杜甫 《又觀打魚》 このときにあたって我我はなんでこんな魚漁などという楽しみをほしいままにするのであろうか、天の生じたものをむやみに殺すことはむかしの聖人をかなしませることになることである。
2013年6月17日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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詩 題: 作時:762年1月杜甫51歳
掲 載; 杜甫1000首の481-#2首目-場面6-(18)
杜甫ブログ1500回予定の-702回目 40801
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又觀打魚
(また、打魚漁をみる。)
蒼江魚子清晨集,設網提綱萬魚急。
静かにきれいな江に漁師たちが朝方から集まり、網を設け大綱をいろんな魚をせっせと取っている。
能者操舟疾若風,撐突波濤挺叉入。
舟をあやつるに巧みなものは船を風のごとくはやくあやつり、さすまたをぬきんでながら波にぶっつかってのりこんでゆく。
小魚脫漏不可記,半死半生猶戢戢。
小さな魚は魚網からどれほどぬけでたか記しすことなどもできないがそれでも半死半生の姿で沢山あつまっている。
大魚傷損皆垂頭,屈強泥沙有時立。』
大きな魚はからだをきずつけられて 皆 頭を垂れてよわりこんでいるが、時としては泥沙のうえにしゃちほこばって 突っ立ちあがることもある。』
#2
(また、打魚漁をみる。)―#2
東津觀魚已再來,主人罷鱠還傾杯。
自分は綿州東津へ魚漁を観るためにはこれで二度きているのだ。綿州の刺史の主人は鱠をやめてもまだ酒盃を傾けてもてなしてくれる。
日暮蛟龍改窟穴,山根鱣鮪隨雲雷。
日ぐれになると蛟竜も不安を感じてか奥深い川底の穴を移し、山のふもとにすむ鱣や鮪も雲雷の起こるにつれてどこへかうつって魚も身の安全をはかりつつある。
干戈兵革鬥未止,鳳凰麒麟安在哉。
今や天下は干戈を用いて人間、兵隊どうしがうちあいたたかうことがまだやまないでいる。鳳凰だの麟鱗だのの瑞鳥瑞獣はいったいどこにか在るのだろうか。
吾徒胡為縱此樂,暴殄天物聖所哀。』
このときにあたって我我はなんでこんな魚漁などという楽しみをほしいままにするのであろうか、天の生じたものをむやみに殺すことはむかしの聖人をかなしませることになることである。』
蒼江漁子清晨【せいしん】に集まる、網を設け 綱を提げて魚を取ること急なり。
能者は舟を操る疾きこと風の若く、波涛に撐突して叉を挺して入る。
小魚の脱漏 記す可からず、半死半生 猶お戢戢【しゅうしゅう】たり。
大魚は傷損 皆頭を垂る、泥抄に屈強して時有りてか立つ。』
東津 魚を観て己に再び来たる、主人鱠を罷めて還た盃を傾く。
日暮れて蛟竜【こうりゅう】窟穴を改む、山根の鱣鮪【てんい】雲雷に随う。
干戈 兵革 闘い未だ己まず、鳳凰 麟麟安に在りや。
吾が徒 胡為【なんす】れぞ此の楽しみを縦にする、天物を暴殄するは聖の哀れむ所なり。』
『又觀打魚 杜甫』 現代語訳と訳註
(本文) #2
東津觀魚已再來,主人罷鱠還傾杯。
日暮蛟龍改窟穴,山根鱣鮪隨雲雷。
干戈兵革鬥未止,鳳凰麒麟安在哉。
吾徒胡為縱此樂,暴殄天物聖所哀。』
(下し文)
東津 魚を観て己に再び来たる、主人鱠を罷めて還た盃を傾く。
日暮れて蛟竜【こうりゅう】窟穴を改む、山根の鱣鮪【てんい】雲雷に随う。
干戈 兵革 闘い未だ己まず、鳳凰 麟麟安に在りや。
吾が徒 胡為【なんす】れぞ此の楽しみを縦にする、天物を暴殄するは聖の哀れむ所なり。』
(現代語訳)
(また、打魚漁をみる。)―#2
自分は綿州東津へ魚漁を観るためにはこれで二度きているのだ。綿州の刺史の主人は鱠をやめてもまだ酒盃を傾けてもてなしてくれる。
日ぐれになると蛟竜も不安を感じてか奥深い川底の穴を移し、山のふもとにすむ鱣や鮪も雲雷の起こるにつれてどこへかうつって魚も身の安全をはかりつつある。
今や天下は干戈を用いて人間、兵隊どうしがうちあいたたかうことがまだやまないでいる。鳳凰だの麟鱗だのの瑞鳥瑞獣はいったいどこにか在るのだろうか。
このときにあたって我我はなんでこんな魚漁などという楽しみをほしいままにするのであろうか、天の生じたものをむやみに殺すことはむかしの聖人をかなしませることになることである。』
(訳注) #2
又觀打魚
また、打魚漁をみる。
○打魚 綿州の涪江の東津で水面を打撃して魚を、囲みに追い込む浅瀬の漁法。やなのようなところに追い込む。
東津觀魚已再來,主人罷鱠還傾杯。
自分は綿州東津へ魚漁を観るためにはこれで二度きているのだ。綿州の刺史の主人は鱠をやめてもまだ酒盃を傾けてもてなしてくれる。
○観魚 魚漁をみるためにの意。
○主人 綿州の刺史杜便君をいうもの。
○罷鱠 鱠を初めには作ってたべた。たべあきてから食べるのをやめた。なます、いきづくりといってもすべて酢を通している。日本の刺身とは異なる。なます、いきづくりといってもすべて酢を通している。日本の刺身とは異なる。
日暮蛟龍改窟穴,山根鱣鮪隨雲雷。
日ぐれになると蛟竜も不安を感じてか奥深い川底の穴を移し、山のふもとにすむ鱣や鮪も雲雷の起こるにつれてどこへかうつって魚も身の安全をはかりつつある。
○改窟穴 べつな淵の奥底の穴へ遷ることをいう。
○鱣鮪 みな魚の名。
○随雲雷 雲雷の次々に起こり、それにつれてどこへかうつることをいう。
干戈兵革鬥未止,鳳凰麒麟安在哉。
今や天下は干戈を用いて人間、兵隊どうしがうちあいたたかうことがまだやまないでいる。鳳凰だの麟鱗だのの瑞鳥瑞獣はいったいどこにか在るのだろうか。
○鳳凰麟麟 端物で聖人があれば徳に感じて至ると称せられる。想像上の動物の名。「麟鳳(りんぽう)/獲麟・麒麟(きりん)」 中国の伝説上の霊鳥。鳳が雄,凰が雌。鳳皇とも書く。餌は竹の実で,梧桐の木にしか止まらぬとされる。殷墟卜辞に,風神として鳳の字が用いられ,天帝の使者だともされている。その字体から見て,孔雀のような鳥が鳳凰の原像となったのであろう。この殷の鳳凰と同じ特徴的な冠羽を持つ鳥が,殷末から西周期の青銅器の文様に見え,おそらくこれは,鳥形をとって祭祀の場に降臨する祖霊の観念と結びついていたのであろう。《書経》に,舜帝が天下を安定させると,音楽につれて祖霊とともに鳳凰がやってきたとあるのは,祖霊と祥瑞との二つの性格をあわせみせている。
吾徒胡為縱此樂,暴殄天物聖所哀。』
このときにあたって我我はなんでこんな魚漁などという楽しみをほしいままにするのであろうか、天の生じたものをむやみに殺すことはむかしの聖人をかなしませることになることである。』
○暴殄天物 滅び絶える。 【殄熄】てんそく. 絶やして尽きること。 【殄滅】てんめつ. 滅び絶える。また、滅ぼし絶やす。死に絶える。 「 絶滅 ( ぜつめつ ) 」.「書経」(武成篇)の語、天の生じたものをむやみにころしたりすること。
○聖 むかしの聖人。