杜甫 《過郭代公故宅》#3 豪俊とよばれるほどの人も若いころ、初めには時世にであわなかったのである。其の行動足跡からは小事にかかわっていなかったということだ。


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過郭代公故宅【案:郭元振,貴鄉人,宅在京師宣陽里,此當是尉通泉時所居。】  成都 杜甫 <494-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2650 杜甫詩1000-494-#3-724/1500


過郭代公故宅
豪俊初未遇,其跡或脫略。
豪俊とよばれるほどの人も若いころ、初めには時世にであわなかったのである。其の行動足跡からは小事にかかわっていなかったということだ。
代公尉通泉,放意何自若。
その代国公、郭震は若いころ通泉県尉であったのだが、そのころ、どうしてあんなに平気でわがもの顔なことができたのだろうか。
及夫登袞冕,直氣森噴薄。
それが後には、かの袞冕の服を身につけるような地位にのぼったのであるが、実直、正直の意気がふつふつとはきだされた厳粛な雰囲気のものとなったのだ。
磊落見異人,豈伊常情度。』
じつに磊落たる非常の人物たるを見るので、これはとてもなみなみのこころでもって、はかれるわけのものではないということだ。
#2
定策神龍後,宮中翕清廓。
神竜以後の代国公となったその年、先天の時に大策を定めた。宮中の乱脈はすっかりひとまとめに掃除して清められ「開元の治」といわれる世となる。
俄頃辨尊親,指揮存顧托。
代国公が大策を定めて、またたく間に玄宗の尊にして且つ親たることを弁別した。大事をさしずして睿崇が直接依託したわけではないが配慮したものだった。
群公有慚色,王室無削弱。
これにくらべると他の羣臣は愧ずべき色があるというものだ。この代国公があったから王室もいらぬ棘を削りよわめられることがなくなった。
迥出名臣上,丹青照台閣。
だから歴代の諸公を選び出してもははるかに名臣以上にある。だから画像に描かれ、台閣にかがやいている。
#3
我行得遺跡,池館皆疏鑿。
私はいまここをあるく、大国公の遺跡をよくみることを得たのだが、もともとここの池や館のところは皆掘割になっていたのだ。
壯公臨事斷,顧步涕橫落。
自分は大國公がよく大事にのぞんで決断したことを壮んなことであったし、このさまをみては左右をかえりみながらあるくと涕がよこにむかって落ちるのである。
精魄凜如在,所歷終蕭索。
大國公のたましいは凛然としてなお存在しているかのようであるが、既に経過する池館のあとは結局このように寂しいようすである。
高詠寶劍篇,神交付冥漠。
わたしはただ大国公の作である宝剣篇を高く詠じて精神と精神との交りはこれを天、幽冥界に付するのみである。

(郭代公が故宅を過【よぎ】る)
豪俊【ごうしゅん】 初め未だ遇わず、其の跡 或は脱略せり。
代公 通泉に尉たり、意を放にする何ぞ自若たる。
夫【か】の袞冕【こんべん】に登るに及んで、直気 森として噴薄す。
磊落【らいらく】異人を見る、豈に伊【こ】れ 常情もて度【はか】らんや。
策を定める 神竜の後、宮中 翕【きゅう】として清廓【せいかく】す。
俄頃【がけい】尊親を弁じ、指揮【しき】顧託【こたく】を存す。
羣公 慙色【ざんしょく】有り 王室 削弱【さくじゃく】無し。
迥【はる】かに名臣の上に出づ、丹青【たんせい】 台閣【だいかく】を照らす。
我行いて遺跡を得、池館【ちかん】皆 疏鑿【そさく】せらる。
公が事に臨みて断ぜしを壮とす、顧歩して 涕【なみだ】横さまに落つ。
精魄【せいはく】凜【りん】として在【いま】すが如し、歷【ふ】る所 終に蕭索【しょうさく】たり。
高く詠ず宝剣の篇、神交 冥漠【めいばく】に付す。

岳陽樓詩人0051

















『過郭代公故宅』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
我行得遺跡,池館皆疏鑿。
壯公臨事斷,顧步涕橫落。
精魄凜如在,所歷終蕭索。
高詠寶劍篇,神交付冥漠。


(下し文)
(郭代公が故宅を過【よぎ】る)-#3
我行いて遺跡を得、池館【ちかん】皆 疏鑿【そさく】せらる。
公が事に臨みて断ぜしを壮とす、顧歩して 涕【なみだ】横さまに落つ。
精魄【せいはく】凜【りん】として在【いま】すが如し、歷【ふ】る所 終に蕭索【しょうさく】たり。
高く詠ず宝剣の篇、神交 冥漠【めいばく】に付す。


(現代語訳)
(代国公、郭震の若き頃過した故宅に立ち寄って書いた詩)#3
私はいまここをあるく、大国公の遺跡をよくみることを得たのだが、もともとここの池や館のところは皆掘割になっていたのだ。
自分は大國公がよく大事にのぞんで決断したことを壮んなことであったし、このさまをみては左右をかえりみながらあるくと涕がよこにむかって落ちるのである。
大國公のたましいは凛然としてなお存在しているかのようであるが、既に経過する池館のあとは結局このように寂しいようすである。
わたしはただ大国公の作である宝剣篇を高く詠じて精神と精神との交りはこれを天、幽冥界に付するのみである。


(訳注)
(代国公、郭震の若き頃過した故宅に立ち寄って書いた詩)#3
#3
我行得遺跡,池館皆疏鑿。
私はいまここをあるく、大国公の遺跡をよくみることを得たのだが、もともとここの池や館のところは皆掘割になっていたのだ。
○疏鑿 ほりわりをつくること。


壯公臨事斷,顧步涕橫落。
自分は大國公がよく大事にのぞんで決断したことを壮んなことであったし、このさまをみては左右をかえりみながらあるくと涕がよこにむかって落ちるのである。
○壮 壮なりとして敬慕すること。
○臨事断 大事に当たってよく決断したこと、玄宗を擁立したことをさす。
○顧歩 左右をかえりみながらあるく。


精魄凜如在,所歷終蕭索。
大國公のたましいは凛然としてなお存在しているかのようであるが、既に経過する池館のあとは結局このように寂しいようすである。
○所歴 自己の通ったところ、この池館のあとをさしていう。
○蕭索 さびしいさま。


高詠寶劍篇,神交付冥漠。』
わたしはただ大国公の作である宝剣篇を高く詠じて精神と精神との交りはこれを天、幽冥界に付するのみである。
○宝剣篇 郭震が通泉の縣尉であった当時の作で、則天武后に召しだされたときにこの篇をたてまつったもので、則天武后は数十本を写して遍く学士に賜わせたという。○宝剣篇 初唐期の郭震の詩。郭震(656-713)は字元振、県尉の時に武則天に「宝剣篇」を呈して賞賛され、出世のいとぐちをつかんだ。辺境で武功を立て睿宗、玄宗の時に宰相。のちに玄宗の怒りにふれ左遷された、失意のうちに歿した(『新唐書』郭震伝)。「宝剣篇」は精魂込めて作られた名剣が埋もれながらも気を発していることをうたい、才をいだきながら用いられない我が身を寓した詩。
後世、李商隠も「郭震の『寶劍篇』に」ついて『風雨』詩に触れている。
李商隠『風 雨』
凄涼寶劍篇、羇泊欲窮年。
黄葉仍風雨、靑樓自管絃。
新知遭薄俗、舊好隔良縁。
心斷新豐酒、銷愁斗幾千。
郭震の「宝剣篇」を読むとものさびしさにさなまれる。自分の才能も見いだされないでこのたびは続き、今年も終わりに近づいてきた。
黄色に枯れゆく葉の上に風が落ち乾いた音を立てている。妓女たちの色鮮やかに塗られた豪奢な高楼にはそれぞれの女たちの管弦楽の音が聞こえている。
赴任して新しく知り合うがいつも党派が違うのか薄情さに遭遇する、昔いい関係の良好な人とは良好な関係のための情報交換できないほどに隔てられる。
出世欲がなくなってしまって、馬周をまねて酒をあおったとしてもどうなろう。この愁いを消してくれるには、一斗いくらの酒代を出せばいいというのか。
風雨 李商隠  紀頌之の漢詩ブログ李商隠 特集-71
神交 精神と精神との交り。
冥漠 天、幽冥界をいう。