《通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴》 杜甫 その絵は万里の先には力点を置かれてはいない。群がって遊ぶ鶴たちは木々の繁っているところで神にであっている。
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2013年6月25日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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作時: 寶應元年 762年 寫作年紀: 51歲
卷別: 卷二二○ 文體: 五言古詩
詩題: 通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴
【案:稷尤善畫鶴,屏風六扇鶴樣自稷始。】
作地點: 目前尚無資料
及地點: 通泉 (劍南道北部 梓州 通泉) 別名:沈家坑
青田 (劍南道北部 括州 青田)
通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴
(通泉縣署屋の壁の後ろに描かれている薛少保鶴の畫。)
薛公十一鶴,皆寫青田真。
排行十一の薛少保公が画かれた鶴。その鶴は皆春の田んぼの真ん中に画かれている。
畫色久欲盡,蒼然猶出塵。
画の色は久しく変わらないでほしいと思うのであるが、全体的に薄青くぼんやりとしているが尚俗世の雰囲気から出ているものである。
低昂各有意,磊落如長人。
低いところ、高く飛びあがっているものそれぞれが意義あるものであり、かといってこまかいところをせいみつにかかれているわけではないが文人画家として優れていて世の遠人のようである。
佳此志氣遠,豈惟粉墨新。
このよい雰囲気はその志と気配と同じ様に遠くまで行き届いている。しかしどういうわけかただ絵具や墨は新しく見あるのである。
萬里不以力,群遊森會神。
その絵は万里の先には力点を置かれてはいない。群がって遊ぶ鶴たちは木々の繁っているところで神にであっている。
威遲白鳳態,非是倉庚鄰。
うねうねと群れで飛ぶ白鳳がおどり、高麗鶯が鳴いているわけではない。
高堂未傾覆,常得慰嘉賓。
そこに画かれた高楼の奥座敷は、まだにひっくり返るほど人が来るわけではない。ここは常に立派な賓客を癒せることを得るのだ。
曝露牆壁外,終嗟風雨頻。
堂の囲いの壁の外側に全くむき出しになっている。でも、そこに、ついに、ああ、こんなにも頻繁に風雨がつづく。
赤霄有真骨,恥飲洿池津。
見上げれば真昼の天空には本来持っている姿がある。下には許由が穎水で耳を洗った池水、河水の淵がある。
冥冥任所往,脫略誰能馴。
そのうすぼんやりしたところが住むところとして任せたところであり、誰かよく馴れていくのが妨げることはないようだ。
通泉縣署屋の壁後 薛少保の畫鶴
薛公 十一の鶴,皆 青田の真に寫す。
畫色 久しく盡さんと欲し,蒼然として猶お塵に出ず。
低く昂くして各の意有り,磊落して長人の如し。
佳此 志氣遠,豈に惟だ粉墨の新ならん。
萬里 以って力とならず,群遊 森會の神。
威遲して 白鳳の態,是に 倉庚の鄰のあらず。
高堂 未だ傾覆せず,常に得ん 嘉賓を慰むを。
曝露して 牆壁の外,終に 嗟 風雨 頻せんとす。
赤霄は 真骨に有り,恥飲は 洿池の津。
冥冥として往む所を任せ,脫略するも 誰か能く馴らしまんや。
『通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴』 現代語訳と訳註
(本文)
萬里不以力,群遊森會神。
威遲白鳳態,非是倉庚鄰。
高堂未傾覆,常得慰嘉賓。
曝露牆壁外,終嗟風雨頻。
赤霄有真骨,恥飲洿池津。
冥冥任所往,脫略誰能馴。
(下し文)
萬里 以って力とならず,群遊 森會の神。
威遲して 白鳳の態,是に 倉庚の鄰のあらず。
高堂 未だ傾覆せず,常に得ん 嘉賓を慰むを。
曝露して 牆壁の外,終に 嗟 風雨 頻せんとす。
赤霄は 真骨に有り,恥飲は 洿池の津。
冥冥として往む所を任せ,脫略するも 誰か能く馴らしまんや。
(現代語訳)
その絵は万里の先には力点を置かれてはいない。群がって遊ぶ鶴たちは木々の繁っているところで神にであっている。
うねうねと群れで飛ぶ白鳳がおどり、高麗鶯が鳴いているわけではない。
そこに画かれた高楼の奥座敷は、まだにひっくり返るほど人が来るわけではない。ここは常に立派な賓客を癒せることを得るのだ。
堂の囲いの壁の外側に全くむき出しになっている。でも、そこに、ついに、ああ、こんなにも頻繁に風雨がつづく。
見上げれば真昼の天空には本来持っている姿がある。下には許由が穎水で耳を洗った池水、河水の淵がある。
そのうすぼんやりしたところが住むところとして任せたところであり、誰かよく馴れていくのが妨げることはないようだ。
(訳注)
通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴
通泉縣署屋の壁の後ろに描かれている薛少保鶴の畫。
萬里 不以 力 ,群遊 森會神 。
その絵は万里の先には力点を置かれてはいない。群がって遊ぶ鶴たちは木々の繁っているところで神にであっている。
「萬里」(1)一里の万倍。 (2)非常に遠い道のり。非常に長い距離。 。
「群遊」① 大勢が集まって遊ぶこと。② むらがって泳ぐこと。
「神」語義類別:人、狀態、心神氣力、神。
威遲 白鳳 態 ,非是 倉庚 鄰 。
うねうねと群れで飛ぶ白鳳がおどり、高麗鶯が鳴いているわけではない。
「威遲」道のうねうねするさま。ここでは群れをなす鶴が飛ぶさま。
「白鳳」鳳凰。
「倉庚」黃鶯。高麗鶯。
『詩経』豳風「七月」
七月流火 九月授衣
春日載陽 有鳴倉庚
女執懿筐 遵彼微行
爰求柔桑 春日遲遲
采蘩祁祁 女心傷悲
殆及公子同歸
高堂 未 傾覆 ,常得 慰 嘉賓 。
そこに画かれた高楼の奥座敷は、まだにひっくり返るほど人が来るわけではない。ここは常に立派な賓客を癒せることを得るのだ。
「高堂」宮室屋廬、堂。高楼の奥座敷
「傾覆」ひっくりかえること。また、ひっくりかえすこと。転覆。転倒。ここでは大勢の人が集まって來るという意味を云う。
曝露 牆壁 外 ,終嗟 風雨 頻。
堂の囲いの壁の外側に全くむき出しになっている。でも、そこに、ついに、ああ、こんなにも頻繁に風雨がつづく。
「曝露」)1 むき出しにすること。特に、悪事・秘密などをあばいて明るみに出すこと。また、それらが明るみに出ること。「真相を―する」「収賄が―する」「―記事」2 風雨にさらすこと。また、さらされること。.
「牆壁」1 垣根と壁。囲い。 2 隔てるもの。へだて。
赤霄 有 真骨 ,恥飲 洿池 津 。
見上げれば真昼の天空には本来持っている姿がある。下には許由が穎水で耳を洗った池水、河水の淵がある。
「赤霄」語義類別:物、天文、天空、霄漢。
「有」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、有無(有)。
「真骨」人、文藝、形容詞彙(書畫)、真骨。真骨頂、 そのものが本来もっている姿。真面目
・恥飲 『洗耳』於是樊堅方且飲牛,聞其言而去,恥飲于下流。於是許由名布四海。堯既殂落,乃作箕山之歌曰:「云云,許由死,遂葬於箕山。
「洿池津」自然景觀、水澤湖泊、池、河水、淵、。
冥冥 任所往 ,脫略 誰能 馴 。
そのうすぼんやりしたところが住むところとして任せたところであり、誰かよく馴れていくのが妨げることはないようだ。
「冥冥」・冥冥 /瞑瞑 1 暗いさま。2 おくぶかくとおいさま。事情がはっきりせず、見通しの立たないさま。3.人の目に着かないこと。4.愚かなさま。無知なこと。
「往」語義類別:物、生物動作、動物動作、往。
「脫略」考慮される、または受け入れられることを防ぐ切捨てる。