杜甫 《過郭代公故宅》#2 神竜以後の代国公となったその年、先天の時に大策を定めた。宮中の乱脈はすっかりひとまとめに掃除して清められ「開元の治」といわれる世となる。


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過郭代公故宅【案:郭元振,貴鄉人,宅在京師宣陽里,此當是尉通泉時所居。】  成都 杜甫 <494-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2645 杜甫詩1000-494-#2-723/1500 


作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の494-#2首目-蜀中転々場面
杜甫ブログ1500回予定の-723回目   40822


過郭代公故宅
豪俊初未遇,其跡或脫略。
豪俊とよばれるほどの人も若いころ、初めには時世にであわなかったのである。其の行動足跡からは小事にかかわっていなかったということだ。
代公尉通泉,放意何自若。
その代国公、郭震は若いころ通泉県尉であったのだが、そのころ、どうしてあんなに平気でわがもの顔なことができたのだろうか。
及夫登袞冕,直氣森噴薄。
それが後には、かの袞冕の服を身につけるような地位にのぼったのであるが、実直、正直の意気がふつふつとはきだされた厳粛な雰囲気のものとなったのだ。
磊落見異人,豈伊常情度。』
じつに磊落たる非常の人物たるを見るので、これはとてもなみなみのこころでもって、はかれるわけのものではないということだ。
#2
定策神龍後,宮中翕清廓。
神竜以後の代国公となったその年、先天の時に大策を定めた。宮中の乱脈はすっかりひとまとめに掃除して清められ「開元の治」といわれる世となる。
俄頃辨尊親,指揮存顧托。
代国公が大策を定めて、またたく間に玄宗の尊にして且つ親たることを弁別した。大事をさしずして睿崇が直接依託したわけではないが配慮したものだった。
群公有慚色,王室無削弱。
これにくらべると他の羣臣は愧ずべき色があるというものだ。この代国公があったから王室もいらぬ棘を削りよわめられることがなくなった。
迥出名臣上,丹青照台閣。
だから歴代の諸公を選び出してもははるかに名臣以上にある。だから画像に描かれ、台閣にかがやいている。
王屋山01#3
我行得遺跡,池館皆疏鑿。壯公臨事斷,顧步涕橫落。
精魄凜如在,所歷終蕭索。高詠寶劍篇,神交付冥漠。』

(郭代公が故宅を過【よぎ】る)
豪俊【ごうしゅん】 初め未だ遇わず、其の跡 或は脱略せり。
代公 通泉に尉たり、意を放にする何ぞ自若たる。
夫【か】の袞冕【こんべん】に登るに及んで、直気 森として噴薄す。
磊落【らいらく】異人を見る、豈に伊【こ】れ 常情もて度【はか】らんや。
策を定める 神竜の後、宮中 翕【きゅう】として清廓【せいかく】す。
俄頃【がけい】尊親を弁じ、指揮【しき】顧託【こたく】を存す。
羣公 慙色【ざんしょく】有り 王室 削弱【さくじゃく】無し。
迥【はる】かに名臣の上に出づ、丹青【たんせい】 台閣【だいかく】を照らす。
我行いて遺跡を得、池館【ちかん】皆 疏鑿【そさく】せらる。
公が事に臨みて断ぜしを壮とす、顧歩して 涕【なみだ】横さまに落つ。
精魄【せいはく】凜【りん】として在【いま】すが如し、歷【ふ】る所 終に蕭索【しょうさく】たり。
高く詠ず宝剣の篇、神交 冥漠【めいばく】に付す。


『過郭代公故宅』 現代語訳と訳註
(本文)
過郭代公故宅-#2
定策神龍後,宮中翕清廓。
俄頃辨尊親,指揮存顧托。
群公有慚色,王室無削弱。
迥出名臣上,丹青照台閣。


(下し文)
(郭代公が故宅を過【よぎ】る)-#2
策を定める 神竜の後、宮中 翕【きゅう】として清廓【せいかく】す。
俄頃【がけい】尊親を弁じ、指揮【しき】顧託【こたく】を存す。
羣公 慙色【ざんしょく】有り 王室 削弱【さくじゃく】無し。
迥【はる】かに名臣の上に出づ、丹青【たんせい】 台閣【だいかく】を照らす。


(現代語訳)
(代国公、郭震の若き頃過した故宅に立ち寄って書いた詩)#2
神竜以後の代国公となったその年、先天の時に大策を定めた。宮中の乱脈はすっかりひとまとめに掃除して清められ「開元の治」といわれる世となる。
代国公が大策を定めて、またたく間に玄宗の尊にして且つ親たることを弁別した。大事をさしずして睿崇が直接依託したわけではないが配慮したものだった。
これにくらべると他の羣臣は愧ずべき色があるというものだ。この代国公があったから王室もいらぬ棘を削りよわめられることがなくなった。
だから歴代の諸公を選び出してもははるかに名臣以上にある。だから画像に描かれ、台閣にかがやいている。


(訳注)
(代国公、郭震の若き頃過した故宅に立ち寄って書いた詩)#2
通泉県にある代国公郭震の若いころに住んだ故宅を見まってつくった詩。762年 宝応元年十一月の作。


定策神龍後,宮中翕清廓。
神竜以後の代国公となったその年、先天の時に大策を定めた。宮中の乱脈はすっかりひとまとめに掃除して清められ「開元の治」といわれる世となる。
○定策神龍後,宮中翕清廓 まず、神龍(705-706)後になって、玄宗皇帝の世となり、先天(712年)の時、代国公に封ぜられ「大策を定め」た。翌年開元にかわり、とうは「開元の治」といわれる安定した。
宮中は奥向きのこと、当時中宗の皇后華氏、太平公主らのきわざがあって奥向きがみだれていた、翕はあつまるかたち、すっかりということ、清廓とはさっぱりと掃除してきよめること。


俄頃辨尊親,指揮存顧托。
代国公が大策を定めて、またたく間に玄宗の尊にして且つ親たることを弁別した。大事をさしずして睿崇が直接依託したわけではないが配慮したものだった。
○俄頃 しばらくのうちに。とっさの内に。
○弁尊親 尊と親とについて区別する。君臣の関係では玄宗が尊位を得、父子の関係では玄宗が親子相伝えて帝位をふむに至ったことをさす。
○指揮 さしずする。
○顧託 容宗の御依託。玄宗が太平公主・賓懐貞を課したとき宮城は大いに乱れた、睿宗が承天門に出て変を見た際、諸相はみな外省にかくれ、郭震がひとり侍しただけであった。睿宗は玄宗の兵がやって来たときいて楼下に身を投じようとしたが、郭震は玄宗を扶けてあつく勧めて阻止した、これらは必ずしも睿宗から依託に由るものではないが、辞をかざっていったものである。


群公有慚色,王室無削弱。
これにくらべると他の羣臣は愧ずべき色があるというものだ。この代国公があったから王室もいらぬ棘を削りよわめられることがなくなった。
○羣公 他の奸臣ら。


迥出名臣上,丹青照台閣。
だから歴代の諸公を選び出してもははるかに名臣以上にある。だから画像に描かれ、台閣にかがやいている。
○丹青照台閣 丹青は画像、台閣のうえに像をかかげるのにより像がこれを照らすという。