2013年6月10日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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漁陽 楽府(七言歌行) 成都6-(11) 杜甫 <476> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2505 杜甫詩1000-476-695/1500
詩 題:漁陽楽府(五言律詩) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(11))
卷別: 卷二一九 文體: 七言古詩
作時:762年寶應元年1月杜甫51歳
掲 載; 杜甫1000首の476首目-場面6-(11)
杜甫ブログ1500回予定の-695回目 40794
梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州)
漁陽 (河北道南部 薊州 漁陽) 雄武城 (河北道南部 幽州 范陽)
漁陽
(叛乱軍が占拠している魚陽のことについて)
漁陽突騎猶精銳,赫赫雍王都節制。
安史軍に抑えられている魚陽は755年11月突然に精鋭たちによって乗っ取られた。威権のかがやく蕹王はすべて徳があり、節をも守って治めていた。
猛將飄然恐後時,本朝不入非高計。
勇猛果敢な大将は凡俗を超脱しヨウヨウトしており突然おこった事を懼れるだけ手手を打つのをことごとく後手をとった。その朝は朝廷に入らず高尚な計画は全くされなかった。
祿山北築雄武城,舊防敗走歸其營。
安禄山は黄河より北側を抑え幽州范陽に雄武城を築いたのである。王朝軍の旧防衛軍は敗走を重ね、破れた者たちはその本拠地の軍営には帰ってこなかったのである。
繫書請問燕耆舊,今日何須十萬兵。
書簡を継続して届け、問題点をはっきりさせてきた燕の国には優秀な儒者が居るではないか、今日至って、どうして十万を超える軍隊を用いて制圧してくれないのだろうか。
『漁陽』 現代語訳と訳註
(本文)
漁陽突騎猶精銳,赫赫雍王都節制。
猛將飄然恐後時,本朝不入非高計。
祿山北築雄武城,舊防敗走歸其營。
繫書請問燕耆舊,今日何須十萬兵。
(下し文) 漁陽
漁陽 突騎して猶お精銳たり,赫赫として 雍王は都【み】な節制す。
猛將 飄然として恐れ時を後にし,本朝 入らず 高計するに非らず。
祿山 北築 雄武の城,舊防 敗走して其の營に歸る。
書を繫ぎ 請問し 燕は耆舊す,今日 何んぞ須いん 十萬の兵。
(現代語訳)
(叛乱軍が占拠している魚陽のことについて)
安史軍に抑えられている魚陽は755年11月突然に精鋭たちによって乗っ取られた。威権のかがやく蕹王はすべて徳があり、節をも守って治めていた。
勇猛果敢な大将は凡俗を超脱しヨウヨウトしており突然おこった事を懼れるだけ手手を打つのをことごとく後手をとった。その朝は朝廷に入らず高尚な計画は全くされなかった。
安禄山は黄河より北側を抑え幽州范陽に雄武城を築いたのである。王朝軍の旧防衛軍は敗走を重ね、破れた者たちはその本拠地の軍営には帰ってこなかったのである。
書簡を継続して届け、問題点をはっきりさせてきた燕の国には優秀な儒者が居るではないか、今日至って、どうして十万を超える軍隊を用いて制圧してくれないのだろうか。
(訳注)
漁陽
(叛乱軍が占拠している魚陽のことについて)
・漁陽 漁陽郡(ぎょようぐん)は、中国にかつて存在した郡。現在の北京市、天津市、河北省の一部に相当する。唐の開元18年(730年)、漁陽郡は薊州と改称、天宝元年(742年)に漁陽郡と改称されたが、乾元元年(758年)に再び薊州と改称され漁陽郡の行政区画名は消滅した。河北道南部 薊州 漁陽
漁陽突騎猶精銳,赫赫雍王都節制。
安史軍に抑えられている魚陽は755年11月突然に精鋭たちによって乗っ取られた。威権のかがやく蕹王はすべて徳があり、節をも守って治めていた。
・赫赫 威権のかがやくさま。
猛將飄然恐後時,本朝不入非高計。
勇猛果敢な大将は凡俗を超脱しヨウヨウトしており突然おこった事を懼れるだけ手手を打つのをことごとく後手をとった。その朝は朝廷に入らず高尚な計画は全くされなかった。
・猛將 勇猛果敢な大将。杜甫『戲作花卿歌』「成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。」
・諷然 凡俗を超脱し拘束されぬさまをいう。
祿山北築雄武城,舊防敗走歸其營。
安禄山は黄河より北側を抑え幽州范陽に雄武城を築いたのである。王朝軍の旧防衛軍は敗走を重ね、破れた者たちはその本拠地の軍営には帰ってこなかったのである。
繫書請問燕耆舊,今日何須十萬兵。
書簡を継続して届け、問題点をはっきりさせてきた燕の国には優秀な儒者が居るではないか、今日至って、どうして十万を超える軍隊を用いて制圧してくれないのだろうか。
・耆舊 【耆旧】: 《「耆」は60歳の意》年寄り。老人。 ぎじゃくっ‐せん【耆闍崛山】: 《(梵)Gṛdhrakūṭaの音写。鷲峰(じゅぶ)などと訳》「霊鷲山(りょうじゅせん)」に同じ。 き‐じゅ【耆儒】: 年とった儒者、また、学者。 き‐しゅく【耆宿】: 《「耆」も「宿」も老、旧の意》学徳の
杜甫『石龕』「奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!」
ああ、なんであの漁陽の叛乱の軍らは、風の吹きまくる如く人民を驚かしつづけるのであろうか。
“同谷紀行(9)” 石龕 杜甫 1000<328>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1559 杜甫詩 1500- 484
石龕
熊羆咆我東,虎豹號我西。
我後鬼長嘯,我前狨又啼。
天寒昏無日,山遠道路迷。
驅車石龕下,仲冬見虹霓。
伐竹者誰子?悲歌上雲梯。
為官采美箭,五歲供梁齊。
苦雲直竿盡,無以充提攜。
奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!
(石龕)
熊羆【ゆうひ】我が東に咆【ほ】え、虎豹【こひょう】我が西に号【さけ】ぶ。
我が後【うしろ】には鬼長く嘯【うそぶ】く、我が前には狨【じゅう】又た啼く。
天寒くして昏れて日無く、山遠くして道路迷う。
車を駆る石龕【せきがん】の下、仲冬【ちゅうとう】虹霓【こうげい】を見る。
#2
竹を伐る者は誰が子ぞ、悲歌【ひか】して雲梯【うんてい】に上る。
官【かん】の為めに美箭【びぜん】を採り、五歳【ごさい】梁斉【りょうせい】に供す。
苦【ねんごろ】に云う直幹【ちょくかん】尽きて、以て提携【ていけい】に応ずる無しと。
奈何【いかん】ぞ漁陽【ぎょよう】の騎【き】、颯颯【さつさつ】として蒸黎【じょうれい】を驚かすや。