杜甫《嚴中丞枉駕見過》 まことにさびしい錦江の天の雲霧のうちに処士の徴象たる少徴星があるとはだれがいうのか。厳武、きみだけがそんな星あることを、私にことを知ってくれるのである。


2013年7月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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嚴中丞枉駕見過 嚴中丞枉駕見過【案:自注:嚴自東川除西川,敕令兩川都節制。】 蜀中転々 杜甫 <506>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2725 杜甫詩1000-506-739/1500 



詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 
詩題: 嚴中丞枉駕見過【自注:嚴自東川除西川,敕令兩川都節制。】
掲 載; 杜甫1000首の506首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-739回目   40838
御史中丞の厳武が自分の草堂へわざわざたずねてくれた。厳武は東川と西川のすべて管轄せよとの勅命をうけて来任したのである。宝応元年の作でる。

嚴中丞枉駕見過 *〔原注〕厳自東川、除西川、勅令両川都節(厳東川より、西川に除せられ、勅もて両川の都
節に令せらる)



嚴中丞枉駕見過
元戎小隊出郊坰,問柳尋花到野亭。
川合東西瞻使節,地分南北任流萍。
扁舟不獨如張翰,白帽還應似管寧。
寂寞江天雲霧裏,何人道有少微星。

(厳中丞駕を枉げ過らる)
元戎小隊郊桐に出づ、柳を問い花を尋ねて野草に到る。
川東西を合し使節を障る、地南北を分かつ流再に任す。
扁舟独り張翰の如くなるのみならず、鳥帽還応に管寧に似たるなるべし。
寂美江天雲霧の裏、何人か這う少微塵有り。

杜甫像0012















『嚴中丞枉駕見過』 現代語訳と訳註
(本文)

元戎小隊出郊坰,問柳尋花到野亭。
川合東西瞻使節,地分南北任流萍。
扁舟不獨如張翰,白帽還應似管寧。
寂寞江天雲霧裏,何人道有少微星。

(下し文)
(厳中丞駕を枉げ過らる)
元戎小隊郊桐に出づ、柳を問い花を尋ねて野草に到る。
川東西を合し使節を障る、地南北を分かつ流再に任す。
扁舟独り張翰の如くなるのみならず、鳥帽還応に管寧に似たるなるべし。
寂美江天雲霧の裏、何人か這う少微塵有り。


(現代語訳)
(厳武中丞節度使がわざわざ立ち寄ってくれ、ひとしきり歓談してくれた時に思ったことの詩)
節度使が配下の小部隊をつれて城内から郊外の管轄地の視察へ出かけて、こちらの柳、あちらの花とさぐり愛でながらわたしの草堂までやってこられた。
彼が天子の節度使として東西両川を治めるおかたとして仰ぎみるのであるが、土地の南北の分かれはあるが節度使が別々でうき草のただよう様に好き勝手にされていた。
この間わたしは役割が終わったとして隠棲したのは張翰のようであるのは独りだけではなく、乱を避けて世から離れていることはまた白帽をつけて、應詔を固辞した管寧に似ていることであろう。
まことにさびしい錦江の天の雲霧のうちに処士の徴象たる少徴星があるとはだれがいうのか。厳武、きみだけがそんな星あることを、私にことを知ってくれるのである。


(訳注)
厳中丞枉駕見過
(厳武中丞節度使がわざわざ立ち寄ってくれ、ひとしきり歓談してくれた時に思ったことの詩)
○厳中丞 御史中丞厳武のこと、粛宗は長安を回復すると厳武を以て京兆少尹・兼御史中丞となした、史思明の乱がおこったために官におもむかぬうちに出されて綿州刺史となり剣南の東西両川節度使を兼ね、御史中丞をも兼ねた。東川節度使は梓州に幕府を置き、西川は成都に治する、杜甫の原注によれば厳武は東川より西川にうつって両川を節制したものであり、宝応元年のことである。
○柾駕 のりものをまげてわざわざ立ち寄ったことをいう。
○見過 浣花の草堂へきてくれた。立ち寄ってくれることの時間経過があったことを云う。


元戎小隊出郊坰,問柳尋花到野亭。
節度使が配下の小部隊をつれて城内から郊外の管轄地の視察へ出かけて、こちらの柳、あちらの花とさぐり愛でながらわたしの草堂までやってこられた。
○元戎 弩の連射ができるもので漢代でも改良は続けられ、三国志中には諸葛亮がそれを改良して元戎(げんじゅう)を作ったとする記述がある。これで狙われれば、逃げるか、隠れるかしか方法がないとされ、厳武の節度使としての軍事行政手腕を著したものである。大きな軍事のこと、「詩経」(小南)にみえる。
○小隊 わずかな人数の部隊。
○出郊坰 城から野外へ出かけたこと、野外を郊、郊外を林、林外を坰という。
○野亭 草堂。
 

川合東西瞻使節,地分南北任流萍。
彼が天子の節度使として東西両川を治めるおかたとして仰ぎみるのであるが、土地の南北の分かれはあるが節度使が別々でうき草のただよう様に好き勝手にされていた。
○川合東西 東川・西川の二区域を合すること。どちらも直近に叛乱があり、東でおこった叛乱の征伐の際西に逃亡、西でおこれば東へと逃げるので、相当の実力のあるものでなければ抑えられないということの意味である。
〇瞻 こちらが仰ぎみること。
○使節 天子の使者としてのはた、節度使は天子より軍治民治の権力をゆだねられ.るので使節という。
○南北 南は成都、北は長安、洛陽、此の句は自己についていう。
○流萍 ながれるうきくさ、これまでは叛乱者が両川を逃げ追うせること。


扁舟不獨如張翰,白帽還應似管寧。
この間わたしは役割が終わったとして隠棲したのは張翰のようであるのは独りだけではなく、乱を避けて世から離れていることはまた白帽をつけて、應詔を固辞した管寧に似ていることであろう。
○扁舟張翰 晋の張翰は洛陽に至って斉王冏に仕えたが、時事の非なのを見て(秋風が吹くと)故郷呉中の蓴羹【じゅんかん】鱸鱠【ろうかい】を憶うといって帰ってしまった、届舟の故事は無いが呉にかえるにはいずれ舟にのらね晋の張翰が世の乱れたのを見、秋風の起るにあたって、故郷である呉の蒪羹、鱸魚を思うといって官を辞してかえったが、今は世が治まっているのでさようの人物が無いということ。東走とは呉は東南であるから東という。世の中が安定してくれば自分の役割は終了した、高級官僚に未練はなく故郷に帰って隠棲するということである。
杜甫『洗兵行』「東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。」(東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。)張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身が恋しいなどいって、朝廷から逃げ出すものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。
○白帽似管寧 魏の曹操時、管寧は仕えず、乱をさけて遼東に居り、常に白い帽・布の禰・袴をつけていたという。乱がおさまって遼東に避難していた人達は相次いで帰郷していったが、管寧だけは遼東にとどまった。文帝、太中大夫に任命されたが、管寧はこれを辞退した。明帝の時も辞退している。


寂寞江天雲霧裏,何人道有少微星。
まことにさびしい錦江の天の雲霧のうちに処士の徴象たる少徴星があるとはだれがいうのか。厳武、きみだけがそんな星あることを、私にことを知ってくれるのである。
○江天雲霧 江は錦江、雨の多いゆえに雲霧という。
○少徴星 星座の名、少徴四星は太徴の西にあり、士大夫の位である、一に処土星と名づけ、仕官せぬ隠者にかたどる、自己をたとえて

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