杜甫《越王樓歌》綿州の府治はなんでこんなに壮大であるか、それは顕慶年間に越王貞がおたでになったものである。その城の西北にポツンと、また高い楼を起工された。その楼の碧色の瓦、朱色の簷瓦は逢かに城郭を照らしている。
2013年6月18日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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卷別: 卷二二○ 文體: 樂府
詩 題: 作時:寶應元年762年 杜甫51歳
掲 載; 杜甫1000首の482-#1首目-場面6-(19)
杜甫ブログ1500回予定の-703回目 40802
作地: 綿州(劍南道北部 / 綿州 / 綿州)
: 越王樓 (劍南道北部 綿州 綿州)
〔太宗子越王貞為綿州刺史,作臺於州城西北,樓在臺上。〕
越王貞が建てた綿州の城外の楼にのぼってつくった歌。宝応元年綿州にあっての作。
越王樓歌
(越王の樓閣のうた)
〔太宗子越王貞為綿州刺史,作臺於州城西北,樓在臺上。〕
越王は名を貞といい、唐の太宗の第八子である、嘗て綿州の刺史であった。綿州城外西北に台を建設して、その上に高さ百尺の楼がある。
綿州州府何磊落,顯慶年中越王作。
綿州の府治はなんでこんなに壮大であるか、それは顕慶年間に越王貞がおたでになったものである。
孤城西北起高樓,碧瓦朱甍照城郭。
その城の西北にポツンと、また高い楼を起工された。その楼の碧色の瓦、朱色の簷瓦は逢かに城郭を照らしている。』
樓下長江百丈清,山頭落日半輪明。
この楼にのぼってみると楼の下には長江に注ぐ涪江が百丈の水を清らかにたたえている。附近の山の端には落ちかかる半輪の太陽があかるくかがやいている。
君王舊跡今人賞,轉見千秋萬古情。
むかしの君王のたてられた旧跡をいま我々が見てこれを賞賛するものである。これによってさらに今後千年万年の後の人々のこころもまた我々とおなじく君王の旧跡を讃えて、なつかしむであろうことがわかるのである。』
『越王樓歌』 現代語訳と訳註
(本文)
綿州州府何磊落,顯慶年中越王作。
孤城西北起高樓,碧瓦朱甍照城郭。
樓下長江百丈清,山頭落日半輪明。
君王舊跡今人賞,轉見千秋萬古情。
(下し文)
(越王楼の歌)
綿州の州府何ぞ磊落なる、顕慶年中越王の作
孤城の西北に高楼を起こす、碧瓦朱鷺城郭を照らす』
楼下の長江百丈精し、山頭の落日半輪明らかなり
君王の旧跡今入賞す、転た見る千秋万古の情』
(現代語訳)
(越王の樓閣のうた)
越王は名を貞といい、唐の太宗の第八子である、嘗て綿州の刺史であった。綿州城外西北に台を建設して、その上に高さ百尺の楼がある。
綿州の府治はなんでこんなに壮大であるか、それは顕慶年間に越王貞がおたでになったものである。
その城の西北にポツンと、また高い楼を起工された。その楼の碧色の瓦、朱色の簷瓦は逢かに城郭を照らしている。』
この楼にのぼってみると楼の下には長江に注ぐ涪江が百丈の水を清らかにたたえている。附近の山の端には落ちかかる半輪の太陽があかるくかがやいている。
むかしの君王のたてられた旧跡をいま我々が見てこれを賞賛するものである。これによってさらに今後千年万年の後の人々のこころもまた我々とおなじく君王の旧跡を讃えて、なつかしむであろうことがわかるのである。』
(訳注)
越王樓歌
(越王の樓閣のうた)
〔太宗子越王貞為綿州刺史,作臺於州城西北,樓在臺上。〕
越王は名を貞といい、唐の太宗の第八子である、嘗て綿州の刺史であった。綿州城外西北に台を建設して、その上に高さ百尺の楼がある。
○越王楼 唐の太宗の第八子である越王がたてた棲、綿州の刺史であった。綿州城外西北に台があり、高さ百尺、上に楼があり、州城を下轍する、高宗の顕慶中の作である。
綿州州府何磊落,顯慶年中越王作。
綿州の府治はなんでこんなに壮大であるか、それは顕慶年間に越王貞がおたでになったものである。
○州府 府の治所をいう。
○磊落 壮大なさま。おおざっぱ。ゆうそうなおおきさ。
○顕慶 高宗の年号、六五六年より六六〇年に至る。
孤城西北起高樓,碧瓦朱甍照城郭。
その城の西北にポツンと、また高い楼を起工された。その楼の碧色の瓦、朱色の簷瓦は逢かに城郭を照らしている。』
○朱甍 簷瓦にあたるかわら。
樓下長江百丈清,山頭落日半輪明。
この楼にのぼってみると楼の下には長江に注ぐ涪江が百丈の水を清らかにたたえている。附近の山の端には落ちかかる半輪の太陽があかるくかがやいている。
○長江 涪江のこと。涪江は綿州、梓州、遂州と南下して長江に合流するが、ここでは大江のことをいう。
君王舊跡今人賞,轉見千秋萬古情。
むかしの君王のたてられた旧跡をいま我々が見てこれを賞賛するものである。これによってさらに今後千年万年の後の人々のこころもまた我々とおなじく君王の旧跡を讃えて、なつかしむであろうことがわかるのである。』
○君王 越王をさす。
○千秋万古情 後世の人の情、越王は蔡州の刺史となり、則武天が独立したとき兵を起こして唐の興復をはかったが勝たずに死んでしまった、賢王であったと思われる、故に後世の人はその旧跡を見て必ず無限の懐古の情をいだくであろうことをいう。