していて、杜甫はその農園を耕作する必要はなかった。麦や黍の穀物および野菜などの商品作物の経営、管理にも直接関与しなかったのだ。しかしその農園からの収穫物、収益は自分のものにできた。ただ家族の消費のための小規模な野菜作りなどは自ら菜園に出ておこなっていた。農業について知識も増えた。
大雨 五言古詩 成都6-(5) 杜甫 <470-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2460 杜甫詩1000-470-#3-686/1500
詩 題:大雨五言古詩 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(5))
卷別: 卷二一九 文體: 五言古詩
作時:762年寶應元年 1月杜甫51歳
掲 載; 杜甫1000首の470-#3首目-場面6-(5)
杜甫ブログ1500回予定の-686回目
大雨
(大雨)
西蜀冬不雪,春農尚嗷嗷。
蜀に来て3年たつこの冬に積雪が少なかった。したがって春になっての農業にとっては多くの人が心配して騒ぐ声が多いのだ。
上天回哀眷,朱夏雲鬱陶。
昨年から天を仰いでぐるぐる見回して、悲しく振り返ってみても天気がおかしく、真夏であっても気分が重苦しいほどの厚い雲であった。
執熱乃沸鼎,纖絺成縕袍。
持てない鼎の熱を冷ますというが乃ち鼎でお湯を沸かしていることが前提だし、細い目の粗い布であっても防寒のドテラを作ることはできるものである。
風雷颯萬里,霈澤施蓬蒿。
風と雷は、万里さきからに沸き起って吹きあげてくれ、大雨は、蓬蒿をはじめとする一年草の草深い茂みを潤すものである。
#2
敢辭茅葦漏,已喜黍豆高。
待ち遠しかった雨が茅葦の屋根から漏れ落ちるのだが今は雨を慶び詩に詠おうと思う。間違いなく、この雨によって五穀豊穣が期待できることなのだから喜ぶべきことなのだ。
三日無行人,二江聲怒號。
この三日大雨が降り続き、通りを行き交う人の姿がまったく無い。増水した成都を流れる岷江と錦江の二江の、洪水の轟音が聞こえる。
流惡邑里清,矧茲遠江皋。
しかし、その流れは、ここの邑里の清を嫌うかのように避けてくれている。ここは、岷江から遠い所にある岸辺であるけれどあわてて洪水対策の準備にとりかかっている。
荒庭步鸛鶴,隱几望波濤。
大雨で荒れた庭に、雨をさけるように鸛鶴が歩いている。私は、江亭の長椅子に雨を避けて、流れ行く川波濤を眺めているのである。
#3
沈痾聚藥餌,頓忘所進勞。
こじれた病気で心は沈みがちになり、食事と薬についてはあらゆるものを整えていた。しかし、ここにきてからはそうした病気の進行も、生活苦も無く全く忘れさせてくれるほどなのだ。
則知潤物功,可以貸不毛。
生活、農業のことがわかってきたのは、耕作の功能、雨が物を潤し必要な事だということだ。不毛な土地でも、貸与されたものでもいいのではないか、何となく思えるようになってきているのだ。
陰色靜隴畝,勸耕自官曹。
雨は小康状態で雲を残している。田畑は静まり返ったままである。この雨で管理している役人が耕作を励行しようと、率先して農具を手に取ってはじめるのである。
四鄰耒耜出,何必吾家操。
四方隣り、ここらへん一帯では、農具を手に田畑に出て行きはじめた。私自身と家族が耕作に際して率先していく必要はないだろう。
(大雨)
西蜀の冬は雪せず、春農は尚お嗷嗷たり。
上天は回りて哀眷し、朱夏の雲は鬱陶たり。
執熱 乃ち鼎を沸かし、纖は、袍を成す。
風雷は萬里に颯(ふ)き、霈澤は、蓬蒿に施す。
#2
敢えて辞せんや わが茅葦の漏るるを、已に黍豆の高きを喜ぶ。
三日して行人無く、二江の聲は怒號たり。
流は邑里の清を惡う、矧んや茲の遠くの江皋をや。
荒庭は鸛鶴がみ、几に隱れて波濤を望む。
#3
沈痾にして藥餌を聚め、頓に進んで勞する所を忘る。
則ち潤物の功を知り、以って不毛を貸するべし。
色を陰いて隴畝を靜かにし、耕を勸むるに官曹よりし。
四鄰は耒耜を出すも、何ぞ必ずしも吾が家も操せん。
『大雨』 現代語訳と訳註
(本文) #3
沈痾聚藥餌,頓忘所進勞。則知潤物功,可以貸不毛。
陰色靜隴畝,勸耕自官曹。四鄰耒耜出,何必吾家操。
(下し文)#3
沈痾にして藥餌を聚め、頓に進んで勞する所を忘る。
則ち潤物の功を知り、以って不毛を貸するべし。
色を陰いて隴畝を靜かにし、耕を勸むるに官曹よりし。
四鄰は耒耜を出すも、何ぞ必ずしも吾が家も操せん。
(現代語訳)
こじれた病気で心は沈みがちになり、食事と薬についてはあらゆるものを整えていた。しかし、ここにきてからはそうした病気の進行も、生活苦も無く全く忘れさせてくれるほどなのだ。
いつの間にか、身を入れて骨折りする事を忘れてしまったようだ
生活、農業のことがわかってきたのは、耕作の功能、雨が物を潤し必要な事だということだ。不毛な土地でも、貸与されたものでもいいのではないか、何となく思えるようになってきているのだ。
雨は小康状態で雲を残している。田畑は静まり返ったままである。この雨で管理している役人が耕作を励行しようと、率先して農具を手に取ってはじめるのである。
四方隣り、ここらへん一帯では、農具を手に田畑に出て行きはじめた。私自身と家族が耕作に際して率先していく必要はないだろう。
(訳注) #3
沈痾聚藥餌,頓忘所進勞。
こじれた病気で心は沈みがちになり、食事と薬についてはあらゆるものを整えていた。しかし、ここにきてからはそうした病気の進行も、生活苦も無く全く忘れさせてくれるほどなのだ。
・痾 こじれた病気。「旧痾・宿痾・沈痾」
・頓忘 その場に応じて忘れる。度忘れ。反対語:頓智。頓:①つまずく。②くるしむ。③つかれる。④とめる。⑤ととのえる。⑥ひとたび。⑦とみに。
則知潤物功,可以貸不毛。
生活、農業のことがわかってきたのは、耕作の功能、雨が物を潤し必要な事だということだ。不毛な土地でも、貸与されたものでもいいのではないか、何となく思えるようになってきているのだ。
・貸不毛 当地の権力者の裁量によって与えられたもので、自由に処分できる個人の財産ではない。
陰色靜隴畝,勸耕自官曹。
雨は小康状態で雲を残している。田畑は静まり返ったままである。この雨で管理している役人が耕作を励行しようと、率先して農具を手に取ってはじめるのである。
・陰色 厚い雲が覆ている状態を云う。
・壟畝/隴畝【ろうほ】 ①うねとあぜ。田畑。②田舎。また、民間。
・官曹 耕作地を管理している役人。
四鄰耒耜出,何必吾家操。
四方隣り、ここらへん一帯では、農具を手に田畑に出て行きはじめた。私自身と家族が耕作に際して率先していく必要はないだろう。
・耒耜 中国古代の代表的農具。本来はともに手労働による耕起,除草,作溝を兼ねた農具であろうが,古代の手労働用の農具の代名詞的に使用される場合も多い。
・四鄰 四方隣り、ここらへん一帯。
・吾家操 杜甫自身と家族が耕作に際して率先してというほどの意味。
この四聯によって、この地は当地の権力者の裁量によって与えられたもので、自由に処分できる個人の財産ではない。草堂には農夫付きの農園が附属していて、杜甫はその農園を耕作する必要はなかった。麦や黍の穀物および野菜などの商品作物の経営、管理にも直接関与しなかったのだ。しかしその農園からの収穫物、収益は自分のものにできた。ただ家族の消費のための小規模な野菜作りなどは自ら菜園に出ておこなっていた。農業について知識も増えた。この二句は浣花渓草堂における杜甫の生産基盤がはっきりと示されている重要な資料の一つである。
この詩は浣花渓草堂に移り住んでの詩の中で最も注目される詩である。